ロンドン・ナショナル・ギャラリー展 ⑥ゴッホ

 

■「炎の画家」ゴッホは、キリスト教と太陽信仰のはざまを行き来した哲学者でもあった■ 

 

熱心なファンならご存知のことかもしれませんが、ゴッホの花瓶に挿したひまわりの絵は、7点あります。ただし現存しているのは6点。ほとんどが1888年の夏(一部は翌年1月)描かれました。この年、ゴッホは憧れの日本の太陽を夢見て、パリから南仏に移住します。アルルの陽光の中で心身ともに解放され、やがてやってくる約束のゴーギャンとの共同生活を心待ちにし、精力的に作品を生み出し、画境も大きく進捗した夏でした。短いながら幸福な輝きに満ちたこんな時代があったことは、2年後に悲劇的な自死を遂げる彼の生涯を振り返って、われわれにとってもいくばくかの慰めでしょう。

 

ところで、7点のうち、失われた1点の向日葵の絵は、戦前、日本にあって芦屋の実業家が所蔵していましたが、まことに惜しいかな戦災で焼失しました。改めて残った資料を見ると(参考図版)、ゴッホが向日葵を通して考える死生感が如実に表れていて、作品自体の完成度も素晴らしいものでした。残る6点で、僕がとくに優れていると思うのは、ミュンヘンにある背景がミント・ブルーのものと、そして背景が黄色い、このロンドンの作品の2点です。

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《ひまわり》 ゴッホ1888 ロンドン・ナショナル・ギャラリー

 

では、ゴッホにとって向日葵とはどんな意味を持っていたのでしょうか。「13人のキリストの最後の晩餐を花になぞらえている」と言った見解を僕は取りません。それどころかこの時期、ゴッホは異国趣味のジャポニスムにとどまらず、日本人の自然神や太陽崇拝を理解し、自らをそれに合一しようとしたのではないかと考えます。祖父も父もプロテスタントの説教師の家系ゆえに、当然キリスト信仰で育ったでしょうが、ゴッホの知性はそれだけに収まりきらず、汎神論的な思索も許容できるインテリでした。ミレーを模写した《種まく人》にも、イエスの奇蹟の物語の《ラザロの復活》にさえキリスト教と無縁な筈の太陽が燦然と描き込まれていて、ゴッホの太陽信仰を窺うことができます。

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 ■参考図版 《ひまわり》(芦屋のひまわり)1888 神戸大空襲で1945焼失 《種まくひと》1888 クレラー・ミュラー美術館 ミレーを模写 《ラザロの復活》1890 ヴァン・ゴッホ美術館 レンブラントを模写

 

ゴッホにとって、向日葵とは空にある太陽の地上における分身、太陽の妹、とでもいうべき存在ではなかったか。地上に恩寵のごとく降り注ぐ黄色い光を満身に浴びて、炎のような花弁を咲かせる向日葵。ゴッホもまた敬虔な農夫のように光熱に額を焼かれ、網膜には光の黄金の粒を洪水のようにあふれさせ、打ち震える心で《ひまわり》を描いたのではないかと想像します。

 

ところでこの絵はある意味、奇態です。ふつう黄色の花に黄色の背景を持ってこれないものですが、ゴッホはためらわず、自らの主観の命ずるままにタブーを破っている。ゴーギャンゴッホもともに、美術史上では「ポスト印象派」とされ、彼らは「色」はリアルな現実の説明でなくていい、画家の創造で自由に任せればいい、と色の解体を試みて描画思想の革命を起こしました。そこからマティスらのフォービスム(野獣派)が生まれます。またピカソらは「形態」をも解体して、抽象などの現代絵画を出現させて、これに続きます。たかが向日葵ですが、美術史から見てもこのゴッホの《ひまわり》が発信する意味は重大です。

 

美術評論家/美術ソムリエ 岩佐倫太郎

 

※「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」は終了しています(大阪・中之島国立国際美術館)。