絵画のコレクターで財力と審美眼を兼備する人は珍しいが、ビュールレはその稀有な例外だろう

 東京・六本木の国立新美術館に、「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」が来ています。絵の説明に入る前に、このたぐいまれな審美眼とお金儲けの才能を兼備した人物のことを書いておきましょう。エミール・ゲオルク・ビュールレ(1890-1956年)はドイツ人で、スイスに移住した大実業家です。学生時代に美術史を学び、その後、武器を軍に売るビジネスで成功して、そこで得た潤沢な資金をつぎ込んで、印象派とポスト印象派を中心にしたプライベート・コレクションを作り上げます。死去ののち、遺族がチューリヒの遺邸を美術館としてオープン。モネ、ルノワールゴッホセザンヌなど、フランス印象派とポスト印象派の巨匠たちの名画を所蔵する、美術史的にも重要な美術館として高い評価を得てきました。

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そこで僕が思い出すのは、ポーラ美術館の鈴木常司(すずき つねし1930-2000)のことです。化粧品会社の2代目ですが、箱根で彼が蒐集した作品の数々を見ると、コレクションとはコレクターによるひとつの創造行為であることを深く実感せずにおれません。恐らく彼は日々の苛烈なビジネス活動や企業経営の困難の中で、心の中に絵に対する激しい渇望が生れ、絵による癒しや対話、静寂の回復などを切実に願っていたと思うのです。このビュールレも同様に絵に対する内面的必然が感じられ、それゆえ選択眼も確かで、作品の買い方にも、画商に言われるがままの旦那買い、などとは違って一本筋が通っています。

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《種まく人》ゴッホ 1888年 油彩 カンバス ©Foundation E.G. Bührle Collection, Zurich (Switzerland)
Photo: SIK-ISEA, Zurich (J.-P. Kuhn)

 僕が強く惹かれてやまない上のゴッホの《種まく人》など、そのコレクションの代表選手ではないかと思われます。去年オランダのゴッホ美術館からもほぼ同じ絵画が来たので、そちらの方をすでにご覧になった方も多いかもしれない。以下、その時の解説と重複するのをお許しいただくと、カンバスの真ん中を大胆に断ち切るのは、当時の西洋画アカデミズムでは到底考えられない、大胆不遜な構図の樹木の幹。ゴッホかつて憧れて模写までした広重の《亀戸梅屋敷》の臥竜梅の再引用です。ミレーの種まく人を下敷きに、浮世絵との重ね技により、グラフィックで象徴的で、どこか宗教的な法悦感さえ漂わせる画法に成功しています。美術史的にも貴重な作品といえます。

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またこの作品を思想的に考えると、僕の理解では、ゴッホは聖書のヨハネ福音書を重ね合わせているように思います。つまり、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」と言う一節です。ゴッホは自分が死ぬことで、エスのように永遠の命と普遍を獲得するのだと言う決意を、ここで表明しているのではないか。ゴッホプロテスタントなのでゴーギャンのようにあからさまな聖像は描けないものの、もしそう考えるなら、これは隠された聖人画(=イコン)であり、種まく人はイエスであり、同時にゴッホである、と言う解釈が成り立つ訳です。実際に、ゴッホはこの2年後、自らの脇腹を短銃で撃って、自死に至ります。ゴッホは自ら殉

教し永遠の命を得ようと狂想していた、その覚悟を早くもこの絵で表明していると見るのは異端に過ぎる読みでしょうか。僕には種まく人の頭にかかる黄色い太陽が、聖人を指し示すニンブス(=光輪)に見えてしょうがないのです(つづく)。                       

 

 

 

左下の《肖像》を見て感じるのは、嫌悪?興味?森村泰昌の作品は、身体を賭したゴッホ批評だ。

京都国立近代美術館での「ゴッホ展」は終わってしまいました。見どころの多い企画展で、僕ゴッホの画法の変遷や宗教観を考察する機会を得て、充実した余韻がまだ残っています。しかしながら、なおもニューズレターに書き残した気がかりが一つある。それは、4階に関連展示されていた森村泰昌(もりむらやすまさ)の作品の事です。

                          

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森村泰昌《肖像/ゴッホ》カラー写真1985年  右;ゴッホ包帯をしてパイプをくわえた自画像18891

 

美術ファンならこの人の名は聞いたことがあるかもしれない。作品をご覧になった方も多いだろう。例えば上の左。今展には出品されていませんでしたが、1985年、森村の作家としての評価を決定づけた、実質デビュー作にして記念碑的な作品です。パロディというにはシリアスで、「なりすまし」と表現するのも舌足らず。僕も最初、ギョロギョロとした眼(写真)に見つめられ、嫌悪を感じながらも気になって目が離せないという、混乱した反応を示したのは事実です。幸運にも(あるいは運悪く)この作品を目にした人は誰しも、アタマをかく乱され、痺れさせられ、いつの間にか美の狩人である森村が仕掛けた毒の罠に自分が落ちているのに気づくでしょう。

そこから逃れ得るのは、よほど保守的で権威的な美術鑑賞の精神の持ち主だけかな。でも、うかうかと嵌まってしまった穴の底に立ったならば、人は広がる青空を見上げながら、「ああ、自分はゴッホになったぞ」、と森村の喜びを自分もまた追体験することになるのです。最近になって僕は、ゴッホの針金がいっぱい突き出したような黒い帽子が、イエスの荊冠であるとの森村の解釈を知り、「ゴッホ自死は殉教」とする僕の考えと合致したので大いに驚きました。

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今さらながらではありますが、美術鑑賞とは、見る側の創造行為である――。森村作品を見ることは、権威主義の埃りを払い自分の美術を見る眼(脳)を新しくすることに他なりません。その体験は、自由とイノセントな気分にあふれ、何とちょっとクセになるかもしれない代物なのです。

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右;《自画像の美術史(ゴッホの部屋を訪れる)》 カラー写真 作家蔵

 

さて、それでは、今展に出品された森村作品をもう一度回顧して見ましょう。左はゴッホの部屋の再現。撮影セットです。右はそこに自身が入り込みゴッホに扮して撮影したセルフポートレートちなみに壁にかかった絵も自らがゴッホに扮した作品です。何という純なゴッホへの直截なアプローチ!身ぐるみゴッホにダイブした、とも言えるか。彼は「絵の中に自分が入ってみたかった」そうですが、無垢な暴力性に満ちた、この作家の自由な創造を僕は讃嘆せずにおれません。

                    

さて、森村泰昌は他にも、三島由紀夫やマドンナ、マネの《オランピア》などの名画の主人公に扮して数々の話題にとんだある意味、挑発的な作品を発表し続けてきました。今や日本を代表する作家で、2008年には芸術選奨文部科学大臣賞、2011年は毎日芸術賞紫綬褒章なども受賞。この前、僕は訳あって中学・高校の文部省検定の、美術の全教科書を調べた時のこと、大阪の出版社の高3の美術教科書に、森村作品が掲載されているのを発見しました。見るべきところを見ている人もいると言うことです(ゴッホの項全6回、完)。

 

ゴッホの自画像は、隠されたイエス・キリスト像である、と言うと驚かれるだろうか

ことのほか自画像を好んで描いたゴッホ。いま試しに、ファン・ゴッホ美術館公認のウェブ・サイトで数えてみると、全部の油絵作品の約860点のうち、自画像はなんと32点!ことにパリに出て来た翌年の1887年は、集中的に自画像を描いています。モデルを雇うお金がなかったのも事実ですが、動機はそれだけではないもっと深いところにあります。

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いったい、この年、ゴッホの身に何があったか。想像するに、前年パリに来て浮世絵に出会い、自分の世界観を根本的に変えるほどの大カルチャーショックを受けた。《亀戸梅屋敷》など広重の模写をしたのもこの時。浮世絵のゴッホへの影響は、単なるエキゾティズムや平板な遠近法などの画法だけでは済みませんでした。宗教的な思想家でもあったゴッホは、「北斎漫画」や広重の「新撰花鳥尽」などを目にして、動植物や昆虫も生命として等価に扱われる汎神論的な世

界の豊かさにも激しく感受性をゆすぶられ、日本の精神性に憧れたに違いないのです。神経の被覆をむき出しにして生きているようなゴッホのことですから、一木一草も太陽をも敬う精神に感応し、それが《種まく人》や《ひまわり》などの作品に反映したのではないでしょうか。

弟への手紙でも、「あたかも己れ自身が花であるかのごとく、自然のなかに生きるこれらの日本人がわれわれに教えてくれることこそ、もうほとんど新しい宗教ではあるまいか」と書いています。

                           

さて、僕の論考はさらに進みます。ゴッホの自画像は自画像で済まない。僕の自説では、驚かれるかもしれませんが、「ゴッホは自画像を通じて、イエスを描いている!」なんです。

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《画家としての自画像》 1887/88年 ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵 © Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation

 

ゴッホ偶像崇拝を否定するプロテスタントなので、ゴーギャンのようにお気楽に、《黄色いキリスト》のようなあからさまな聖像は描けない。伝道師として失敗した彼は、今度は絵画を通じて福音の種を播く宗教家になろうと決断したのではないか。しかし先駆者の常として彼もまた世に容れられず、絵は売れず苦しみのみが立ちはだかる。そんなときに、わが身もまたイエスのように、幾多の困難と迫害を乗り越え、仮りに身を亡ぼすとも、滅ぼすことによってイエスのように永遠を獲得できる、と自らを慰謝したのではないでしょうか。ゴッホの自画像は、覚悟をすでに胸に秘め、聖人に連なろうとする決断の表現であったとも理解できます。ゴッホとイエス二重写しとなって、実は隠された聖像を描いていた、と読める訳です。

                             

そうすると最晩年の自傷、そして自死事件も、磔刑によって死に、復活するイエスの生涯に、わが身をなぞらえた殉教だったと考えるべきではないか。そうすると辻褄が合ってきます。ベルギー在住の美術史家、森耕治先生の著作、「ゴッホ、太陽は燃え尽きたか」(インスピレーション出版)によれば、自死に使ったピストルは口径7ミリの護身用で殺傷能力は非常に低いものだったそうです。その玩具的な銃で自分の脇腹を撃った。僕はこの事実を知ったとき、ゴッホは緩慢な死を望んでいたのだと気づきました。なぜなら、その方が十字架の上で苦しみながら死んで行ったイエスに、より真正に寄り添う事ができると考えたからではないでしょうか。またその方が数々の名画や彫刻のピエタのように、哀悼に包まれた自分を生きながらにして感知できる、と思ったからではないでしょうか。  

                                                                                      

ゴッホ展(京都会場)は、3月4日まで。岡崎の国立近代美術館にて開催中。

ジャポニスムの巨匠、ゴッホ。単なる異国趣味を越え、深い日本の精神を理解した画家だ

江戸の人々が好んだものは、花見に旅行、そして芝居、風呂。まあ、なんとも羨ましいリタイア後の理想のような生活を、皆がしていたんですね。6人に一人がお伊勢参りに出かけたという記録もあります。大した現金収入や貯金があったとは思わないのに・・。200年以上戦争がなく、物価も安定して将来のことが心配ないとなれば、かくも人間は豊かに文化的に暮らせるものなのか!

なかでもお殿様から長屋の庶民に至るまで、江戸人の花好みはよく知られていて、「江戸の花見は、梅に始まり菊に終わる」と言われています。現代では花見と言うと、ほぼ桜のことになってしまいますが、この時代は花の美に貪欲でした。イギリスのフォーチュンというプラント・ハンターが幕末の日本にやってきて、「日本人は庶民まで花を愛でる、これは文化度が高い国民の証拠だ」と手放しの称賛を日記に残しています。花の中でも、江戸の終わりにブームとなったのは「菖蒲」で、各地に菖蒲園が生まれます。左下の広重なども、そうした時代の嗜好に応えたものでした(今展には出品されていませんのでご注意)。

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《名所江戸百景 堀切の花菖蒲》1857年 広重 《アイリスの咲くアルル風景》1888年ファン・ゴッ

ホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵 © Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation

 

さてゴッホの話です。ゴッホが弟のテオを頼ってパリに出てきたのが1886年ゴッホはこの花の都で大量の浮世絵に出会ったことで、大きな衝撃を受けます。画商ビングの店の屋根裏では、1万点に上る浮世絵があったと、ゴッホは手紙にしたためています。たちまち熱病のように浮世絵に取り

つかれて、ゴッホはコレクターとなり、集めた枚数は何と660枚。また、翌1887年には有名な広重の《亀戸梅屋敷》などの模写を3点、描き上げます。

プロテスタントの牧師の息子で、オランダ時代は暗い絵ばかり描いていたゴッホにとって、色彩豊かで、アカデミズムの教条的な画法から自由な浮世絵は、まさに憧れの桃源境に出会った思いだったことでしょう。こんなに自由で美しい世界があっていいのか、とそれまでの自分の宗教倫理や謹直すぎる絵画観を吹き飛ばす、大事件を経験した訳です。

事実ゴッホはそこから大きく、まるで別人になったかのように画風を変えていきます。上の、1888年のアルルに移った年に描いた《アイリスの咲くアルル風景》もその一例。ジャーマン・アイリスの花畑のかなたにパリで見た広重の浮世絵の花菖蒲を連想し、憧れの日本への思いを募らせた作品です。

ゴッホはガラス工芸のエミール・ガレと並んで、ジャポニスムの巨匠です。初期の模写の段階から進化して、たちまち浮世絵師の一木一草を崇拝する日本的な自然観を受け容れ、自分の画法を変化させていくだけの思想的な幅広さと柔軟な思考力を持っていた教養人だと思います。彼は手紙でこんなふうに言っています。大意を記すと

「日本の芸術を研究すると、賢明で、達観していて、知性の優れた人物に出会う。彼が研究するの

はたった一茎の草だ。しかし、この一茎の草(の描画法)が、やがては彼にありとあらゆる植物を、つ

いで四季を、風景の大きな景観を、最後に動物、そして人物を素描させることとなる。

あたかも己れ自身が花であるかのごとく、自然のなかに生きるこれらの日本人がわれわれに教えてくれることこそ、もうほとんど新しい宗教ではあるまいか」

 

一行目の「人物」とは広重や北斎を指しています。彼の宗教は基本はプロテスタントでありながら、ここにも記されているように、同時に一木一草に神性を見出す日本の汎神論的な自然観やまた太陽信仰さえも思想の中に混然一体として取り込んでいます。彼に狂人のレッテルを張り、そういう絵だと見るのは間違っています。そう解釈すると、そこで思考も鑑賞も止まってしまう。ゴッホほどわが身を顧みず全身全霊を賭して、太陽、月、大地など宇宙の万象と震えるような交感ができた画家は他にいないでしょう。

彼の絵は、思索家としてのゴッホがたどり着いた独自の境地の、信仰告白であり遺言ともいえるのです。

 

ゴッホ展(京都会場)は、3月4日まで。岡崎の国立近代美術館にて開催中。

 

岩佐倫太郎 美術評論家 美術ソムリエ  

ゴッホの《種まく人》の「種」とは一体何なのか?僕の推理は、あまりにも奇説に過ぎるだろうか

気になって来た疑問は、秋に行うべき小麦の播種を梅の咲く春に行った絵を描いて可笑しくな

いか、と言うこと。それに対する考えのひとつは、この梅は単にコラージュだから、季節が不整

合でも構わない、梅は春、小麦を播くのは秋、別に絵だからいいじゃないかと言うものでしょう。

これでよければ何の問題も無いですが、そこまで時間や空間を無視して絵を描く絵の文法が

この時代にあったかと言うことです。のちの例えばシャガールのように時間や空間を無視し、空

を飛ぶことも辞さない時代にはまだ早かったし、ゴッホ自身にもそんなほかの作例もありません。

 

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《種まく人》1888年 ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵

© Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundatio

 

と、こんなことを書いていたら、先のニューズレターを読んだ二人の友人・知人から「春まき小麦

と言うのもありますよ」と親切なご指摘を頂きました。迂闊だったがそうだったのか。我ながら自

分の無知にあきれて肝を冷やした次第。もし、この絵が春播き小麦ならば、季節は一致する。と

なると僕の推論の論拠の半分は脆弱になるわけです。さあ果たして19世紀後半のフランスなり

北ヨーロッパで、春まき小麦はあったのか、またそれは農家において優勢だったのかどうか。今

後の検討課題にさせて頂きたいと思っています。また、その辺の農業事情に詳しい方が読者に

おられたらご教示をお願いしたいものです。

                        

その問題はいったん保留するにして、もう一点、僕がこの絵で大きな疑問を感じているのは、描

かれた種の大きさです。小麦にしては少し大きすぎやしないか、と言うことです。その疑問にも、

「いや、ゴッホ象徴主義に早くも近づいていた証拠で、デフォルメですよ!」と言う言い方も成り

立つかもしれません。ただ、ミレーの絵では定かに見て取れなかった種を、はっきり長めの大き

な種として描き、しかも先端が夕日に照らされて、まるで喜々として土に戻っていくような、特別な

思いを込めた精細さの表現を取っている。なので、これをただの小麦として見過ごしていいのか、

もっと別の画家の意思があるのではないかと想像させ、その点でも疑問に思う訳です。

                           

それでは、この大きめの種を蕎麦と見立てたらどうなのか。そんなことも考えてみました。蕎麦

は日本だけでなく、世界中で栽培され、フランスでは北西部にあるブルターニュのそば粉を使っ

た料理のガレット(クレープ)がよく知られていますから。飢饉に備える耐荒作物として、成長が

早く災害に強い蕎麦を、篤実な農夫が小麦栽培の隙間に播いているとは見れないか――。た

だその仮説は、果たして南仏で蕎麦を栽培するのか、蕎麦の作付ももう少し遅い時期ではない

のか、と言うことを考えると、我ながらどうも自信がない。

                           

結論として、僕はこの「種」を直感的な解釈ではありますが、ここで播かれているのは向日葵だ

と推論してみました。地中海一帯でよく見られる向日葵畑の作付ではないかと思うのです。これ

なら季節的に大きな齟齬も無いだろうし、大きさも納得性があります。そう言う農業がこの時代、

この地域で有ったとの前提ではありますが。

ゴッホにとって、向日葵の存在は万物の発芽や成長、成熟をつかさどる太陽の、この地上にお

ける化身のようなものではなかったか。向日葵が彼がことのほか愛した特別な思い入れのある

花だったことは、向日葵をこの絵と同年の1888年に、8点も描いている事からも想像つきます。

ひょっとしてゴッホが、この大地を自分が崇敬する太陽の分身=向日葵で満たそうと言うあまり

にも詩的にして狂想的な夢に取りつかれていたとしたら・・。もしそうならば、この《種まく人》の

絵とその前後に描かれた向日葵の絵とは、ゴッホの中で一つの物語りとして起伏し、一見バラ

バラに見えた絵と絵は、彼が偏愛した黄色い太陽光線で分かちがたく結びついていると見る見

方もできる訳です。

 

 

ゴッホ展(京都会場)は、3月4日まで。岡崎の国立近代美術館にて開催中。

 

岩佐倫太郎 美術評論家 美術ソムリエ  

 

ゴッホの《種まく人》の種とはいったい何なのか?名画の中の「種」を巡って、僕の疑問は尽きない

最初にお断りですが、左下のミレーの《種まく人》は、今回の国立近代美術館の「ゴッホ展――巡りゆく日本の夢」には来ていません。話を進める都合上ボストン美術館の画像を借用して掲出したもの。時々間違って、「無かったじゃない」とおっしゃる方が居るのでどうかご注意下さい。 

  

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右;《種まく人》1888年 ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵© Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundatio

 

さて、今回の本題です。ゴッホ展で僕が一番気に入っている《種まく人》ですが、見るほどに不思議に思えて来る。いったい農夫は何の「種」を播いているのか?と。左のミレーのばあい、播いているのは「小麦」という解釈でいいでしょう。バルビゾンの村での写生がもとでしょうが、季節は当然、秋。秋に播いて春に収穫するのが小麦です。冷涼なヨーロッパの冬にしっかり育って、一粒がそれこそ聖書にもあるように何十倍にもなって実るのですから、これほど有り難い穀物はない。                          農夫はフランスのうねる大地で、丘の上だけ光が残る秋の夕暮れに、まだ種播きを止めません。働き者でおそらく信仰厚き農夫の、大地への感謝に生きる敬虔な姿が、見る人の心を打ちます。

 

当然ながら、この絵の背後にキリスト教徒なら、「一粒の麦、もし死なずば・・」以下のヨハネ福音書の自己犠牲と救済の言葉も、反芻しながら二重に意味を読み取っているはずです。ミレーはいつも物語を戦略的に仕掛けるのがうまくて、このばあい農民画はそのまま格調高い宗教画ともなっています。この辺が、ミレーが世界的に人気のある秘密でしょう。

                                                          

さあそれでは、いよいよゴッホ版の《種まく人》に移りましょう。東西文化が見事に異融和したこの傑作に、僕はある種の不可解さも感じています。それはまず、この梅の木です。先にもご紹介したように、この木は広重の浮世絵、《亀戸梅屋敷》に由来します。梅はアルルにはなかったでしょうが、南仏では梅の仲間の「バラ科」の花には事欠きません。アンズも桃もそうです。今展でも、まるで日本画のような《花咲くアーモンドの木》が出品されていますが、アーモンドも梅と同じバラ科です。ゴッホは、アーモンドの花などを見て、その向こうに同じバラ科である梅を夢想し、憧れの日本を思慕してこの梅を描いたのでしょう。寒いパリを逃れて憧れの南仏で春を初めて迎え、期待通り日本のイメージに出会えた画家の震えるような歓喜が伝わってきます。

                               

その上で疑問だと思うのは、一体、梅の咲く春に小麦を播く絵があっていいのか、と言うことです。普通に考えればミレーが小麦だから気にしなければ、それを引用したゴッホのも小麦だろう、となりますね。しかしこの季節感が裏腹な感じは、ちょっと解釈が厄介な気がします。では、どう考

えればいいのか。長くなるので次号に分割して自説を展開させて頂きます(続く)。

 

ゴッホ展(京都会場)は、3月4日まで。岡崎の国立近代美術館にて開催中。

 

岩佐倫太郎 美術評論家 美術ソムリエ 

 

■白鷹禄水苑文化アカデミー連続講座のお知らせ

 

小生が去年から続けている連続講座、「絵の見方・美術館のまわり方」が4月新年度からも継続開催されます。これまでの印象派に加えて、新しくバロック絵画や抽象画の見方も講義し、美術開眼のコツをお伝えしていきます。お問合せ・お申し込みは、白鷹禄水苑文化アカデミーhttps://hakutaka-shop.jp/academy/

 

  

ゴッホ版の《種まく人》はいかにして誕生したのか。興味尽きない創作のプロセスと背景を追う

京都の平安神宮に近い国立近代美術館で開催されている「ゴッホ展――巡りゆく日本の夢」。

僕が一番気に入ったのは、この《種まく人》。じぶんでは珍しく複製画まで買ってしまいました。

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《種まく人》1888年 ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵

© Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

 

この絵は誰もが分かるように、ミレーの《種まく人》を下敷きにしています。下の左、ボストン美

術館の所蔵する絵です。ちなみに同じ題の同様の絵が日本の山梨県立美術館にもあります。

《晩鐘》、《落穂ひろい》などでもよく知られ日本人の好きなミレーですが、多くの理解は土と共

に生きる敬虔な農村の暮らしへの共感、くらいで留まっているようです。でもゴッホがこの絵に

感応したのは、そこに込められた宗教的な意味あいです。

                           

もしミレーの絵の発想のもとを、例えば聖書のヨハネによる福音書(12章24、25節)と推定

するなら、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ一粒のままである。だが、死ねば、多くの

実を結ぶ」(共同訳)と記されています。また、そこではこの世での自分の生命を憎む(=惜し

まない)人は、永遠の命に至る、とも語られているのです。

父がプロテスタントの宣教師、自身も若い頃、伝道を目指したゴッホの事ですから、農夫をイ

エスに見たて、播く種をイエスの言葉としてミレーの絵を受け取めることは、きわめて自然です。

ゴッホはさらに、それが地に落ち芽を出し、何十倍となって大地に栄え、永遠の生命を獲得す

ることを、自身でもまた夢想したのではないかと思います。以上が、ゴッホがこの絵を描いた

モチベーションです。しかしながら、一途な宗教的情熱のあまり、その後の痛ましい自傷、自

死事件を引き起こす不穏な動機も、既にこの絵の中に隠されているように僕には思われます。

死ぬことによって、救われて永遠を生きる、そんな狂気じみた願望が見えはしないでしょうか。

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ミレー《種まく人》1850ボストン美術館 歌川広重 名所江戸百景

《 亀戸梅屋敷》1857 

さてそれでは、描画の技法ですが、これはもうゴッホがぞっこんだった広重の《亀戸梅屋敷》から

 

借用しています。下の画像の真ん中は、広重を左右反転して上下をトリミングして見たものです。

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右のゴッホ版《種まく人》と比べるとどうですか、構図が重なり合いますね。それにしても、僕が

この絵に惹かれるのは、全体に何か宗教的な法悦感のようなものを宿していて、微熱を放射して

いるかのように感じるからです。背景の黄緑色は、空の青と太陽の黄色の合成色ですし、今まさ

に沈まんとする太陽は復活を約束された希望でしょう。農夫の頭にかかっていることからも、これ

を宗教画の聖人の頭部を飾る光輪(ニンブス)とゴッホはみなして描いたと僕は考えます。

浮世絵の力を借りて、ゴッホ印象派からさらに前進して、このように近代西洋画の画法に無

いグラフィックで後年の象徴主義にも近づいた絵の文法を発明しました。ゴッホは西洋で浮世

絵の精神を最も先鋭に受け止めた画家と言えます。と、ここまで書いてきて、種まく人の「種」が

何の種なのか、すごく気になりだしました。その考察を次回に(つづく)。

 

ゴッホ展(京都会場)は、3月4日まで。岡崎の国立近代美術館にて開催中。