ロンドン・ナショナル・ギャラリー展 ④フェルメール

フェルメールの傑作、《ヴァージナルの前に座る若い女性》。見どころはどこだろう■

 

レンブラントと並んで、17世紀オランダの黄金時代を代表するバロック画家のフェルメールは寡作なことでも知られ、数え方にもよるが作品は世界で35点しかない。ロンドンのナショナル・ギャラリーは2点を持つが、そのうち《ヴァージナルの前に座る若い女性》がいま、大阪・中之島国立国際美術館に来ている(「ヴァージナル」とは、チェンバロのような楽器)。フェルメールと言えば、《真珠の耳飾りの少女》などのアイコニックな作品がダントツで人気だ。しかし一見地味なこの絵も、カラヴァッジオやべラスケスらバロックの巨匠の伝統を正しく受け継ぎ、技巧が凝らされ、しかもバロックを次代に渡そうとしている点で、とても重要な作品だろう。

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《ヴァージナルの前に座る若い女性》 ヨハネス・フェルメール(1632-1675) 1672-1675年 51.5×41.5cm

 

ちなみにバロックの伝統とは、まず光と影のコントラストのきいた「明暗法」があげられる。この画法の創始者は、僕の考えではイタリアのカラヴァッジョだ。カラヴァッジョは様式的だった宗教画を、まるで今、目の前で起こった事件の目撃者であるかのようにリアルに、陰影の濃いドラマに変革した。スペインのべラスケスはその明暗法を《ラス・メニーナス(女官たち)》などに取り入れ、黒い色を「色のひとつとして」、スタイリッシュに再創造してみせた。その嗜好は《夜警》で知られるオランダのレンブラントにも摂取され、世代的にも最後のフェルメールが、光と闇の画法をより高精細に完成させた、と言えるだろう。黒の画法以外にも、フェルメールはべラスケスの手法を、まるで弟子のように幾つも取り入れている。たとえば《ヴァージナルの女性》の視線はどうだろう。鑑賞者を見つめている。鑑賞者は見つめられる。このような仕掛けで、見る者を巻き込み物語の当事者とするのは、実はべラスケスが《ラス・メニーナス》などで試みた方法そのものだ。                                                                                                                                            

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参考画像 《聖マタイの召命》カラヴァッジオ1600 《ラス・メニーナス》ベラスケス1656  ※この2点は展覧会には来ていません。お間違いのないように願います。

 

またベラスケスと共通するのは、「画中画」だ。フェルメールの《ヴァージナル》の絵には、壁に《取り持ち女》と題する風俗の絵がかかる。楽器の蓋には森と川がみやびに描かれ、胴体にも日本的な水草模様という風に、一枚の絵に多くの絵が脈絡なく埋め込まれる。同じことを《ラス・メニーナス》に探すと、アトリエを訪問したフェリペ4世国王夫妻の鏡像や天井近くの3点の絵などが発見できる。中でも最も興味深い画中画は、筆を手にしたベラスケス本人が向かうカンヴァスの絵だろう。いったい何が描かれているのか?《ラス・メニーナス》に違いない!そう思った瞬間、ベラスケスの画中画は鏡に映る鏡の像のように乱反射して、我々は謎に満ちた推理小説の囚人になってしまうのだが。

 

フェルメールの絵でも、実際この女性は誰なのか、何をしようとしているのか。描画法そのものは写真のように精細なのに、説明を放棄しているかのようだ。互いにバラバラで意味を持たないコンポーネント(部品)たちが謎をかけ、物語の読み取りを見る側に投げ出す。フェルメールバロックを集大成したが、ここで近代絵画の道を開いている。「絵を意味から解放する」(絵は何かの説明役でない)という現代的なテーゼを、早くも実現したとも読める。そこがクールでお洒落!我々がフェルメールを愛する理由はその辺にもあるのだろう。

 

※ロンドンナショナルギャラリー展は2021年1月31日まで。

 

美術評論家/美術ソムリエ 岩佐倫太郎

 

※このブログは過去の「岩佐倫太郎ニューズレター」を再録したものです。