古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑧巨大古墳のくびれ部の出っ張りは何?

閑話休題】以前から気になっていたことがまた気になってきた。それは仁徳天皇陵などの大型古墳のくびれにある出っ張りのこと。これって、いったい何なんでしょうね。もし古墳を巨大な鯛焼きに見立てたなら、まあその鯛焼きのしっぽの付け根のハミ出したバリというか、餡というか(笑)。専門的には「造り出し」というらしい。学者たちはまじめ腐って、古墳を大きな乗り物と見做した時の車輪であるとか、壺と見立ててツボの把手の耳であるとか、この辺になると考古学の皆さんも発想が意外やデザイン的になって面白い。また、前方部の祭壇のエクステンション(張り出し部)みたいな説もある。

実際に「造り出し」の長さを写真や地図で見て見ると、どうやら40メートル近くはありそうだ。僕が考えるに、まだそんな事を言った人はいないけれど、これは「船着き場」に違いないと思う。古墳の工事も最初、水を入れないドライな状態で切土、盛土をやっていたのが、仕上げに近づいてくると堀に湛水しないといけなくなる。この仁徳天皇陵なども、かつてゼネコンの大林組が試算したところによると、完成まで16年近く要するらしいから、これは被葬者が生前から作る「寿墓」と見ていいだろう。後継者の天皇が先帝のために、延々と墳墓の工事を行うと言うのは、現実的ではない。ちなみに秦の始皇帝陵も即位と同時に建設が始まったと言う。

さて工事の発注者である天皇は、完成した時の風景を当然のことながら自ら確かめたい。竣工に近づけばいよいよ水を引くわけだが、石室の巨大な岩はすでに後円部の土饅頭の中に埋められたとしても、その後も結構、仕上げ工事や祭・神事などが節目ごとに継続的にあったのではないか。その時に神官や工人を運ぶ、それ以上に天皇自身も上陸したいだろうし、祭具や供え物や補修材を運ぶなどの目的で、船を何隻もつなぎとめる「波止場」が必要だったと想像する。第一、天皇が死去した後、たぶん石棺に収められた遺骸を古墳に運ばなければならないではないか。その時のために船と船着き場が整備されていたと言うのは、それほど突拍子もない妄想でもないだろう。ちなみに水が入った環濠のくびれのあたりは、水路幅が最大で100メートルはありそうだ。(つづく)。

仁徳天皇陵 「造り出し」が左に見える