「この名画はなぜ名画なのか」■ダ・ヴィンチ《最後の晩餐》シリーズ第④回

「この名画はなぜ名画なのか」シリーズ 第④回 ■ダ・ヴィンチ《最後の晩餐》

縦4.6×横8.8m サンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ教会(ミラノ) 1495‐98年

《最後の晩餐》は、ダ・ヴィンチがミラノの寺院の食堂の壁に直接描いた横幅9メートルもある大作です。集団肖像画ですが、それにしては一人一人の動きがあわただしい。というのはイエスが、「この中の一人が私を裏切る!」と爆弾発言をした直後だからです。弟子たちは驚愕し、猜疑の塊となって裏切り者を探し、大混乱に陥ります。ちなみに若い風貌のイエスは、赤と青の聖衣をまとって端然と真ん中にいます。使徒の名を2、3挙げると、(絵に向かって)イエスのすぐ左側が、「イエスに一番愛された」ヨハネ。さらにその隣で師の言葉を聴こうと大きく首を伸ばしているのが、一番弟子のペテロ。そしてイエスを裏切ったユダは、ペテロの手前の色黒の人物です。

この絵が当時の人々に斬新だったと思われるのは、まず立体感のある空間表現です。2次元のフラットな壁に描いた絵なのに、窓の外には山も見えたりして、われわれの頭にも勝手に3次元の奥行きが生成されています。これは一体なぜなのか?それは天才ダ・ヴィンチが自ら大成した一点収束の「遠近法」を使っているからです。近年の補修の時、イエスの右こめかみに釘の痕が発見されました。ダ・ヴィンチはここから糸を張って、壁も天井も規則的な放射状に、つまり見る側からすると一点収束するように描いていたことが判明しました。

作図は©Satoru Ogawa

さらにこの大型壁画を眺めて驚嘆するのは、人間がイコン画などと違って陰影と量感を伴い、彫刻のように表現されていることです。人物群の整理も行き届いて、イエスがアルプスの主峰のように鎮座し、左右には峰々が2つずつ配されて、緊密な構成美を示します。その上でダ・ヴィンチは、弟子たちを手や首の動きで実に雄弁に振り付けています。百年後のカラヴァッジオの登場を予告しているようです。この作品を見て多くの美術史家は、こう美しく結論付けるでしょう。――ダ・ヴィンチは卓越した技で使徒らを眼前に現出させ、イエスと神の人類への愛を、限りなく深遠な信仰心で描いた。だから凄いのだ!

ただ僕の考えは、ちょっと違います。《最後の晩餐》は、実はダ・ヴィンチが宗教画に偽装して描いたプレゼンではないかと思うのです。有名場面を借りて「自分はここまで描けるのだ」と精密な画技と聖書の解釈を誇示し、また空間を描く際の汎用的な原理も、テンプレートとして示しているのです。人体解剖図を繰り返して描き、橋や武器の設計図まで残した科学者に、僕は神への情熱があるとは思えない。彼の《受胎告知》にしても「絵空事」感が見出せます。それでも宗教画にしたのは、異端審問の危険から身を守ろうとしたのでしょう(ちなみにガリレオが地動説で裁判を受けたのはこの10数年後です)。

ダ・ヴィンチ 《受胎告知》 1472-75頃 遠くの山は青い、「空気遠近法」

ルネサンスは神学から科学へ、神から人へと世界観が大反転する時代でした。早すぎた天才ダ・ヴィンチは宗教画を隠れ蓑に、実は自分の信じる科学精神と人間中心主義をギリギリ隠喩的に表明したのです。その背反が埋設され、緊張がみなぎるのがこの絵の凄さだと僕は考えます(次回はカラヴァッジオ)。

岩佐 倫太郎  美術評論家/美術ソムリエ

■FM宝塚のラジオ番組に出てきました。宝塚中央図書館での11・4講演会の告知を兼ねて落語家、笑福亭瓶吾さんとMCのMioさんをお相手に30分。

美術談義や僕の宝塚への思いを語りました。動画も撮って同時にネット配信してます。(422) 2023/10/13 笑福亭瓶吾と愉快な仲間たち【笑福亭瓶吾・mio】 - YouTube

僕が出てくるのはタイマーの2時間30分から(音もそこから出始めます)。


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僕が出てくるのはタイマーの2時間30分から(音もそこから出始めます)。お時間のある方、ご覧ください。