前回、ファン・ゴッホの拳銃による自死は、死ぬことによって普遍を獲得し、永遠を生きようとする
――ヨハネ福音書における麦の粒のように――殉教的行為であると言う自説を開陳させ
て頂きました。もし、そうであれば、またもや発想が飛躍すると言われるかもしれませんが、
「豊饒の海」4部作を書いて、永遠と輪廻転生を願い自決した三島由紀夫のことを思わず
にいられないのです。これまで僕は、三島の事件を文学と現実を取り違えた錯誤的な振る
舞いとして冷淡でしたが、ゴッホの自死を僕の絵画体験として通過してみると、今更ながら
三島に憐憫というか愛惜の情が湧くのに気づかされます。ゴッホと三島、僕には何か二人
の自決には、似たものを感じています。
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その辺の僕の説の採否はご自由ですが、ともかく、いま東京・六本木の国立新美術館で開
催中の、「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」の話。《日没を背に種まく人》のほかにも、印象派
とポスト印象派のレベルの高い優品が招来されて、見ごたえのある企画展になっています。
しかも日本初も多い。そのなかでもとくに充実していたように思うのがゴッホの部屋でしょう。
《花咲くマロニエの枝》ゴッホ 1890年 油彩 カンバス ©Foundation E.G. Bührle Collection,
Zurich (Switzerland) Photo: SIK-ISEA, Zurich (J.-P. Kuhn)
ファン・ゴッホは花の絵の名手で、向日葵だけでも10点以上描いていますが、この上の《花咲く
マロニエの枝》なども、一見地味なんですが傑作で、今展の見るべき一点だと思います。
1890年、つまり彼が自死する年に、終焉の地となったパリ北郊のオヴェール・シュル・オ
ワーズで描かれました。冴え冴えとして澄み切った画調は、もうどこか自分がこの世に亡
きものとして、天上的な慈愛をもって地上の生命の営みを眺めているようにも思えます。
ゴッホは耳切事件からあとの1年半ほどに、最も画家として充実し旺盛な作家活動をして
います。この時代の作品群は、何か突き抜けてしまっていて、美術史的にとても重要です。
モネ《睡蓮の池 緑の反映》 ピエール=オーギュスト・ルノワール《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)》1880年©Foundation E.G. Bührle Collection, Zurich (Switzerland)
さて、最後に今回の最大の目玉でもある大作のモネの《睡蓮》や、ルノワールの少女像も
ご紹介しておきましょう。《睡蓮》は横幅4メートルを越す作品。オランジュリー美術館のそ
れをほうふつさせます。主人公も無く、物語も無く、何の思想も無いと言えば無いのですが、
有るのはただ即物的な光と影と色。俳句的にも見えますが、これ程非情な世界もまた無い。
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まあ、印象派の弱点と思われていることが、すべてさらけ出されています。しかしそれが故
に、逆に次の時代の抽象画の世界に橋を架けていたと、今になって判らせてくれる作品で
もあります。制作年を見ると1920―1926とありますので、死ぬまでこの絵を手元に置いて、
最後まで手を入れていた遺愛の作品ではないでしょうか。この1点だけは会場で撮影が可
能です。
また、ルノワールの職業画家としての技術の頂点を示した、《イレーヌ・カーン・ダンヴェール
嬢(可愛いイレーヌ)》も忘れがたい作品です。巨匠のろうたけた筆さばきの見事さに、陶然
とさせられます(ビュールレ・コレクションの項、完)。
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岩佐倫太郎 美術評論家 美術ソムリエ
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