ゴージャスで高慢そうな彼女(=伊万里)だが、身の上を知ると愛さずにいられない。
■□【大阪市立東洋陶磁美術館 伊万里――ヨーロッパの宮殿を飾った日本磁器】□■
伊万里は日本で最初の磁器であり、その誕生は1610年代であるとされています。関ヶ原
の戦いから10余年、日本も焼き物も大きな変革期を迎えていました。もし伊万里を「彼女」
と呼ぶならば、彼女の誕生の契機は、驚かれるかもしれませんが豊臣秀吉です。朝鮮出兵
で連れ帰った陶工が九州北部に帰化したのが、伊万里の始まり。陶工たちは「磁土」をそ
こで発見し、日本でも薄く硬く透光性のある磁器の生産が始まります。
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彼女たちがまだ若い時代のスタイルはまことに清楚で、「染付」と呼ばれる白地にコバルト
による青い単色が発色するものでした。それが成熟とともに、やはり人間の女性のばあい
と同じく、色香が花開いて来る。中国の技術が移転され、「色絵」と呼ばれる多色のカラフル
なデザインを身に着けるようになります。時の中国では明朝が倒れ、清朝が立つ混乱期。
生産地である景徳鎮(けいとくちん)からの陶磁器の輸出も止まってしまいます。そこでオラ
ンダ東インド会社が替りに目を付けたのが有田。輸出港にちなんでIMARI=伊万里と呼ば
れた彼女たちは、17世紀半ばには、帆船で喜望峰を越えてヨーロッパに運ばれます。絢爛
豪華で異国趣味に満ちた皿や壺は、ヨーロッパの王侯や貴族に事のほか珍重されます。
下の鷹が雉を狩る蓋つきの深鉢なども、狩野派も真っ青なくらいのキンキラな殿様趣味。こ
れくらいでないと、ヨーロッパの王侯貴族の自尊心や権勢欲を満足できなかったのでしょう。
色絵花鳥文鉢 高さ34,6センチ 大阪市立東洋陶磁美術館所蔵 撮影:三好和義
伊万里を鑑賞する場合、たとえば茶人と茶碗の関係ように、薄暗い狭い部屋で賞玩し、てん
綿とした情愛を交換すると言ったようなわけにはいきません。彼女は大柄で派手な目鼻立ち
の美人のように、遠目にも既に存在感を放ち、可愛いらしさよりも尊大ともいえる威厳を身に
着けています。威厳の中に美を見つけるのは日本人は苦手かもしれませんが、西洋社会で
は、ディグニティ(威厳)を保つのも愛させるための駆け引き。幼児化して甘えるばかりが媚態
ではないんです。かくして有田生まれの彼女も宮廷好みに身をやつし、ついには金彩を色絵
に重ねた荘重な金襴手(きんらんで)などを生み出します。
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さて、あまり脂っこいものばかり食べた後はついお茶漬けが食べたくなるように、写真の柿
右衛門様式は、中国式を模倣してやってきた日本人が、自分たちなりの感性のオリジナリ
ティにたどりついた事例とも見れます。
色絵牡丹椿文八角壺 高さ42、1センチ 大阪市立東洋陶磁美術館所蔵 撮影:三好和義
まだこれでもエキゾティックではあるのですが、赤の発色の懐かしい人恋しさや、薄く濁っ
た柔和な白地、文様と空間のヌケ方の絶妙、花の輪郭線のの繊細さなど、心に素直に沁
みて来るものがあります。これもまた伊万里。この彼女のスタイルは逆にデルフト、マイセ
ンなどの磁器産地で模倣され追随されるまでになります。
こうして彼女がヨーロッパの上流社会でもてはやされ栄華の歴史を刻んだのは約100年
間。清が海外禁輸を解くと時計の振子は再び安価な中国製に振れて戻らず、オランダの
国力も衰え、ついに18世紀半ばに伊万里からの輸出の歴史は幕を閉じます。
激動しグローバル化する時代の荒波にもまれ、今はヨーロッパの古城や博物館で静か
な余生を送る彼女たち。また今回の展覧会の作品のように里帰りを果たし、再び日
本に安住の地を見出した彼女たち。陶磁器にも万感の運命がありますね。
(画像提供 大阪市立東洋陶磁美術館)
IMARI 伊万里 ヨーロッパの宮殿を飾った日本磁器
大阪展は11月30日(日)まで 中之島の大阪市立東洋陶磁美術館にて開催中
■ニューズレター配信 ものがたり創造研究所 美術評論家 岩佐 倫太郎