【ビル・エバンスのドキュメンタリー映画を見る1/2】

 
2019年のFBへの投稿を再録しています。
 
マイルスがかくも必要としたビル・エバンスだったが、マイルスの元を去り、自らのトリオを結成する。離れた理由はジャズという黒人社会で白人への逆差別があったとか、この映画でも大きな主題になっているビルの麻薬中毒をマイルスが嫌ったとか、諸説あるが、映画ではわからない。
 
ともかくその結果、ジャズ史上最も美しいピアノ・トリオが生まれ、珠玉の名作、Waltz for Debbyは、1961年にリリースされる。他にもこの「黄金」トリオで、Explorationsなど都合4点のアルバムを出したことは、詳しい人なら知っているだろう。ドラムスはポール・モチアンで、今回の映画でも何度か登場して、歴史の語り部のような役割を務めている。映画の中の彼の話で印象に残るのは、自分たちの演奏のスタイルを、Collectiveと表現していたことだ。集合的というのは、恐らく「主」とか「従」のタテ関係ではなく、全員対等の創発的な彼らのジャズの本質を語っているのだろう。実際、演奏風景を見てもドラムやベースが伴奏でリズムを刻んで、主役をサポートする、と言った一昔前のような世界はもはや無い。
 
新しいジャズの世界をつくるのに、かつてマイルスがビルを必要としたように、ビルにはスコットが必要だった。スコットのベースはビルに絡み、反発し、時には不協和音に近い音で、ビルを批評する。それに触発されて、ビルのピアノは良く彫琢され必然を持った一音一音を放つ。映画で再認識したが、ビルはプレイヤーであり同時にコンポーザーでもあった。
 
ドビュッシーラフマニノフらのクラシック音楽にも影響を受けたビルを理解し受容し、音空間でともにプレイできる教養と矜持と才能は、スコット以外にはいなかっただろう。たとえばWaltz for Debbyの出だしの数秒を聞くだけでも、魅力は伝わってくる。僕は映画のシーンを見て、美しさに思わず涙腺がゆるみそうになった。セッションで、スコットはあたかも未知の古代語の歌を歌うように低吟する。厳格な中の華麗。ベースという楽器を便利遣いせず、ゼロから音を作る知性。時に楽器を愛撫し、時に限界までいたぶるようにベースを試している。彼のベースという楽器に対する定義が、従来とは全く違うのだ。ポールのブラシもよく絡んで、絶えず新鮮な酸素を送り、曲想を前進させ、トリオの音の風景を離合集散させていく。その結果、僕らの中に初めて聞いたかのようなスリリングで斬新な感覚が生まれる。
 
このトリオの音作りをいったん聞いてしまうと、ハード・バップがいくらアドリブを取り入れても、予定調和な「のど自慢大会」と思われてしまうかもしれない。それほどお互いが密接に因果を結び合いながら起伏して進行した。時にスコットとビルが違う曲を同時に弾いているのではないかと錯覚するほど、遠心力の効いた現代的な魅力にあふれる瞬間もあれば、ビルがスコットをサポートして、自分の音に耳をすませながら演奏しているときもあり、3人が伝統的なアンサンブルを軽快に示す時もある。
 
そんなビルにとって、スコットの事故による早世は大ショックだっただろう。麻薬への依存が進んだ原因にもなったはずだ。ビルはその後、何回かトリオを結成しているが、スコットほどの才能には出会えず、でもどこかビルはスコットの面影を捜してベーシストを選んでいたのではないか。映画はビルの私生活の多くの不幸も描き出している。僕は映画を音楽論として読み解きたかったので、あえてここでは触れないでおく。ビルの音楽生活はスコットの没後、約20年続き、最後は1980年、ニューヨーク市の病院で、51歳の生涯を終える。麻薬とアルコールの摂取過多で肝臓を傷め衰弱した果ての死去だった。