古墳を巡り、継体天皇の謎を考える  ⑥アレクサンダー大王が鉄を運んだ?

ところで人類の製鉄の歴史は古い。今のトルコのあたりにあった「ヒッタイト帝国」に始まるとする。少なくとも紀元前15世紀にはもう製鉄は盛んで、鉄と戦車の技術を独占する強国であったようだ。そのヒッタイト帝国が紀元前千年くらいには滅びてしまう。地中海人の襲撃が原因、のようないい加減な説もあるが、僕は製鉄をやり過ぎて国が自潰したのだと思う。鉄を溶かすために燃料の木を伐りすぎて国土の多くがはげ山になり、結果、くり返しの洪水に見舞われ街も耕作地も崩壊し、住民に遺棄されたのではないか。歴史書には書いていないけれど、その製鉄技術を持った人たちが海を渡って対岸のマケドニアに移住した、としても何の不思議はないだろう。

マケドニア王国はギリシャ北部だが、有名なのはアレクサンダー大王(画像)。紀元前4世紀にインドまで遠征して、広大な版図の帝国を築き上げ若くしてバビロンに客死した英雄だ。彼の東方大遠征を可能にした力の源は、鉄の持つ文明の力だろう。食料生産と武力の圧倒的な優位を背景に、何年もかけて何万もの兵隊やその家族が一緒に移動する。橋を架け、都市(アレクサンドリア)を築き、各地で支配者となり、兵士を結婚して入植させ、文明をそれこそ移植しながら東漸するわけである。製鉄技術もギリシャ美術もこの時いっしょに運ばれる。

その製鉄の技術はインド、中国、朝鮮半島経由で日本列島にも、象の行進のように時間をかけながら、けれども決して後戻りしない力強さでやってきた。弥生時代には早くも鉄は日本にもたらされてはいるが、古墳時代には人口爆発を起こすほど影響力を持った。鉄器による食糧生産の飛躍的な向上があったからだろう(つづく)。

アレキサンダー大王 ポンペイ遺跡から出土したモザイク画