ボッティチェルリからピカソまで。ルネサンスに始まるヌード史を見れば、美術史が分かる。

 

□■□■   【西洋ヌード画の歴史をたどってみた シリーズ  3の①    ■□■□■  

 

ルネサンスの名画を訪ねて、ローマ、フィレンツェと美術の旅をしているうちに、僕のなかでヌード

画への興味が俄然、頭をもたげてきました。これって、いわゆる「萌え」ともいうべき現象でしょう

かね()。「今ごろにですかぁ?」、とか「老いらくの恋ですか?」などとからかわれそうなんですが、

どうも西洋画の中でヌード画が重い位置を占めていることに気づいた。それで日本へ帰ってから

も微熱を帯びた眼差しで、図書館の大部な美術書などバラリバラリとめくっていると、ルネサンス

ボッティチェルリから近・現代のルノワール、マネ、ピカソなどに至るヌードの歴史が、節くれだっ

て撚り合わされた注連縄のように見えてきた!それで今回は僕が発見したヌード史の解説です

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ところで画家にとってヌードとは何か。僕が思うにヌードと言うのは、禁断の果実ではなかったのか。

止みがたい誘惑ではあるが、同時に危険な劇薬。もし使い方が適量ならば媚薬ともなるが、ひと

たびさじ加減を間違うと、画家を滅ぼしかねない。なにしろ画家の技量も思想も、逆に丸裸にされ

ますのでね。すべての画家の美の理念は、裸婦像にこそ表れる、そう言っても過言でないでしょう。

 

 

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ジョルジョーネ 「眠れるヴィーナス」(1510年頃) アルテ・マイスター絵画館ドレスデン

背景はティツィアーノが仕上げたとも

 

ところで、ボッティチェルリに始まるヌード画ですが、「ヴィーナスの誕生」を思い浮かべてみても、

彼の表現法はまだ平板な描き割り感をまぬかれません。リアルな立体感のある成熟したヌード

画は、彼よりも30歳ばかり遅く生まれる盛期ルネサンスの巨匠、ジョルジョーネの登場を待たね

ばなりませんでした。

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そのジョルジョーネの「眠れるヴィーナス」。美神はラファエロばりの典雅な容姿で、いかに

ルネサンス好みな田園的情趣の中にまどろんでいます。主題の裸像は清澄かつ大胆。

しかも奥行が深い。これは超広角レンズの撮影と同じだと現代のわれわれは気づきます。左手

で秘所を隠す、伝統的な「恥じらいのヴィーナス」のポーズはボッティチェルリの「ヴィーナス」の

場合と同様です。しかし裸婦を立像でなく、画布の対角線一杯に横たえた、いわば寝像スタイル

を生み出したのは世紀の大発明。ダヴィンチがモナリザで七・三に構えた肖像の祖形を作った

のと同様(それまではローマ金貨のように真横向き)です。僕は繰り返し見ているうちに、この絵

こそ後世も含めたヌード画の最高峰であるとの確信に至りました。草原に寓意というか、まるで

天から落ちてきたように置かれた裸婦像の衝撃性を、最も鋭敏に受け止めたのは、19世紀の

フランスのマネでしょう。この点については、また次々回に。

 

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ティツィアーノ・ヴェチェリオ 「ウルビーノのヴィーナス」 1538年 119×165cm 油彩・画布 

ウフィッツィ美術館(フィレンツェ

 

さて、ティツィアーノの時代になると立体感の表現も写真的なまでにリアリティが増して

来ます。横たわるのは、草原でなくベッドの上。時代精神は確実に進行して、明らかにエ

ロスを媚薬として意識的に使っているのが分かります。それでも画家は、「裸なのは入浴

の後だからで、女中に衣装箪笥から服を出させてますからね」、みたいな弁明をちゃんと

用意してはいます。

絵画史的には、健康美のルネサンスも過熟気味で、濃密なエロスや見る人を挑発する視線

など、バロック時代の到来さえ予感させます。見どころである黒いカーテンによる画面の

二分割や遠近感の演出、薔薇色の配色などにも憎いほどの計算がなされ、近代的ともいえ

る画家の天分がうかがえます(この項つづく)。                      

                  

                

ニューズレター配信  ものがたり創造研究所  美術評論家 岩佐 倫太郎 ri@monogatari-lab.jp