ロンドン・ナショナル・ギャラリー展 ①ウッチェロ《聖ゲオルギウスと竜》

■ウッチェロの《聖ゲオルギウスと竜》に、ヨーロッパ3千年の「物語」を見る■

 

今日11月3日(2020年)から、大阪・中之島の「国立国際美術館」で、「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」が始まっている。一般にこうした企画展では、会場の最初の部分では、めぼしい展示作品が少ないのが通常だが、今回は全く事情が違った。何と僕の好きなウッチェロの、《聖ゲオルギウスと竜》がいちばん最初に掲げられていたのだ。ガン!とショックを受け、嬉しくなってしまった。

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《聖ゲオルギウスと竜》 パオロ・ウッチェロ 1470頃

 

ナショナル・ギャラリーのコレクションが「ルネサンスからポスト印象派まで」の美術史をカバーして、しかもヨーロッパ各国の作品に対して目配りが利き、厚みと教科書性を備えたものであることはよく知られている。今回招来されたのは、61点だがいずれも初来日のものばかり。それを歴史順に展示すると、このようなイタリア・ルネサンス名作が先頭に展示されるという次第になるのだろう。

 

ウッチェロは、ボッティチェルリとほぼ同世代の人。あまりに有名なウフィッツイ美術館が持つ《ヴィーナスの誕生》に比べてもこの作品は、制作年代が10年ちょっと早いだけだ。それにしては、とルネサンス絵画の特質をご存知の方なら、この絵の特異性に驚かれるだろう。まるで絵本の童画を見るようなイノセンス(無垢)な世界。画題そのものは、キリスト教に帰依しない異教徒の象徴、「竜」を聖ゲオルギウスが槍で成敗して調伏し、いけにえの姫を救いだすという物語なのだが。陰惨で奇怪なはずの場面が、ウッチェロの手にかかるとまるでお伽ぎ話のような、あるいは夢の中の出来事のような、無罪な世界になってしまう。僕はそこに強く惹かれてならないのだが、またこの絵の中に、アメリカン・コミックを見るようなスピード感と劇画性を発見することも可能だろう。

 

平明で科学的ともいえるルネサンス的なリアリズムとは別物の作風だが、ただルネサンスが発明して大事にした「遠近法」だけはしっかりと共通している。遠景に山々を描きこみ、世界は一点に収れんし、広大な宇宙観を立体的に表現しようと努める。これはダ・ヴィンチの「モナリザ」と同様であることを多くの方は気づかれるだろう。

 

ほかにも見どころは多いがとくに語っておきたいのは、僕の推測によればこの絵はギリシャ神話に端を発するだろうと思えることだ。

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(参考画像)《アンドロメダを救うペルセウス》 パオロ・ヴェロネーゼ1576-78 レンヌ美術館 ※この作品は、来ていません!お間違いのないように。

 

ギリシャ神話の主神ゼウスが人間の王女のダナエとの間に産んだ半神半人のペルセウス。長じては白馬にまたがり槍を持って、竜のいけにえとなったアンドロメダ姫を救うのだが、それがキリスト教に取り込まれ、聖ゲオルギウス(英語ではジョージ)の英雄譚となり、ワグナーのオペラの「指環」では大蛇をノートゥングの剣で退治し、花嫁ブリュンヒルデを口づけで目覚めさせるジークフリートの物語となる。王子が姫を助けにやってくる話は、ディズニーの白雪姫(もとはグリム童話)にも連綿と受け継がれる。かくしてギリシャ神話は3千年の歴史を、放浪し変容しつつ世界を生き抜き、今日までもヨーロッパ人の抱く物語の祖型として根強く存在する。

 

岩佐倫太郎 美術評論家/美術ソムリエ

 

※ロンドン・ナショナル・ギャラリー展は、2020年、東京に次いで大阪・中之島国立国際美術館で、2021年1月31日まで開かれました。上記の記事は、その時に発行したニューズレターを再録したものです。