ゴッホの色彩はマティスに伝播したーー7/15(日)京都大学講演会にちなんで

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読者の皆さま。以下は、京都大学時計台の講演会を7月に控えて、メールによる事前レクチャーを

兼ねています。お申し込みの方以外も気楽にお読み頂ければ幸いです。これはその3回めです。

 

ゴッホがパリに出て、浮世絵に出会って翻然と自己変革を遂げ、後世、カラリスト(色彩家)と呼ばれ

るようになったのは既に書いたとおりです。長らく200年以上も鎖国をして、戦争も無かった国、日本。

その享楽的なパラダイスから送られて来た浮世絵の版画が、プロテスタントであったゴッホの頑なな

氷のごときストイシズムを、太陽のように解かしたことは想像に難くありません。眼にした錦絵は色が

まばゆいばかりか、西洋が一生懸命磨いてきた遠近法やリアリズムを、見事に破壊していたのです。                                       

 

カラリストとは、もとはルネサンスの時代に、フィレンツェのデッサン中心の画法に対して、デッサン

よりも色に特徴があったヴェネツィア派の画家たち、ティツィアーノや上の右のティントレットらを指し

て言う言葉でした。ヴェネツィアが東方貿易の港であり十字軍の往還の基地でもあったことなどで

オリエントの影響を強く受け、アラブ的と言ってもいい濃厚な原色使いが流行したと考えられます。

ローマやフィレンツェより西の西洋的感覚は、旧約聖書の世界をほうふつさせるような古拙な色遣

いに、どうも過剰とも言える反応と評価を示しますねえ。

ところでゴッホのカラリストぶりは、どこが新しいかと言うと、彼の色がすでに色のリアリ

ズムを離れて、色で絵画独自の秩序を作り始めているという点です。彼は自然の色ではない

色を使って絵を描いても、絵画って成立するじゃないか!と言うことをゴーギャンとともに

早い時期に発見した人です。確かに印象派のモネなども、混色を嫌い本来の色ではない絵具

をキャンバスに並置して絵を描きます。ただしやはりそれは最終的には自然界のリアリズム

に奉仕するものです。ですが、ゴッホが例えば《日没に種まく人》(上の左の画像)などの

バックに、実際にありえない緑がかった空の色などを配するとき、我々はそれを太陽の黄色

と空の青の合成だろうと思いつつも、そこに出来上がった世界の新しい調和に思わず得心さ

せられ、同時にその平坦な画面構成も受け入れてしまうのです。

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ヴラマンク 庭師 1904 年                     マティス 帽子の女 1905年

 

早すぎた芸術家の常として、ゴッホも生前は不遇で、売れた絵はたった1枚だけでした。それでも時

代が追いかけたのか、ゴッホの評価は急速に高まり、死後11年たった1901年には早くもパリで回

顧展が開かれます。これを見たヴラマンクはいたく感激して、「自分はこの日、父親よりもゴッホを大

切に思った」と伝説的な述懐を残しました。ヴラマンクは前年ドランと知り合い、意気投合して一緒に

アトリエを構えていましたが、この回顧展の時、ドランから、マティスを紹介されます。このようにして

3人は4年後、「サロン・ドートンヌ」(1905)に出品したところ、その激しい色彩と形態から「野獣」(フ

ォーブ)」と名付けられ、ここからフォービスムが生まれます。ゴッホの色彩感覚はヴラマンクに蘇えり、

その熱気がピンボールのように行き来して、ドランやマティスの色彩DNAを激しく叩いた、と想像して

います。ゴッホは、フォービスムの先駆でもあった訳です(つづく)。

★お申込みを受付中です!森耕治VS岩佐倫太郎 美術リレートーク  

 

■美術対談講演会@京都大学時計台

 

モネ・ゴッホマティスからピカソまで

浮世絵で始まる西洋美術

 

7月15日(日)14時から16時  京都大学時計台・国際交流ホール 100名

 

■17時からは時計台下のフレンチ・レストラン「ラ・トゥール」で立食パーティを開きます

(任意参加です)。

■会費 講演会のみ4千円、パーティとも1万円(含消費税)必要な方は領収書を発行します。

■お申込みはこのメールにご返信ください。追ってお振り込みの案内を差し上げます。

 

美術評論家/美術ソムリエ 岩佐倫太郎

 

岩佐倫太郎ニューズレター【京都大学講演会◆浮世絵で始まる西洋美術◆ごあんない】

読者の皆さま

 

京都大学での美術講演会のごあんないと、メールによる講演内容の事前講座です。

 

左はもうご存知でしょう。ゴッホがパリに出てから描いた《タンギー爺さん》。爺さんと

は変な呼び方ですが、親しみを込めて「タンギーの親父さん」とでも訳すべきところ

でしょう。日本語でも、親しい年配者を「親父さん」などと飲み屋等では呼ぶことは多

いですね。フランス語でも、原題はLE PERE TANGUYとなっています。貧しいゴッホ

に画材や絵の具を無償で与えて支援したゴッホの恩人です。                         

それはそうとして、ここで皆さまに見て頂きたいのは、ゴッホの色遣いです。

つい2年前までオランダで暗い暗い絵を描いていた同一人物とは信じられない

弾け方ですね。ゴッホはパリに出て、折りから流行していた日本の浮世絵に出

会って、それまで自分が頑なに守っていたものがブチっと切れるのを感じたの

ではないか。むしろ密かに潜在的に自分が夢見ていた世界が、浮世絵の世界に

既に実現されているのを知って、悔しくもあり、憧れもし、自分の進むべき方

向を翻然と悟って、自己変革を遂げたんだと思います。結果《タンギー爺さん》

においても、まるで江戸末期の錦絵のように、あざといとまで言えそうな色彩

の狼藉、豪奢な氾濫をほしいままにし、遠近法は見事に打ち捨てられています。

ゴッホは後世、カラリスト(色彩家)としても高く評されますが、その出発点は浮

世絵に有ったことは疑いようがないでしょう。ワッペンのようにちりばめた浮世絵への

礼賛が、何よりそのことを雄弁に語っています。僕は、日本の浮世絵があったればこ

そ天才ゴッホは生まれた、と今回の講演でも主張したい訳ですが、それは何も

我田引水な強弁でないことは、もう皆さまからもご同意いただけると信じます。

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さてもう一方、右はマティスの《開いた窓、コリウール》(1905)です。これ

また色彩の滴るような風景画。マティスは「色彩の魔術師」と呼ばれましたが、

確かにここで用いられている色とその交響は、何とも楽園的で官能的です。絵

に正確なデッサンや遠近法がなくても十分に絵は成り立ち、むしろ色が意味の

説明役から放免されたときの方が、ぐんと魅力的な絵が成立することをマティ

スは証明しています。

もう読者諸賢はお気づきでしょうが、マティスの色彩も実は浮世絵の多大な影

響下に生まれたものです。彼は浮世絵の色彩や平面性(=版画性)と言う美質を、

間接的にゴッホ経由で受け取っているのです。二人は、時代的には数十年ばか

マティスの方が後です。意外に思われるかもしれませんが、二人は絵の上で

は親子のようにしっかりと結びついていて、おなじDNAを受け継いで持って

いるとみなすこともできるのです。

ゴッホがパリで浮世絵から学んだ色や平面性は、どのようにしてマティスに伝

わって行ったのか?ちょっと長くなるので次回、マティスゴッホの浮世絵の

DNAを中継した二人の画家の話を(つづく)。

 

 

★お申込みを受付中です!

■美術対談講演会@京都大学時計台

モネ・ゴッホマティスからピカソまで

浮世絵で始まる西洋美術

 

7月15日(日)14時から16時  京都大学時計台・国際交流ホール 100名

 

■17時からは時計台下にあるフレンチ・レストラン「ラ・トゥール」で

立食パーティを開きます(任意参加で、定員は60名までです)。

■会費 講演会のみ4千円、パーティとも1万円(含消費税)領収書発行

■お申込みはこのメールにご返信ください。またはiwasarintaro@gmail.com

追ってお振り込みのご案内を致します。

 

※森先生とのシリーズでは、学生招待枠を設けています。学生の方は無料です。

お申し出ください。また収益の一部を京都大学基金を通じて「山中伸弥先生の

IPS細胞研究」に今年も寄付したします。

 

美術評論家/美術ソムリエ 岩佐倫太郎

 

■ゴッホの自然観は、一木一草に宇宙の生命を感得する日本的な哲学と通じていないか?■  

前回、ファン・ゴッホの拳銃による自死は、死ぬことによって普遍を獲得し、永遠を生きようとする

――ヨハネ福音書における麦の粒のように――殉教的行為であると言う自説を開陳させ

て頂きました。もし、そうであれば、またもや発想が飛躍すると言われるかもしれませんが、

豊饒の海4部作を書いて、永遠と輪廻転生を願い自決した三島由紀夫のことを思わず

にいられないのです。これまで僕は、三島の事件を文学と現実を取り違えた錯誤的な振る

舞いとして冷淡でしたが、ゴッホ自死を僕の絵画体験として通過してみると、今更ながら

三島に憐憫というか愛惜の情が湧くのに気づかされます。ゴッホと三島、僕には何か二人

の自決には、似たものを感じています。

                            ●

その辺の僕の説の採否はご自由ですが、ともかく、いま東京・六本木の国立新美術館で開

催中の、「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」の話。《日没を背に種まく人》のほかにも、印象派

とポスト印象派のレベルの高い優品が招来されて、見ごたえのある企画展になっています。

しかも日本初も多い。そのなかでもとくに充実していたように思うのがゴッホの部屋でしょう。                         

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《花咲くマロニエの枝》ゴッホ 1890年 油彩 カンバス ©Foundation E.G. Bührle Collection,

Zurich (Switzerland) Photo: SIK-ISEA, Zurich (J.-P. Kuhn)

 

ファン・ゴッホは花の絵の名手で、向日葵だけでも10点以上描いていますが、この上の《花咲く

マロニエの枝》なども、一見地味なんですが傑作で、今展の見るべき一点だと思います。

1890年、つまり彼が自死する年に、終焉の地となったパリ北郊のオヴェール・シュル・オ

ワーズで描かれました。冴え冴えとして澄み切った画調は、もうどこか自分がこの世に亡

きものとして、天上的な慈愛をもって地上の生命の営みを眺めているようにも思えます。

ゴッホは耳切事件からあとの1年半ほどに、最も画家として充実し旺盛な作家活動をして

います。この時代の作品群は、何か突き抜けてしまっていて、美術史的にとても重要です。

画像に含まれている可能性があるもの:植物、屋外、水  cid:image004.jpg@01D3C79E.20D66CC0                  

モネ《睡蓮の池 緑の反映》 ピエール=オーギュスト・ルノワール《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)》1880©Foundation E.G. Bührle Collection, Zurich (Switzerland)

 

さて、最後に今回の最大の目玉でもある大作のモネの《睡蓮》や、ルノワールの少女像も

ご紹介しておきましょう。《睡蓮》は横幅4メートルを越す作品。オランジュリー美術館のそ

れをほうふつさせます。主人公も無く、物語も無く、何の思想も無いと言えば無いのですが、

有るのはただ即物的な光と影と色。俳句的にも見えますが、これ程非情な世界もまた無い。

                             ●

まあ、印象派の弱点と思われていることが、すべてさらけ出されています。しかしそれが故

に、逆に次の時代の抽象画の世界に橋を架けていたと、今になって判らせてくれる作品で

もあります。制作年を見ると19201926とありますので、死ぬまでこの絵を手元に置いて、

最後まで手を入れていた遺愛の作品ではないでしょうか。この1点だけは会場で撮影が可

能です。

また、ルノワールの職業画家としての技術の頂点を示した、《イレーヌ・カーン・ダンヴェール

嬢(可愛いイレーヌ)》も忘れがたい作品です。巨匠のろうたけた筆さばきの見事さに、陶然

とさせられます(ビュールレ・コレクションの項、完)。

 

バックナンバーはhttp://iwasarintaro.hatenablog.com/ でもご覧いただけます。

 

岩佐倫太郎 美術評論家 美術ソムリエ 

 

白鷹禄水苑文化アカデミー連続講座のお知らせ

 

小生が去年から続けている連続講座、「絵の見方・美術館のまわり方」が4月新年度からも継続開

催されます。去年の印象派に加えて新しくバロック絵画や抽象画の見方も講義し、これまで習う事

のなかった美術鑑賞のコツを、分かりやすく解説していきます。途中からの参加も可能です。

お問合せ・お申し込みは、白鷹禄水苑文化アカデミーhttps://hakutaka-shop.jp/academy/

 

  

 

岩佐倫太郎ニューズレター【京都大学講演会◆浮世絵で始まる西洋美術◆ごあんない】1805 NO.195

みなさま

 

健やかな休日をお過ごしのことと存じます。小生、ヴェネツィアルネサンス絵画

を寺院に訪ねる旅から帰ってきました。日本ではつつじが満開、新緑の美しさが

今年はことさらに目に沁みました。さて、京都大学での美術講演会のご案内です。

                         ●

日本の浮世絵が印象派を生んだと言う話を講演会ですると、「うっそー!」

と言う反応が返ってきます。でもこれは本当の歴史的事実です。フランス

の文化大臣だったアンドレ・マルローも、「印象派の人々が浮世絵を発見し

たのでなく、若い才能あるフランスの画家たちが浮世絵を見て印象派を形

成した」と言う旨の証言をしています。

 

所で小生とベルギー在住の美術史家、森耕治先生とのリレー講演も4回目。

去年は、ジャポニスム印象派の発生の話をしましたが、今年はさらに浮

世絵の影響が時代を下って、ゴッホマティスピカソにまで及んでいる

ことを多くのスライドでお見せして話をさせて頂きます。

                         ●

我々は絵の見方と言うものを学校ではほとんど教えてもらっていないので、

大抵のばあい自己流の好き嫌いで絵を見ておられると思いますが、この辺

のツボを押さえておくだけで、美術展に出かけるときにも、海外旅行で美

術館に行った時も、とても理解が広くかつ深くなり、楽しみが増大します。

 

例えば僕が今回担当するゴッホのことをここで少しだけご紹介しましょう。

 

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左は《じゃがいもを食べる人びと》1885年。とても暗いですね。間違うと

社会主義リアリズムのような絵です。右は《タンギー爺さん》で1887年。

この色の弾け方や、平面的な表現は、ゴッホがパリに出て、多くの浮世絵に

出会うことで生まれました。その頃のヨーロッパの都市は日本ブームでした。

背後のワッペンみたいにちりばめられた浮世絵は彼の日本への憧れのオマー

ジュです。彼は広重にも傾倒し、《亀戸梅屋敷》などの模写を行っています。

浮世絵の豊かな色彩や遠近法の自在さにゾッコンだったわけです。そのあと、

ゴッホはさらに日本の多神的自然観も学び、宗教的な画境を深め、《星月夜》

のような、宇宙と共振するようかのような畢竟の名作を生みだします。

                          ●

とまあこんな話など浮世絵を源として西洋美術が発展したことを、モネやマ

ティス、ピカソなどに即して交替で話させて頂きます。美術ファンの皆さま

にご参加いただければ幸いです。

 

 

■美術対談講演会@京都大学時計台

モネ・ゴッホマティスからピカソまで

浮世絵で始まる西洋美術

 

715日(日)14時から16  京都大学時計台・国際交流ホール 100

 

17時からは時計台下にあるフレンチ・レストラン「ラ・トゥール」で

立食パーティを開きます(任意参加で、定員は60名までです)。

■会費 講演会のみ4千円、パーティとも1万円(含消費税)領収書発行

■お申し込みはこのメールにご返信ください。またはiwasarintaro@gmail.com

追ってお振り込みのご案内を致します。

 

※なおこのシリーズでは、学生招待枠を設けています。学生の方は無料です。

お申し込みください。また収益の一部を京都大学基金を通じて「山中伸弥

先生のIPS細胞研究」に今年も寄付したします。

 

美術評論家/美術ソムリエ 岩佐倫太郎

 

絵画のコレクターで財力と審美眼を兼備する人は珍しいが、ビュールレはその稀有な例外だろう

 東京・六本木の国立新美術館に、「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」が来ています。絵の説明に入る前に、このたぐいまれな審美眼とお金儲けの才能を兼備した人物のことを書いておきましょう。エミール・ゲオルク・ビュールレ(1890-1956年)はドイツ人で、スイスに移住した大実業家です。学生時代に美術史を学び、その後、武器を軍に売るビジネスで成功して、そこで得た潤沢な資金をつぎ込んで、印象派とポスト印象派を中心にしたプライベート・コレクションを作り上げます。死去ののち、遺族がチューリヒの遺邸を美術館としてオープン。モネ、ルノワールゴッホセザンヌなど、フランス印象派とポスト印象派の巨匠たちの名画を所蔵する、美術史的にも重要な美術館として高い評価を得てきました。

                     ●

そこで僕が思い出すのは、ポーラ美術館の鈴木常司(すずき つねし1930-2000)のことです。化粧品会社の2代目ですが、箱根で彼が蒐集した作品の数々を見ると、コレクションとはコレクターによるひとつの創造行為であることを深く実感せずにおれません。恐らく彼は日々の苛烈なビジネス活動や企業経営の困難の中で、心の中に絵に対する激しい渇望が生れ、絵による癒しや対話、静寂の回復などを切実に願っていたと思うのです。このビュールレも同様に絵に対する内面的必然が感じられ、それゆえ選択眼も確かで、作品の買い方にも、画商に言われるがままの旦那買い、などとは違って一本筋が通っています。

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《日没を背に種まく人》フィンセント・ファン・ゴッホ 1888年 油彩 カンバス ©Foundation E.G. Bührle Collection, Zurich (Switzerland)
Photo: SIK-ISEA, Zurich (J.-P. Kuhn)

 僕が強く惹かれてやまない上のファン・ゴッホの《日没を背に種まく人》など、そのコレクションの代表選手ではないかと思われます。去年オランダのゴッホ美術館からもほぼ同じ絵画が来たので、そちらの方をすでにご覧になった方も多いかもしれない。以下、その時の解説と重複するのをお許しいただくと、カンバスの真ん中を大胆に断ち切るのは、当時の西洋画アカデミズムでは到底考えられない、大胆不遜な構図の樹木の幹。ゴッホかつて憧れて模写までした広重の《亀戸梅屋敷》の臥竜梅の再引用です。ミレーの種まく人を下敷きに、浮世絵との重ね技により、グラフィックで象徴的で、どこか宗教的な法悦感さえ漂わせる画法に成功しています。美術史的にも貴重な作品といえます。

          ●

またこの作品を思想的に考えると、僕の理解では、ファン・ゴッホは聖書のヨハネ福音書を重ね合わせているように思います。つまり、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」と言う一節です。ゴッホは自分が死ぬことで、エスのように永遠の命と普遍を獲得するのだと言う決意を、ここで表明しているのではないか。彼はプロテスタントなのでゴーギャンのようにあからさまな聖像は描けないものの、もしそう考えるなら、これは隠された聖人画(=イコン)であり、種まく人はイエスであり、同時にゴッホである、と言う解釈が成り立つ訳です。実際に、ゴッホはこの2年後、自らの脇腹を短銃で撃って、自死に至ります。ゴッホは自ら殉

教し永遠の命を得ようと狂想していた、その覚悟を早くもこの絵で表明していると見るのは異端に過ぎる読みでしょうか。僕には種まく人の頭にかかる黄色い太陽が、聖人を指し示すニンブス(=光輪)に見えてしょうがないのです(つづく)。                       

 

 

 

左下の《肖像》を見て感じるのは、嫌悪?興味?森村泰昌の作品は、身体を賭したゴッホ批評だ。

京都国立近代美術館での「ゴッホ展」は終わってしまいました。見どころの多い企画展で、僕ゴッホの画法の変遷や宗教観を考察する機会を得て、充実した余韻がまだ残っています。しかしながら、なおもニューズレターに書き残した気がかりが一つある。それは、4階に関連展示されていた森村泰昌(もりむらやすまさ)の作品の事です。

                          

cid:image001.jpg@01D3BF5E.821F5980ゴッホ 耳を切った自画像 に対する画像結果

森村泰昌《肖像/ゴッホ》カラー写真1985年  右;ゴッホ包帯をしてパイプをくわえた自画像18891

 

美術ファンならこの人の名は聞いたことがあるかもしれない。作品をご覧になった方も多いだろう。例えば上の左。今展には出品されていませんでしたが、1985年、森村の作家としての評価を決定づけた、実質デビュー作にして記念碑的な作品です。パロディというにはシリアスで、「なりすまし」と表現するのも舌足らず。僕も最初、ギョロギョロとした眼(写真)に見つめられ、嫌悪を感じながらも気になって目が離せないという、混乱した反応を示したのは事実です。幸運にも(あるいは運悪く)この作品を目にした人は誰しも、アタマをかく乱され、痺れさせられ、いつの間にか美の狩人である森村が仕掛けた毒の罠に自分が落ちているのに気づくでしょう。

そこから逃れ得るのは、よほど保守的で権威的な美術鑑賞の精神の持ち主だけかな。でも、うかうかと嵌まってしまった穴の底に立ったならば、人は広がる青空を見上げながら、「ああ、自分はゴッホになったぞ」、と森村の喜びを自分もまた追体験することになるのです。最近になって僕は、ゴッホの針金がいっぱい突き出したような黒い帽子が、イエスの荊冠であるとの森村の解釈を知り、「ゴッホ自死は殉教」とする僕の考えと合致したので大いに驚きました。

                         ●

今さらながらではありますが、美術鑑賞とは、見る側の創造行為である――。森村作品を見ることは、権威主義の埃りを払い自分の美術を見る眼(脳)を新しくすることに他なりません。その体験は、自由とイノセントな気分にあふれ、何とちょっとクセになるかもしれない代物なのです。

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右;《自画像の美術史(ゴッホの部屋を訪れる)》 カラー写真 作家蔵

 

さて、それでは、今展に出品された森村作品をもう一度回顧して見ましょう。左はゴッホの部屋の再現。撮影セットです。右はそこに自身が入り込みゴッホに扮して撮影したセルフポートレートちなみに壁にかかった絵も自らがゴッホに扮した作品です。何という純なゴッホへの直截なアプローチ!身ぐるみゴッホにダイブした、とも言えるか。彼は「絵の中に自分が入ってみたかった」そうですが、無垢な暴力性に満ちた、この作家の自由な創造を僕は讃嘆せずにおれません。

                    

さて、森村泰昌は他にも、三島由紀夫やマドンナ、マネの《オランピア》などの名画の主人公に扮して数々の話題にとんだある意味、挑発的な作品を発表し続けてきました。今や日本を代表する作家で、2008年には芸術選奨文部科学大臣賞、2011年は毎日芸術賞紫綬褒章なども受賞。この前、僕は訳あって中学・高校の文部省検定の、美術の全教科書を調べた時のこと、大阪の出版社の高3の美術教科書に、森村作品が掲載されているのを発見しました。見るべきところを見ている人もいると言うことです(ゴッホの項全6回、完)。

 

ゴッホの自画像は、隠されたイエス・キリスト像である、と言うと驚かれるだろうか

ことのほか自画像を好んで描いたゴッホ。いま試しに、ファン・ゴッホ美術館公認のウェブ・サイトで数えてみると、全部の油絵作品の約860点のうち、自画像はなんと32点!ことにパリに出て来た翌年の1887年は、集中的に自画像を描いています。モデルを雇うお金がなかったのも事実ですが、動機はそれだけではないもっと深いところにあります。

  •                                    

いったい、この年、ゴッホの身に何があったか。想像するに、前年パリに来て浮世絵に出会い、自分の世界観を根本的に変えるほどの大カルチャーショックを受けた。《亀戸梅屋敷》など広重の模写をしたのもこの時。浮世絵のゴッホへの影響は、単なるエキゾティズムや平板な遠近法などの画法だけでは済みませんでした。宗教的な思想家でもあったゴッホは、「北斎漫画」や広重の「新撰花鳥尽」などを目にして、動植物や昆虫も生命として等価に扱われる汎神論的な世

界の豊かさにも激しく感受性をゆすぶられ、日本の精神性に憧れたに違いないのです。神経の被覆をむき出しにして生きているようなゴッホのことですから、一木一草も太陽をも敬う精神に感応し、それが《種まく人》や《ひまわり》などの作品に反映したのではないでしょうか。

弟への手紙でも、「あたかも己れ自身が花であるかのごとく、自然のなかに生きるこれらの日本人がわれわれに教えてくれることこそ、もうほとんど新しい宗教ではあるまいか」と書いています。

                           

さて、僕の論考はさらに進みます。ゴッホの自画像は自画像で済まない。僕の自説では、驚かれるかもしれませんが、「ゴッホは自画像を通じて、イエスを描いている!」なんです。

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《画家としての自画像》 1887/88年 ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵 © Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation

 

ゴッホ偶像崇拝を否定するプロテスタントなので、ゴーギャンのようにお気楽に、《黄色いキリスト》のようなあからさまな聖像は描けない。伝道師として失敗した彼は、今度は絵画を通じて福音の種を播く宗教家になろうと決断したのではないか。しかし先駆者の常として彼もまた世に容れられず、絵は売れず苦しみのみが立ちはだかる。そんなときに、わが身もまたイエスのように、幾多の困難と迫害を乗り越え、仮りに身を亡ぼすとも、滅ぼすことによってイエスのように永遠を獲得できる、と自らを慰謝したのではないでしょうか。ゴッホの自画像は、覚悟をすでに胸に秘め、聖人に連なろうとする決断の表現であったとも理解できます。ゴッホとイエス二重写しとなって、実は隠された聖像を描いていた、と読める訳です。

                             

そうすると最晩年の自傷、そして自死事件も、磔刑によって死に、復活するイエスの生涯に、わが身をなぞらえた殉教だったと考えるべきではないか。そうすると辻褄が合ってきます。ベルギー在住の美術史家、森耕治先生の著作、「ゴッホ、太陽は燃え尽きたか」(インスピレーション出版)によれば、自死に使ったピストルは口径7ミリの護身用で殺傷能力は非常に低いものだったそうです。その玩具的な銃で自分の脇腹を撃った。僕はこの事実を知ったとき、ゴッホは緩慢な死を望んでいたのだと気づきました。なぜなら、その方が十字架の上で苦しみながら死んで行ったイエスに、より真正に寄り添う事ができると考えたからではないでしょうか。またその方が数々の名画や彫刻のピエタのように、哀悼に包まれた自分を生きながらにして感知できる、と思ったからではないでしょうか。  

                                                                                      

ゴッホ展(京都会場)は、3月4日まで。岡崎の国立近代美術館にて開催中。