京都大学◆時計台講演~浮世絵と印象派~ジャポニスムのご案内

まずはこの2つの絵を見比べて頂きましょう。共通するものは何か?確かに「ヌード」ではある。それ以外には?実はこの2点の絵、どちらも同じ1863年に描かれたものなのです。左はカバネルと言う画家の《ヴィーナスの誕生》。皇帝、ナポレオン3世のお買い上げの栄誉を受ける。一方、マネのそれに対しては、ブーイングの嵐。

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カバネル《ヴィーナスの誕生》1863年        マネ《オランピア》1863年

もう21世紀の住人である我々の美術の常識では、もちろんマネが名画でカバネルは退屈(名前も知らない)、と言うことになってしまうのだが、当時は真逆。カバネルはアカデミーの超エリートで、ヴィーナスの造形はギリシャそのものの完璧さ。滑らかな筆のタッチは今日の写真のようにゾクっとするリアルさを備えている。

しかも天使を飛ばせて、これは神話ですからね、と言い張って明らかにポルノグラフィとしての嗜好も満たしている。一方、マネのはチンチクリンな、さしてモデルにふさわしいとも思えない女性が、奥行きもない平面の世界に寝転がっている。大小比も変だ(この二つの絵はどちらも、現在はオルセー美術館で見ることができる)。

以前に僕は、「マネは静かにルネサンスの首を切り落とした」と表現した。それはマネの絵が、400年以上続いたルネサンスが自負するところの遠近感や写実性をあっさり捨てているからだ。また、ここの説明は難かしいのだが、絵はある瞬間のある物語を表現しなければならない、と言った旧来の大原則も無視されている。色と形と意味がかろうじて具象の形を借りながらつながっているものの、実はもう古典的な絵画の文法や時

間空間はなく、限りなく後年の抽象画の精神に近いところへ突入してしまっている。マネはほかの印象派の画家と比べても、ひときわドラスティックで先鋭的だ。そこが後世に大きく高く評価されるゆえんなのだが・・・。

                    

さあ、それでは一体、なぜマネがこんな巨大な歩みを進めることができたのか。「うっそー」と言われるかもしれないが日本の浮世絵の影響が大きい。幕末、鎖国体制が解かれると、浮世絵をはじめとした日本の美術品がどっと欧州に流れ込み、ジャポニスムと呼ばれる日本趣味が彼の地で形成され、画家たちが熱狂する。

 

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モネ《ラ・ジャポネーズ》1863年  広重《亀戸梅屋敷》とゴッホ《梅の花》、《ダンギ―爺さん》  

モネやゴッホなどは広重をはじめとする風景画にも多大なインスピレーションを得て、自分の画風を確立した。マネの場合も、浮世絵の平面感覚や色彩に影響を受けただろうし、なかでも僕の自説であるが、春画の影響は多大だったろう。輸出された浮世絵の5分の一が春画キリスト教倫理に縛られたヨーロッパにあって、春画が果たした性意識の開放は、当時の西洋人にとって文化と思想の大衝撃だったに違いない。ドガもクールベらもこぞって、あからさまに春画の影響を受けた作品を残している。アンドレ・マルローが言うように、「浮世絵が印象派を作った」というのが、美術史の真実なのだ。

さて、今度の講演会では浮世絵の明白な印象派への影響を、マネ、ゴッホ、モネなどの画家ごとに、作品を浮世絵と対比させながら、森耕治先生と一緒に検証していく予定です。ご参加をお待ちしています。 

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すでにお申し込みが60名を超えました。申し込みは iwasarintaro@gmail.com

 後日振込などについてご案内します。◆講演14時から16時◆パーティ17時から19時

(同じ時計台の中のラ・トゥ―ル)

 岩佐 倫太郎 美術評論家 美術ソムリエ