印象派を生み、その後の西洋美術の流れを作ったのは、「春画」である。信じられますか?

はじめに僕のオク手な春画体験を書いておきましょう。それは約1年前、箱根・小涌谷の岡田美

術館(※1)。そもそも春画というか男女の交合図を常設で見せている美術館なんて、まず例が無

いでしょうが、この館は古今の東洋美術の莫大なコレクションを収納展示する建屋の一角に、18

歳未満お断りの表示とともに何と春画のコーナーがあったのです。

僕は薄暗い部屋で春画を見ていくうちに、何か体が奥のほうから熱くなるのを感じました。いい絵

を見ると経験的に冷え醒める感覚が出てくるんですが、このときは逆でしたね。ま近に見るナマな

春画にアガッてしまい茫然自失したんでしょうか。部屋を出た後、われながらこの感覚をいぶかし

んで、もう一度入りなおしました。好きだねえ!と笑われるかもしれません。ところが2度目ともな

るとこちらも余裕が出ます。作品群をしげしげ眺めているうちに思わず口角に笑いがこみ上げて

来るのがわかりました。なんと言う天真爛漫な性の狼藉。誇張された男根やどうなってんのと言

いたくなる脚と脚の絡み合い、恍惚を味わう男女の表情。性のタブーとは無縁の、抜け目が無くて

底抜けに陽気で無差別。やっとるわい!と、それこそ丸裸な日本人の性の世界を眺めたのでした。

ところで、春画は、印象派とそれ以降の近代絵画に根本的な影響を与えた、というのが僕のかね

ての考え。

 

たとえば《世界の根源》と題するクールベの絵(※2)やドガの湯浴みする女の絵にも、春

画の直接的な影響を見て取れます。

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喜多川歌麿春画 (パブリックドメインに属する画像) 

この絵自体をパリの画家や小説家が見たかどうかは不明ですが 

 

しかしながら、春画からもっとも奥深いところで影響を受けたのは、印象派の開祖といってもいい

マネでしょう。彼の《草上の昼食》や《オランピア》は、ボッティチェルリの《ヴィーナスの誕生》いらい

ずっと西洋絵画が守ってきた、「ヌード表現は、神話の女神の場合だけに許される」という約束事を

見事に裏切りました。猛烈なブーイングが起きたのももっともかもしれません。

いったいマネこんな革命を起こさせた原動力は何か。それは春画の思想がもつ爆薬効果でしょう。

 

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ボッティチェルリヴィーナスの誕生》は女神だが、マネ《オランピア》は娼婦 400年の時間差

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そう考えないと、僕にはマネの踏み出した危険きわまる巨大な1歩が理解できないのです。19世紀

後半、ジャポニスムの流行で大量の浮世絵がヨーロッパに流れ込み、そのうち一定割合は間違いな

春画だった。春画を描かない浮世絵師はいない訳です。記録によると、浮世絵の熱心なコレクター

はマネを始め、クールベ、モネ、ドガ、ゴッホなど。文学者ではボードレールやゾラたちです。もしかす

ると、画商は春画と抱き合わせることで、浮世絵を大量に販売したのかもしれない。画家たちは春画

のありていでイノセントな性表現に驚愕し、カッと熱くなり、思想に触発され、長らくキリスト教倫理の中

で抑圧され続けた性表現を一気に解き放つに至ったのだと思われます。

さて春画によって解放された精神は、猛烈なスピードとエネルギーで古びたアカデミズムの四角四面

な檻を壊して、性表現のみならず、あまねく表現の自由と新しい可能性に向かいます。振り返れば、

印象派も象徴派も、ピカソも抽象画もすべての西洋近代絵画は、日本の春画のラジカリズムなくして

はこの世に生まれてこなかったと思えます。と言うわけで、今回の結論。偉大なり、日本の春画――。

 

【後記】

 

9月19日から、永青文庫(東京・目白、細川護煕理事長)が主催して、春画展が開かれます。

2013、4年に開かれて大反響を呼んだ大英博物館春画の展示作品ほか、内外から名品が集ま

る日本初の本格的春画展。企画と見識に敬意を払うとともに、この流れを歓迎するものです。

 

http://www.eiseibunko.com/shunga/  永青文庫SHUNGA春画

 

 

(※1)http://www.okada-museum.com/  岡田美術館

 

(※2)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90  

クールベ 《世界の起源》 オルセー美術館

                             

 

                    

ニューズレター配信  美術評論家 岩佐 倫太郎 

近著 「東京の名画散歩」――印象派琳派が分かれば絵画が分かる(舵社) 

ロンドンの美術の旅で、ターナーこそ印象派の父だと認知するに至りました。

□■ 【ナショナル・ギャラリーほか】 ターナー歌麿印象派を作った 1/2  ■□■

 

東京上野の国立西洋美術館は、松方コレクションを母体として戦後まもなく作られ、西洋絵画の

中でもとくに印象派の宝庫として知られています。実際、現地に足を運んでみると、たとえばモネ

には一室が丸ごと割り当てられ、いずれ劣らぬ彼の優品が十数点も常設展示されているのです。

もちろん、有名な「睡蓮」の大作もあります。それだけでも十分凄いんですが、この館のさらに素

晴しいのは印象派の前夜とも言うべき写実派のクールベバルビゾン派のミレーやコローなど

にも心を配り、印象派の発生を体系づけている点です。クールベの波だけを描いた超写実的な

作品などは、大仰な神話や戦争・歴史などの主題が無くても絵画が成り立つことを示しました。

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ギュスターブ・クールベ 《波》 1870年ごろ  国立西洋美術館(東京)

 

実は長い間、僕も印象派写実主義バルビゾン派から生まれたと、ずっと思ってきた。ところ

が、です。そう理解していたのが近年、兵庫県立美術館ターナー展などを見ているうちに、ちょ

っと待てよ、という気になってきた。モネの、身の回りの自然の風景をテーマにした絵画は、たし

かに写実主義バルビゾン派を引き継ぎ、外形的にもいかにも似ている。オーソドックスな理解

としても間違いない。しかしながら、ターナーを知ってしまうと、どうも印象派の源流は、深い本質

を言えば、むしろ50年も前のターナーに遡るのではないか、直感的にそう思い始めたわけです。

 

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ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー 《ノラム城、日の出》 1845年頃

油彩 テイト・ブリテン (ロンドン) 

 

モネは1870年の普仏戦争を避けてロンドンに疎開し、ターナーの作品に出会っています。モネ

ターナーの作品群の中に、太陽や水、霧など自然そのものが画題になっているのを見つけた

とき、「わが意を得たり!」と大いに力づけられ、喜んだのではないか。自分が迷いつつも目指そ

うとしている方向を、50年も前に確信を持って実現している先達がいたのですから。

上の《ノラム城、日の出》はモネが感銘を受けて、《印象、日の出》を描くもととなったといわれる

作品です。後年に印象派を大成する巨匠も、この時点でまだ30歳。理解者は少なく、経済的に

は苦しく、前途に不安をいっぱい抱えていた時期です。

                             

そう推理すると、この夏、僕のロンドンの美術館めぐりは勢い、自分がモネの目となって、彼に影

響を与えたに違いないターナーの作品を訪ね歩くことになってしまいました。その視点で言うと、

たとえば《ノラム城》など、モネ的なターナーの最たるものでしょう(逆かな?)。官立の美術学校が

教えるような構図法はどこにも無く、偉大な物語も無く、脱構築と言ったらいいのか、朧な風景が

特徴ある黄色と青の配色で水墨画のように描かれています。下は、印象派のデビュー作とも言う

べき、モネ《印象 日の出》です。両者は父子のように、明らかに精神的DNAを共有しています。

 

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クロード・モネ 《印象、日の出》1873 油彩  マルモッタン美術館 (パリ)

 

なお、モネの含蓄に富んだ歴史的なこの絵は、今秋、21年ぶりに日本にやって来て、東京都美術

館をはじめ、来夏にかけて福岡、京都、新潟を巡回する予定と聞いています。

さて、今や僕は印象派の父はターナーだと見て取りました。では母はいったい誰なのか?

ギョっとするかもしれませんが、歌麿など浮世絵の、それも春画です。次回はその辺を。

 

                    

ニューズレター配信  美術評論家 岩佐 倫太郎 

近著 「東京の名画散歩」――印象派琳派が分かれば絵画が分かる(舵社)  

 

侘び茶の開祖とされる珠光。殿様の茶事とは対極。どこが違うのか、碗は雄弁に語る。

□■東洋陶磁美術館 【黄金時代の茶道具 ―17世紀の唐物 2の② □■

 

足利将軍家の唐物コレクションである東山御物(ひがしやまごもつ)。残された絵画や茶碗などを眺めているうちに、日本の「床の間」は、言われるような仏壇の発展形などでは無く、東山御物の陳列のため、将軍に近侍する「同朋衆(どうぼうしゅう)」が考え出したものではないか、そんな風に思えてきました。絵や墨蹟などフラットなものもあれば、香炉、花活けのように立体感のあるものもある。これを一堂に、将軍の威厳とともにディスプレイするにはどうするか。美術品ギャラリーとしての床の間や違い棚を常設するのがいいーーそうなったのではと想像するしだい。

 

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玳皮(たいひ)天目 南宋時代 12-13世紀 京都国立博物館蔵 これも東山御物だったか

 

    

 

 

さて、その同朋衆として知られる能阿弥は、舶載品の絵画をランク付けしたり、補修管理に当たるわけですが、また芸能者として時の将軍、足利義政への献茶をも行った。ちなみに喫茶そのものは、禅僧・栄西が中国より伝えてすでに広まっていた。おそらく将軍スタイルは、いきおい華麗で多分に儀式性の強いものになったのではないか。一方、珠光は同時代の能阿弥とも十分な交流があり、中国の華麗な舶来趣味はよく知っていた。ところが、自らの審美眼を賭して選び取ったのは、なんとも地味な朽ち葉色の下のような一碗。前回も掲げた画像ですがよくよく見れば、珠光青磁と呼ばれる茶碗が暗示する世界は、世俗的な富貴や損得に頓着しない、禅的で閑なる静謐とでもいう心構えに満ちている。ただし決して野卑ではなく、福々しさも兼備しています。

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珠光青磁茶碗 銘遅桜  南宋時代~元時代 13-14世紀  根津美術館

 

こんな茶碗をよしとするなら当然、お茶のスタイルも変わるのが必然といえましょう。このとき珠光はさまざまな革新をやってのけています。まず、大型の書院の茶から草庵の茶へ。4畳半を珠光が始めたといいますから、大変なダウンサイズ。また圧倒的に新しかったのは、茶事の中に始めて精神性を持ち込んだことです。有名な一休和尚のもとに参禅した珠光は、お茶も禅も一体の修業とみなした。となると茶席に身分の上下差があってはならないと、ラジカルな平等主義をも唱えます。さらに、「月も雲間の無きはいやにて候」との言葉にもあるように、翳りや不完全なものに美を積極的に見出し、日本美のあり方を大きく変えます。当時の連歌、和歌などの前衛が発見していた「侘び」を取り入れた「枯れ寂び」の世界観です。今で言えばパンク的なかっこよさがあったのではないでしょうか。その後、確かに利休によって2畳台目のミニマムな茶室が作られ、長次郎に黒い茶碗を焼かせるなど、極限まで思想性を突き詰める侘び茶の実験がなされましたが、大きさと革新性においては、珠光には敵わない気がします。

 

                     ●

さて、侘び茶の世界は、さらに進みます。写真は朝鮮のものですが、水

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重要文化財 雨漏堅手茶碗(あまもりかたてちゃわん)朝鮮時代 15-16世紀 根津美術館

 

彩画を見る心地も。人懐こさと同時に儚い風情もあって、知ればたちまち愛さずにいられない一碗。もうここまで来ると民芸などとも気分は地続き。以上まことに粗々ではありますが、茶碗と茶道の美の興味深い変化を眺めてみました(完)。                       

 

 

 HP→    http://www.moco.or.jp/   なお、5月19日より和泉市久保惣記念美術館蔵の国宝・青磁鳳凰耳花生 銘 萬声が展示されています。

 

628日(日)まで 月曜日休館      画像は大阪市立東洋陶磁美術館提供

 

 

岩佐倫太郎 講演会のお知らせ

 

628日(日)、宝塚市中央図書館にて、小生の美術講演が開催されます。

 

「美術で見る楽園への旅――印象派琳派そして鉄斎」

 

時間は2時半から4時まで(210分開場)2階の会議室。多くの画像をご覧

いただきながら、絵の見方を楽しんで知って頂く趣向です。阪急・清荒神駅の駅

前です。お近くの方、沿線の方はぜひご参加ください。無料。当日先着順70名です。

 

 

近著 「東京の名画散歩」――印象派琳派が分かれば絵画が分かる(舵社)  

ニューズレター配信  美術評論家 岩佐 倫太郎 

 

 

利休ばかりが有名だが、茶碗を見ると侘び茶の創始者、珠光の存在の巨大に気づく。

■  東洋陶磁美術館 【黄金時代の茶道具 ―17世紀の唐物 2の①】  

 

 

大阪中之島の東洋陶磁美術館。青磁・白磁などの世界的な優品を所蔵することで知られるが、

今回の「黄金時代の茶道具」も力の入った企画展です。関西でこれだけ、茶道具や茶碗が一

堂に会したことが果たしてあったのか、記憶にはちょっと無い。行くたびに気に入った茶碗が

見つかるものですから、ついつい呼び寄せられるようにして何度か通った。そうするうち、舶来

(唐物)として珍重されてきたはずの宋や元の壮麗華美な茶道具の趣味が、次第に日本人

好みのテイストになり、ついに現代のわれわれの美意識とも通じるものに、短期間でドラマティ

ックに変化している様子が見て取れてきました。またそれが、日本独自の茶の湯文化を発生

させ、進化させたのだろう。たかが茶碗なんですが、感興を催すこと大なり!                         

 

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国宝・油滴天目と天目台  建窯 南宋時代 12-13世紀  大阪市立東洋陶磁美術館

 

それでは早速、見ていきましょうか。上のはもうご存知の国宝「油滴天目」(ゆてきてんもく)。

東洋陶磁の持つ国宝のうちの1点です。日本でも、茶碗の国宝はわずか8点だけ。油滴天目

は黒磁に釉薬がはじけて、まるで水面に油を落としたように金・銀・紺などの斑紋が奇跡的に

浮き上がったものですが、この威風堂々たる姿はどうでしょう。硬質な黒磁の宝飾品ですね。

下の赤いのは漆を塗った天目台。両者一体となって、付け入る隙も無いゆるぎない造形美に

圧倒されます。碗の口径はわずか12..2センチなんですが・・・。

殿様好み、将軍好みとはこういったものなのでしょう。代表的な唐物(からもの)の茶碗。招来

の時期はわかりませんが、権勢と栄華を極め、対明貿易を独占した足利将軍家に賞玩され

たと想像するのが、妥当かと思われます。作られた時期12-13世紀、南宋時代。

                           ●

さて、それでは下の茶碗はどうでしょうか。13-14世紀、南宋または元の時代の作です。

もうまったくバブリーなところはありません。なんという抜けのよさ。色味も天目茶

碗と比べると、虚を突かれるほどにナチュラル。侘びの風情とはこういうことですか。

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珠光青磁茶碗 銘遅桜  同安窯 南宋時代~元時代 13-14世紀  根津美術館

 

侘び茶の開祖と仰がれる村田珠光(むらたじゅこう=1422または1430 1502)が、所有した

とされる珠光青磁茶碗銘遅桜。おそざくら、とは、青葉交じりのということでしょうか。注目す

べきは青磁釉がかかって、枇杷に潜む青品と、晴朗かつ閑静な器の面持ちでしょう

豪華とは無縁、欲得や権勢の表現とも絶縁した美意識がすでにここにはあります。

 

                     ●

 

足利の将軍から珠光まで、わずかの時間で日本人の選択の美意識はここまで変容を遂げま

した。意識は、さらに精神性を深め、中国の世界観には無かった井戸茶碗を見出し、

また桃山の陶器を創造していきます。これはちょうどそのつなぎ目に位置する、日本人の美意

識を、転轍機のように大きく切り替えた茶碗ではないかと想像し、改めてこのような美を美とし     

て発見した珠光の偉大さに思い至りました(つづく)。  HP→    http://www.moco.or.jp/

 

628日(日)まで 月曜日休館      画像は大阪市立東洋陶磁美術館提供

 

 

岩佐倫太郎 講演会のお知らせ

 

628日(日)、宝塚市中央図書館にて、小生の美術講演が開催されます。

 

「美術で見る楽園への旅――印象派琳派そして鉄斎」

 

時間は2時半から4時まで(210分開場)2階の会議室。多くの画像をご覧

いただきながら、絵の見方を楽しんで知って頂く趣向です。阪急・清荒神駅の駅

前です。お近くの方、沿線の方はぜひご参加ください。無料。当日先着順です。

 

近著 「東京の名画散歩」――印象派琳派が分かれば絵画が分かる(舵社)  

ニューズレター配信  美術評論家 岩佐 倫太郎 

 

 

 

 

【根津美術館】 尾形光琳300年忌記念特別展 燕子花と紅白梅 ―光琳デザインの秘密―

燕子花(かきつばた)と紅白梅の屏風。いずれも琳派の巨匠、尾形光琳の代表作でかつ、国宝です。

紅白梅図は熱海のMOAで見ている人も多いでしょうが、両者が一堂に会するという、夢のようなマ

ッチングが、東京・南青山根津美術館で実現しました。17日で会期を終えるので、もう余り時間が

ありませんが、今後こんな機会があるかどうか。美術ファンでまだの人には、必見の美術展です。

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国宝 燕子花図(かきつばたず)屏風(びょうぶ) 6曲1双(上が左隻)尾形(おがた)光琳(こうりん)筆 江戸時代 18世紀 根津美術館

 

 

ところで、今年は「琳派400年」。何故400年なのかというと、どうやら俵屋宗達と並んで琳派の開祖

とされる本阿弥光悦が、京都北郊の鷹峯(たかがみね)に徳川家康から土地を拝領して、職人たちを

集めて芸術村を作ってちょうど400年なのだそうです。

光悦(1558-1637)は陶芸や書、工芸に優れ、いわばルネサンス型の万能人。宗達ともコラボして数

々の名品を生み、今日言われる琳派の基盤を作りました。僕が光悦に惚れるのは、そのアマチュア

精神の品位の高さ。茶碗も蒔絵も、純な遊び心に満ち、誰のためでもなく自分のために作っている。

人の気に入られようなどとした上目遣いなところは微塵もありません。

                             ●

さて、光悦からきっかり100年後に生まれた光琳。二人は姻戚関係で血のつながりもあります。光琳

は、光悦の王朝思慕や桃山文化の外向きで派手でエキゾチックな精神を継承しながら、装飾的でグ

ラフィックな世界観を展開します。上に見る屏風など、環境芸術、空間芸術ともいえますね。美術が調

度品でもあるわけです。ついでながら言っておくと、屏風を西洋画のタブローのように1枚の平面の絵

としてしか見ないのは、正しい見方ではないです。画家も一望性を拒否して、屏風の屈曲を十分意識

して画題やストーリ―を展開していますから。時に予期しない画像が隠れていて驚いたりするのも屏風

の楽しさです。ともかく、今日のわれわれ日本人も、グラフィック感覚は光琳の血を受け継いでいます。

僕のばあい燕子花を目の前にして、絵の反復や引用のリズムにモーツァルトを感じてなりませんでした。       

                             

 

 

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国宝 (こう)白梅図(はくばいず)屏風(びょうぶ) 尾形(おがた)光琳(こうりん)筆 21双 江戸時代 18世紀 MOA美術館蔵

 

次に紅白梅ですが、久しぶりにナマを見て感動を新たにしました。横幅約34mの大型なサイズもさる

ことながら、印刷などと違って、左隻の白梅の輝きが断然違うんです。照明もうまいんでしょう。それゆえ

濃密空間が豊かに立ち上って、絵画的な完成度にはちょっと身震いを覚えるほどです。燕子花が才

気にあふれる実験的な作品とすると、10年後のこちらは光琳のたどり着いた最高峰。工芸と絵画が見

事に止揚されて、前人未到の神韻とも言うべき境地に至っています。                                                               

                            

517日(日)まで(休館日はご確認ください)。

http://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibition/

 

 

ニューズレター配信  ものがたり創造研究所  美術評論家 岩佐 倫太郎 

 

近著 「東京の名画散歩」――印象派琳派が分かれば絵画が分かる(舵社) amazonなどで検索してみてください。

 

建て替え工事のため、5月18日から、休館。思い出の名画名作と別れを惜しんできた。

 

八重洲通りのブリヂストン美術館。ここがビルの建て替え工事のため、45年休館すると聞いて、

東京に向かいました。美術館の所蔵するモネ、ルノワールセザンヌらの印象派などを中心と

した珠玉のような名品の数々が思い出され、もうこのまま数年も会えなのかと思うと、愛惜の念

が抑え切れなかった。これもまた、恋情と呼ぶんでしょうかねえ(笑)。

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ポール・セザンヌ 《サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール1904年―06年頃 油彩・カンヴァス 

遠近法の収束が山と城でバラバラなのが見所。卓上の果物同様、ルネサンスの原理は破壊されている。

 

 

さて、ふだんは至近の地下鉄銀座線の京橋駅を利用するのですが、今回は東京駅から向かいました。

館とは反対側の歩道を進んで、交差点で対角線に建物を見ると、築後50年以上たってるにもかかわ

らず、デザインはなかなかイケてるんです。今までちょっと気づかなかった。ニューヨークのMOMAを

手本にしたというだけあって、街角に溶け込み実にさりげない。俺はすごいぞ!みたいな肩を怒らせた

ところが無い。サインもシンプルで、路面なので美術館というよりギャラリーのような軽さがとてもクー

ル。ファサードは改修してるでしょうけど。

                             ●

前置きはこの辺にして、絵の話です。ここは印象派だけでなく、抽象画もクレー、カンディンスキー

の優品を所蔵し、現代だとポロック、ザオ・ウーキーなども。すごい選択眼ですよねえ。僕は今回、

「具体」の白髪一雄まで蒐集しているのを初めて知って驚きました。ここに通うだけで、日本と西欧

の近代美術史が通観できる。それも最良の代表作をそろえて。恐るべきコレクションです。

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クロード・モネ《黄昏、ヴェネツィア1908年頃 油彩・カンヴァス

 

「ベスト・オブ・ザ・ベスト」と名づけられた今回の企画展、その中でも敢えて個人的なベストワン

を選ぶとすると、この《黄昏、ヴェネツィア》。モネ晩年の傑作です。自然が生んだ一瞬の美。天地

が逆転したような風景を、日本の浮世絵師のように面白がっている画家がいます。画調ももう余

計なものは全部捨てて、何かを説明するという絵の役割も放棄して、そこにあるのは夕日

のオレンジと空と海のブルーだけ。美しいを通り越して何か凄みがありますね。モネは、セザン

ヌから非情なレンズのような眼力だと、賛嘆されていますが、光と空気の表現に命をかけた画家の、

前人未到の境地をここに見る思い。

                                                                

聖書の影響下にある西洋画では、一見このような主題の無い、人物も物語りも無い絵は、軽視さ

れがちでした。しかし幸いかな、この絵は招来されて日本にあります。日本人は俳句や短歌、浮世

絵などを通じて、ことのほか深い自然観照の態度を養ってきたのはご承知のとおり。それゆえわが

国は世界の中でも印象派の真意をもっとも正しく理解する国のひとつではないでしょうか。こん

なモネの傑作と東京で会えるわれわれ自身もまた幸運であるといわねばなりません。美術ファンな

らずとも、見逃すのがもったいない展覧会です。

                            

517日(日)まで (休館日はご確認ください)

http://www.bridgestone-museum.gr.jp/

 

ニューズレター配信  ものがたり創造研究所  美術評論家 岩佐 倫太郎 

 

 

 

ブリヂストン美術館の名作については、小生の近著 「東京の名画散歩」――印象派琳派が分かれば絵画が分かる(舵社)でもページを割いています。 amazonなどで検索してみてください。

 

 

速水御舟を知るだけでも、日本画の超絶した技巧、高貴な気品、世界の見方が分かる。

【花と鳥の万華鏡 ―春草・御舟の花、栖鳳・松篁の鳥】

 東京広尾の山種美術館。恵比寿駅から駒沢通りを歩いて10分。僕は京橋のブリヂストンと並んで,
 
 
 
洋画をこの山種美術館がとても気に入っています。ブリヂストンがモネ、ルノワールなど珠玉のような

 

 

 

 

所蔵しているなら、こちらは日本画専門です。名前はもうご存知でしょうが、速水御舟奥村土牛
竹内栖鳳(せいほう)など、もう書ききれない名画、有品の数々を所蔵しています。
さて、先日も東京出張の折に久しぶりに訪ねてみました。展覧会の名は、「花と鳥の万華鏡 ―春
草・御舟の花、栖鳳・松篁の鳥」。まず最初に出会うのは、この絵です。

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速水御舟《牡丹花(墨牡丹)》1934(昭和9)年 紙本・墨画彩色 山種美術館

 

綺麗ですねえ。単に綺麗とはいえない妖艶さもありますね。黒一色なのに。牡丹特有の王者のような
香りも漂ってきそうです。それでいてどこかゾクっとする怖さと言うか、凄みと言うか。これは山種美
術館の展示手法の特徴ですが、展示会のコンセプトと品質を象徴するものをまず最初に持ってくる。
こんな作品にのっけから対面できるとは、美の至福といわずして何と言うべきか。
ところで御舟は早世の作家です。41歳で世を去ります。僕はこの作家の作品を見るたび、痛ましさ
と哀惜の念を覚えずにいられません。あまりに早く美神に見出され、寵愛を受けすぎた。渡っては
いけない彼岸に魅せられ、ついに渡ってしまったのではないかと思うわけです。実際には病死です
けど。彼を見るとつい早世の天才音楽家、モーツァルトを思い出します。ピアノ協奏曲21番など、
美しい天国のような階段を登るピアノの旋律に魅せられながら、それが途中で聞くほうは、冥界に足を
踏み入れたのではないかと感じるほどの恐ろしさも感じる。モーツアルトは華麗で陽気で枯渇を知ら
ない才能と裏腹に、自分の死を早くから予感して、この世に先に別れいく切なさを音楽で語っている
ようにも僕は感じるのです。
展覧会場を進むと、日本画ならではの多くの屏風や掛け軸が並ぶ風景です。僕も何か着物に着替
えたようなリラックスを感じます。コーナーを曲がって、何度も見慣れたはずの大型屏風が目に飛び
込んできました。それでなくても金箔をバックにして目立ちますが。

f:id:iwasarintaro:20150329153728j:plain速水御舟《翠苔緑芝》1928(昭和3)年 紙本金地・彩色 山種美術館

 

右隻(うせき)は中心に黒猫。いかにも院展の伝統のような猫の登場。近くで実際に見る
と猫の毛のふわふわ感が筆のタッチを利用して巧みに描かれています。実のなる木は枇杷
エキゾティックです。そして幹もキッパリ青いのは青桐。左隻にはアジサイと遊ぶウサギ。
鳥獣戯画のような笑えるウサギに、深刻に入れ込みがちな御舟にも、こんな晴朗な気分で
絵を描くことがあったんだと思い、これまで気づかなかったこの絵の大傑作ぶりに気づき、
嬉しくなって何か救われた気分で恵比寿駅へのだらだら坂を下っていったのでした。   
 美術評論家 岩佐 倫太郎 

 

【後記】3月26日、大阪梅田のグランフロントで講演会をして、ルネサンスから印象派、日本の琳派

 

流れを話させてもらいました。参加は70人超。ニューズレターの読者の方にも多く参加して頂き、大変
有難うございました。幸いにも、難しいことを易しく聞けてよかったと、大むね好評だったようです。