ロンドン・ナショナル・ギャラリー展 ②クリヴェッリ《受胎告知》

■この画家も絵も、思わぬ放浪の運命をたどる。それにしても何と異端な《受胎告知》だろう!■

 

大阪・中之島国立国際美術館で、「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」が始まっている。下の絵のタイトルは《受胎告知》。入り口すぐ左にあって、高さは2メートルを超える。フィレンツェのサン・マルコ美術館のフラ・アンジェリコによる《受胎告知》を知っている人は、なんと異端な画風なのかと驚かれるかもしれない。

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《受胎告知》 カルロ・クリヴェッリ(1430-1495) 1486年

 

一般にルネサンスの画風はフィレンツェのばあい、平明で科学的でリアリズムであるのに対して、こちらのヴェネツィアルネサンスはオリエンタルな装飾性や北方の幻想性など混じって、演劇的だ。そこがまた魅力的で僕も好きなところなのだが、このクリヴェッリの作品にしても、徹底的に高精細かつ装飾的で、少女漫画のようにも見える。また衣服や色遣いにも東方趣味が存分に反映されている。

 

それもそのはずで、この絵の画家、クリヴェッリはヴェネツィア生まれ。若い頃、なんと船乗りの妻を盗み(当時は重罪)同棲したかどで投獄され、出獄後アドリア海を東に渡った今のクロアチアで過ごす。まあ逃亡生活と言っていいだろう。

 

その後、生地には一度も戻ることはなく、ヴェネツィア近郊の町、スクロヴェーニ礼拝堂で有名なパドヴァで絵画工房に勤めたことが確認されている。イタリア東海岸の中部、マルケ州に住んで画名を高め、のち「多翼祭壇画の詩人」として再評価される。多翼祭壇画とは、イエスの生涯を伝えるいくつもの絵が描かれた衝立のようなものだ。クリヴェッリは結果的にアドリア海の、まだ古いビザンチン文化の余光が夕映えのように残っている地域を行き来したことで、特有の画風を生みだした。彼のヴェネツィア派に連なる重厚で華麗な装飾性、シャープに描く演劇性などは、当時の東イタリアの嗜好にかなったものだったのだろう。

 

ちなみにこの絵は、マルケ州アスコリ・ピチェーノという町の「受胎告知教会」の祭壇画として製作されたものだ。少し登場人物の解説をしておくと、まず手を体のまえに交差させ膝まづく右側の女性が、マリア。伝令役の大天使ガブリエルは背中の翼が特徴だから、すぐにお分かりになるだろう。その隣の人物は、アスコリ・ピチェーノ守護聖人。結局、クリヴェッリはこの町で波乱の多い一生を終えることになる。

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大天使ガブリエルと地元の町の守護神、聖エミディウス。精霊は金色の光と白い鳩によって、小窓を抜け、マリアに届く(受胎する)。シュールなSFのような画面。  

 

さて、クリヴェッリの遺した祭壇画のうち、完全な姿で元の寺院に保存されているのはたった2作品しかない。ほかの多くの多翼祭壇画の各ピースは、たいてい解体されて持ち去られる運命となる。特にイタリアではナポレオンの侵攻や独立時の混乱で、クリヴェッリの祭壇画も世界中に散逸した。この作品の縦長で2メートル以上もある尋常でない大きさは、もとは多翼祭壇画の一部であったことの証拠だろう。途中経過は不明だが、19世紀半ばにはロンドンでの売り立て記録があり、1864年にはナショナル・ギャラリーが入手する。祭壇画は額装されて、こうして一般の観覧に供されるようになる。ナショナル・ギャラリーは、この絵にとって流浪の人生ののちに得た安住の地なのである(ロンドン・ナショナル・ギャラリー展は、2021年1月31日まで)。 

 

岩佐倫太郎 美術評論家/美術ソムリエ

 

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参考までにフラ・アンジェリコの《受胎告知》。1437-1446年頃。フィレンツェのサン・マルコ国立美術館で見ることができる。僧坊のある2階に上がる階段の上の壁に描かれたフレスコ画(しっくい画)。横幅3メートルを超す。遠近法についてはフィレンツェヴェネツィアも共通して厳格に一点消失法を守っていて、ルネサンス時代の人々の遠近法に対する熱狂ぶりがうかがえる。