■【はじまり、美の饗宴展 -すばらしき大原美術館 コレクションー国立新美術館】■
大原美術館は岡山県倉敷市の大実業家、大原孫三郎が同郷の画家、児島虎次郎を支援しな
がらコレクションを進め、1930年に設立した西洋絵画の美術館です。美術鑑賞の目を養う点で
も実に優れた標本性があり、画家ならではの目利きによる選択の良さも特筆されます。
その館の至宝ともいうべきコレクションがいま東京に運ばれて、六本木で展覧中。中でも最大
の目玉は、エル・グレコの《受胎告知》。これはもう日本にあるのが奇跡のような作品です。
エル・グレコはグレコの名が示す通りギリシャ人。16世紀に生まれ、若くしてヴェネチアに、つ
いでローマに出て修行し、スペインで大成しこの国で生涯を送って人です。
エル・グレコ《受胎告知》 1590年頃 - 1603年 / 109.1 × 80.2 cm / 油彩・カンヴァス大原美術館所蔵
上の絵の見どころは、まず色彩。古格で重量を持ったビザンチン的色彩(ヴェネチア風とも
言えます)が速度をもって衝突しています。マリアの服の赤のぬめっとした分量感。緑の上
衣と赤とは補色の関係。受胎を告げる大天使ミカエルの着衣は、もとは金色でしょう。黒い
背景は神の啓示にバカっと割れて、すざまじい黄金の光が飛び散る。ひと昔まえの静謐な
受胎告知図とは一線を画し、現代アニメやコミックのセンスさえ含まれ、実に前衛的です。
構図的には、絵の中に3つの翼があるのも見どころ。白い精霊としての鳩の翼、次いでミカ
エルの翼。見落としてならないのは、マリアの上にある黒い巨大な翼の影です。もしこの大
きな翼を思わせる雲がなければ、グレコの幻視のような絵画はここまでインパクトを持ちえ
なかったことでしょう。
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さてここで、僕が一番語りたいのは、図像学的解説ではなく、この絵の持つギリシャ的伝統
美についてです。今までたぶん誰も言わなかった、マリアの肢体の絶妙なひねりに含まれた
人体造形の美しさです。マリアは右脚を左脚に乗せているのにお気づきでしょうか。書見台
に向かって聖書を読んでいたマリアが奇跡のお告げを感得し、下半身はそのまま、上半身
を捻り、さらに顔はもっとひねって大天使を見つめる――。
なかなか美しい人体のポーズの発見ですが、よくよく思い出してみると、立つと座るの違い
はあっても、この美しさって、古代ギリシャのミロのヴィーナスそのものではありませんか?
片足に重心をかけS字型に体をひねって、動の中の静の一瞬のポーズを取るところに究極
の理想美が表現されています。有名な円盤投げの彫刻などもそうですが、ギリシャ人はもと
もと人体こそが美の基準との美学を持ち、こうした動的モデリングの能力はピカ一でした。
ミロのヴィーナス 1820年ギリシャのメロス島で発見 大理石製 高さ203cm ルーブル美術館所蔵
そういうつもりでこの作品を見ていただくと、ギリシャ発の西洋美のDNAが、グレコを通じて
2千年近いのちスペインで発現したとも考えられます。グレコはルネサンスの整形美など
軽々と受け止め、次のバロックの時代をも越える創造を行い(早すぎた!)、後年のセザン
ヌやピカソの近代を呼び出した、とてつもなく時間の射程の長い天才ではなかったか。そん
なことを考えさせる実に貴重な作品でした。
【はじまり、美の饗宴展 -すばらしき大原美術館 コレクション】
東京・六本木の国立新美術館にて4月4日(月)まで
(民芸の陶芸、棟方志功などの日本の絵画も展示)
ニューズレター配信 美術評論家 岩佐倫太郎