ジャポニスムとは何か、どのように始まったのか、浮世絵はどう影響したのか、講演録。

(2016年9月1日 梅田グランフロントのナレッジサロンで会員に講演4-①)

 

皆さんこんばんは。美術評論家の岩佐倫太郎です。今日は遅い時間帯にお集まりいただき誠にありがとうございます。

僕はこのナレッジサロンで美術のことをしゃべらせていただくのは3回目ですけど、先ほども司会の方からご紹介が

あったように、今回は僕がかねて尊敬するベルギー在住の人気美術史家の森耕治先生をお招きして、リレー形式で

話を進めさせていただきます。

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ゴッホによる広重の模写。謎の漢字で額縁を描いています。こちらはホンモノ広重、雨雲の黒いぼかしもカッコイイ。

 

 

テーマは「ジャポニスム」です。なぜジャポニスムか?と言いますと、たぶん今日お集りの皆さんは現役かもうご卒業さ

れたかは別に、もともとビジネスの世界でいい仕事をされていて、その上に文化的な余裕で、今日こうして、絵の話も

聞いてみようかと言う方が多いのではないかと思います。年に何度かは美術展に行くよ!と言う方がほとんどじゃない

でしょうか。

 

そういう方々が、今後の人生の楽しみとして、あるいはビジネスでのご自身の創造的なヒントを得るために、

絵の見方を学んでいかれたいのなら、一体どんなジャンルから入るのがいいのか?琳派でもバロックでもよろしいの

ですが、今日の講演会のご依頼をいただいたときに、僕と森さんが話し合って出したテーマは、文句なく一致しまして、

それがジャポニスムだったんです。ちなみにジャポニズム、と濁ってもいいんですけど、それは英語式の発音でして、

フランス語の場合はジャポニスム、と濁りません。まあ、皆さんもフランス式の発音に慣れておきましょうか。

 

それで今日はジャポニスムで話を進めてまいります。

 

ジャポニスムを何にもまして真っ先に選んで取り上げた理由は、日本の浮世絵とヨーロッパの印象派をブリッジする話

だからでして、ここを押さえておくと、西洋美術にも日本の美術にも両方睨みが効いて非常に視界を一挙に広く持つこと

ができます。

 

皆さんも海外の人と仕事をしたりするときに、やっぱり夜の食事も一緒にと言うことがあるでしょう?そんな時、いつまで

も金儲けの話をしてたんではバカにされますね。やはりそういうときは少なくとも、絵画の話や音楽の話の一つや二つ、

しゃべって、自らの文化的なアイデンティティと言うものを示さなければならない。それが実際の名刺みたいなもんです。

日本人なら、美術の基礎教養と言うか、基本の「キ」としては、ジャポニスムをまずマスターして頂きたい、そう思うわけ

です。すでに詳しい方もおられるでしょうけど・・。

 

それで今日の趣向としましては、浮世絵や春画、日本の画商の動向など主に日本側の話を僕の方から。そしてヨーロ

ッパ特にフランスではどう受け止められたか、その影響は西洋美術史にどんな多大な影響を与えたか、という向こう側

の事情を、現地にお住いの森さんから話していただき、リレーで交代でそうですね、今から約780分でひとまとまりの

内容をお伝えしたいと思います。非常にコンパクトに、しかも重要なポイントは漏らすことなく、大胆な仮説もご披露して

進めて参ります。

                        ●

はい!それではいよいよジャポニスムの話です。お待たせしました!ジャポニスム19世紀後半のヨーロッパ、特に

パリやロンドンで発生した美術史上の大事件です。日本での出来事ではないので、誤解しないようにお願いします。

森さんもおっしゃってることですが、ジャポニスムを単に日本趣味と短絡して覚えてしまう人もいますけど、それは大間

違い。事件のきっかけはもちろん日本なんですけどね。もっと深いんです。

 

みなさんもよく歴史で習ったと思うんですが、ペリーが黒船でやってきて、江戸幕府が開国を迫られ、19世紀の半ば、

正確には1858年ですけど、フランス、アメリカなど5か国と修好通商条約を結んで、ここで200年以上続いた鎖国

解かれるわけです。200年以上戦争もなく平和でしたが、海外文化は入らず、勃興した庶民階級が空前の経済力を

蓄えて、まあ、独自のガラパゴスと言うか夢のような桃源郷的な文化を作り上げていた。浮世絵をはじめとする美術工

芸などの成熟度は、もうライフスタイルぐるみで、西洋よりはるかに先を行ってた。産業革命こそまだ起きていません

が、思想の上でも西洋に勝っていたんです。世界の文化・美術史の中での奇跡です。

 

こんなふうに、僕が日本は西洋よりずっと先を行ってたと言うと、今日の皆さんの中にも、「えっ!そんな事ってあるの」

と驚かれる人が多いかもしれません。日本は何でも欧米の後塵を拝して、追いつけ追い越せでやってきたと多くの人が

思っている。確かに一面では間違いではないですが、このジャポニスムのように西洋の側が猛烈に憧れマネし、取り込

もうと必死になった歴史もあるんです。どうかインテリジェントな皆さん、文化の面でも自虐史観は今直ちに解いて頂い

()、日本が西洋美術とその思想に大きな影響を与えた史実があったことを知って頂きたいと思います(つづく)。

 

ニューズレター発行  岩佐倫太郎 美術評論家

 

最後まで読んで頂いてありがとうございました。長かったですかね。ちょっと心配です。下はベルギー王立美術館の森耕治さんと講演後。

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「モネとルノワール」~印象派を10倍楽しく見る秘伝~ ■NHK文化センター特別講座予告

72日(土)にNHK文化センターの西宮ガーデンズ校で、特別講座を担当します。

1330分から3時まで。テーマは

 

「モネとルノワール」~印象派10倍楽しく見る秘伝~

 

モネの構図は浮世絵を踏襲しています。印象派の画家たちはモネもゴッホも浮世絵に熱

狂し、コレクターとなり、模写までしました。その影響は、後年、クリムトピカソにまで及び、

西洋絵画を大きく推し進める原動力になります。

                     

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またルノワールを好きだという方は多いですが、その美の核心がギリシャ美に由来しているこ

 

とを知っている方はまれです。女性美と人生の幸福を讃えるルノワールのどこがギリシャ的な

のか。ここのポイントが分かれば、ルネサンスバロックも、そして白鳳の仏像の美もわかります。

                       

と言った、僕自身の近年の発見や研究の成果を、分かりやすい、目からウロコの話をさせて

いただき、そのあとの美術館巡りを10倍楽しめる講座にしたいと思っています。ご近隣のか

た、ご参加いただけると幸いです。

 

参加のご案内(お申し込み法などNHKのホームページです)

https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1104402.html

電話及び窓口でのお申込み

0798-69-3450 NHK文化センター 西宮ガーデンズ教室(阪急西宮ガーデンズ5階)

 

ニューズレター発行;岩佐倫太郎 美術評論家

 

カラヴァッジョさん、あなたの死の瞬間に起きた出来事を話して下さい。

「その二つの絵、つまりパウロやロレートの聖母の話を聞くと、カラヴァッジョさん、

あなたは聖書の場面からイメージの引き出し方が鮮やかですね。とくに幻視の

場面を偏愛してませんか」

 

「たまにはマシな事もしゃべるんだな。俺の若い頃からの愛読書を知ってるかな?

ダンテの《神曲》なんだ。永遠の恋人、ベアトリーチェを求めて地獄煉獄天国を彷

徨する一大ファンタジー宗教叙事詩だよ。俺のイメージの源泉なんだがね、美術

史家は気づかないのかね。自分の絵の能力は、絵画以前に文学で養われた。だ

から聖書の場面を剽窃して絵にするなんて朝飯前なんだよ」

 

「えっ、剽窃ですか?」

 

「まさか俺が神を120パーセント信じて、信仰の証に絵を描いてるとか思っちゃい

ないだろうな。そんなのはフラ・アンジェリコで終わってるんだ。ダ・ヴィンチもミケ

ランジェロ・ブオナローティも神をあがめてなどいない。神や聖書は作品の題材に

過ぎん、おのれの腕を見せつけるための。フㇷ、わかるかな?」

 

「なるほど・・・」

                            

「それはそうと、病室での最後の話を聞かれたたんだったな」

「はい、そこをぜひ」

「自分の絵を思い出しつつ悔悟の時を過ごす俺のもとに、司祭がやってきたんだ。

熱病にうなされ、寒さで震えている俺のところにな。この男はもう長くない、と誰か

が村の司祭を呼んでくれたんだろう。その姿を見て、ああ、いよいよ俺も一巻の

終わりだな、人はそうやって最期を迎えるんだな、そう思ったさ。司祭はまだ若か

った。無精ひげを生やして、髪は多少伸びてたかな。どういうわけか裸足なんだ。

ろうそくも香油も持っていない。そいつが音もなく俺のベッドの足元に立った」

「サンタ・クローチェ同信会の牧師による終末の儀式を受けたと、されてますが」

「フム、その時、俺の名を呼ばわる声がした。『ミケランジェロ!』とな。誰が発し

たのか?どこか体内の内奥か天の高みから聞こえて来たんだ。もう一度、ミケラ

ンジェロ、と声があった。そして声は『いとしわが子よ』、と私のことを呼びかけた。

次にこう言った。『その汚辱にまみれた怒りと恐れの服を脱ぎなさい』、と。続けて

『そなたの悲しみは、私が引き受けよう』と言った」

「・・・・」

「目の前の地元の僧侶の目を見たら、奴の目は何か秋の静かな入り江のように

澄んでるんだ。唇を動かして言葉を発しはしなかったが、その瞳の奥に、千億倍

の悲しみをたたえているように感じた。もう意識が波のように遠のいたり、引き戻

したりを繰り返し始めていた。その時だ、『汝のすべてが赦された』、との声を若い

司祭が発したように思った。と同時にふっとその姿が消えた」

「・・・・」

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「もう、教皇の恩赦など、どうでもよかった。ああ、なぜもっと早く気づかなかった

んだ!神はいつも自分と背中合わせにいてくださったのに。なぜ、もっと早く振り

返ることをしなかったんだ。うまい絵を描きたい、人を驚かせたい、そんなことに

ばっかり心を奪われて、肝心なことに気づいていなかったんだよ。俺は激しく後

悔した。み心に背いてきたことを詫びた。ただ許しを乞うた。と同時にせき止めら

れない感情がこみ上げて、あふれ出て来た。これ以上ないありがたさに身が震え、

俺は涙を流してベッドにいた。その時の俺は《法悦のマグダラのマリア》をこれま

でになくリアルに幻視していた。自身がすでにマリアだった。いちばん罪多き人生

を歩んだかもしれないマグラダのマリアの前に、イエスは復活の姿を真っ先に顕

された。それを恩寵と言わずして何と言おう。そしてイエスは今また自分にも、死

に行く最後の瞬間に、復活の希望を伝えにお姿を顕わされ・・」

                     

美術館の一室。ふと気づくと、先ほどまで水中にいるように音がなかった世界に、

観客のざわめきや靴音が戻ってきていました。ソファには僕のほかは誰もいませ

んでしたが、隣りの座面を手で触れると、そこだけ体温のぬくもりが残っていたの

でした(カラヴァッジョ、完)。

 

ニューズレター配信  岩佐倫太郎  美術評論家

■後記 

最後までお付き合いいだきありがとうございます。これまで美術展や絵の話をそれなりに書いてきましたが、

賢しげな知識や文体をこね回して、マンネリになっていないか。本当に読む人に伝わって役に立ってるのか。

そんな反省もあって、今回は150回を迎えたのを機会に、エンターテインメント形式で書いてみました。思

った以上に会話文は長くなってしまいますね。全5回、最長記録ですが、面白くストレス少なく読んでいた

だいたなら大変幸いです。

 

カラヴァッジョさん、あなたは死の最期の瞬間、何を考えたのか?

日伊国交流樹立150周年記念 カラヴァッジョ展】その④国立西洋美術館

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「カラヴァッジョさん、さっきの話に戻しますけど、あなたの劇的なまでの明暗法を

継いだのがベラスケス、そのベラスケスをマネが学んだ。なのであなたの最後の

弟子がマネ。そこまでは分かります。そのマネがルネサンスの息の根を止めた、

と言うのは?」

 

「ヌード画を思い出してもらいたい。近世の最初のヌードはボッティチェルリの《ヴィ

ーナスの誕生》だ。それ以来、裸婦像は西洋では神話の女神という約束事の下で

なら描いていいこととして、400年も続くんだ。そしてマネになって初めて、女神でも

ない普通の女性のヌードが登場した」

 

「《草上の昼食》とか、《オランピア》ですね。オランピアは娼婦ですね。女神の対極

かも知れない。それでみんな怒ったんでしたよね」

 

「自分たちが使っていた建前を暴かれたから恥辱を感じたんだな。人はそういう時

に怒るもんなんだ。ともかく、マネはルネサンス以来の、ヌードは女神に限るという

鉄則を毀した。マネが毀したのはもうひとつある。遠近法だ。ルネサンスが発明し

てその後、金科玉条のごと守られていた一点透視図法をやめてしまったんだ。それ

には日本の浮世絵の影響も大きいな」

                        

         

                         

 

「そうなんですね」

 

「どうでもいいけど、その相槌の打ち方はやめてくれんか」

 

「気に障ったらすみません。それであなたの最期について聞きたいんですが。ローマ

 

郊外の港町のポルト・エルコレで死にました」

 

「まとめに入ってるのか(笑)」

「カラヴァッジョさんは貧しい港町の病院で最期を迎えました。看取る家族も

なく、所持品もなく。それもまだ若い38歳でしたね。後悔はなかったですか」

「行き倒れになったところを病院に担ぎ込まれた。今も覚えているよ。小さい

粗末なベッドでな。シーツも擦り切れてた。教皇の恩赦を求めローマに行くつ

もりが荷物もなくして、恩赦を得るために肌身離さず持っていた贈り物にする

絵も失って、熱病にかかりベッドの上でブルブル震えていたんだ。後悔はなか

ったかって?大ありだよ。若い日に喧嘩で人を殺めた。そして逃亡者となって

官憲や仇の目を避けて住む流れ者の人生だった。そのくせ行く先々でトラブル

を起こした。いくら絵の腕があってほめそやされようと、一日たりと心の休ま

るときはなかった。それでも惧れと贖罪の意識で、逃亡先でも絵筆を動かした。

俺の人生、何だったんだと考えながらな」

「そして最後の最後は、我とわが運命を呪って、歯噛みして死んで行った訳ですね?」

「大いに違うな!」

「え?!」

「普通ならあんたの思う通りだろうよ。殺人者のお尋ね者の末路は、それくらいが丁度

だと、多くの人も考える。だがな、事実は全く違うんだ」

「じゃあ、どうだったんです?司祭を呼んで告解でもしたんですか。人殺しを悔いて」

「確かに臨終の枕辺には司祭も来た。しかし俺にはそんな儀式は無くてよかったんだ」

「それはまたなぜ?」

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《ロレートの聖母》 1604-06年頃 260×150cm サンタゴスティーノ教会 ローマ

※この画像は参考図像。作品は今回の「カラヴァッジョ展」に出品されていません。ご注意ください。

 

「ひとは死ぬ前に生涯の映像をすべて思い出すというがな、俺の場合は、自分の作品

一つ一つが浮かんで来たんだ。まず最初に浮かんできたのは《聖パウロの回心》だ。

知ってるな?キリストを弾圧する側のパウロが、イエスの幻声を聴き、その瞬間、回心

が起こって自分でも驚いて落馬した。背中を地面につけて、両手を挙げたあの絵だよ。

俺もまさにその心境だった。いまわのベッドの上で、赦しを求めて両手を差し出していた。

次に目の前に《ロレートの聖母》が浮かんだんだ。マリア様が頭の上には光輪を輝かし、

幼子イエスを抱いて門口に顕現された例の図柄だ。貧しい巡礼は足の裏を泥で汚し、

膝をついて杖にすがり、ありえない奇蹟のあまりのありがたさに手を合わせている・・。

自分で描いておきながら、この巡礼は自分のことだと初めて気づいたよ」(つづく)。

カラヴァッジョ展は東京・上野公園の国立西洋美術館612日(日)まで

ニューズレター配信   岩佐倫太郎  美術評論家

後記 今回で終わるつもりが、次回までに。あと1回、懲りずにお付き合いください。

 

 

カラヴァッジョさん、ミケランジェロについてはどう思っているんですか。

日伊国交流樹立150周年記念 カラヴァッジョ展】その③国立西洋美術館

 

 

「ところでカラヴァッジョさんにとって、ミケランジェロとは?」

「またしても出来合いの質問だな。アンチョコすぎないか、紋切りで」

「はい、すみません」

「俺と同名のミケランジェロのことだな?ピエタやダビデで有名な」

「そうです」

「俺はダヴィンチからは思想を盗み、ミケランジェロからは技法を盗んだんだ。奴

の本分は彫刻家だ。後年いかにシスティナ礼拝堂に絵を描こうともだ。

彫刻家と言うものは絵描きと違って、寸分の誤魔化しも効かない。なぜなら彫像

は前後左右上下、どこからも見られる。嘘がつけないんだ。嘘をついたら立体は

できない。わかるな」

「たしかに」

「奴の場合、だからその技量はハンパじゃない。いくら大理石を切り出す村に育

ったと言っても、奴っこさんの3次元の空間把握は絶対的なんだ。石の中にす

でに彫像が見えてる。これは習ってできるものでもない。言いたかないが、天才

と言うしかないものがある。何しろ自分が造物主に成り代わって天地創造してい

るつもりで居やがるんだ。鑿をふるってな」

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「たまには人をほめるんですね(笑)」

 

「フン!ところで、奴っこさんの新しさはどこにあったのか、分かるな?今じゃ皆、

当たり前のようにダビデやピエタを見てるがな。ここが大事なんだが、奴はギリ

シャの理想的な肢体美の上に聖書の顔を乗っけやがったんだ。露骨な表現で

悪いな。聖書をギリシャ美で再構成した。これがルネサンスなんだ。ギリシャ

キリスト教の融合。これは最強の組み合わせなんだ。それ以前はジョットがイコ

ンに物語と人間性を盛り込んで、聖像を動かす絵を描き始めたところだった。例

えば《ユダの接吻》などのように」

パドヴァのスクロベーニ礼拝堂の絵ですね」

「そう、彼の表現でも当時、十分に革新的だっただろうと思う。それがミケランジェ

ロは2千年も昔の、見事なギリシャ美の肉体と写実をもって聖人を復活させた。

「完璧とはああいうものですかね

「そうさな。奴がルネサンスの規範で奴がルネサンスを作ったんだ」

「では、カラヴァッジョさんはどこを学んで、どう乗り越えようと・・」

「まず学んだのは人体だ。ひねりや骨格のうまさはもう盗むしかない。今回の《ナ

ルキッソス》なんか、その成果だが、まあ、まだ追いつけてない。奴は人体解剖も

経験してスキがないんだ。正面突破は難しい野郎なんだ。憎たらしいがな」

 

「それで迂回して、極端な明暗法などを生み出したんですね?」

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「付け入る隙を探したね。奴はあまりに完成していて、全方位なんだ。他が

皆、マネしたくなるようなお手本なところを身に着けてる。でも、考えたね。奴も所

詮は教皇の看板屋じゃないのかってね。権力をヨイショしてるんだろう。そう考え

ると俺もちょっとは楽になってきた。まあ、時代があとだからそんなことも言えるん

だが、その弱点を俺は突いたのさ。マネキンのディスプレイでなく、瞬間の真実を

描けばいい、聖書の物語の解釈を新しくして、そこに焦点を当てたんだ。そこは絵

描きの特権なんだよ。彫刻家は全方位だから光の省略ができない。我々はある

角度から絞った瞬間が描ける。なおかつ、貧しい信者の立場を絵に反映できれば、

ちょっと勝負できるかもしれない。そう思ったな」

「《ロレートの聖母》もそうですね。」

「ウム、いい絵だろ」

「それでカラヴァッジョさんの明暗法は、ベラスケスやオランダのレンブラント、さら

にはフェルメールにも受け継がれる」

ルネサンスを毀して、新しい絵画の流れが始まったんだ。最後の弟子は、印象

派のマネだよ。俺が壊しにかかったルネサンスだが、なにしろシブといんだ。新

古典だなんだと看板を架け替えて生き延びてやがった。その息の根を止めたの

がマネなんだ」

「なるほど。そうなんですね。次回、カラヴァッジョさんの最期のことを聞いていい

ですか。あなたは若くしてローマの郊外で客死しましたよね」(つづく)。

 

ニューズレター配信

岩佐倫太郎  美術評論家

■お知らせ

僕が企画にかかわった大阪市立東洋陶磁美術館と(社)ナレッジキャピタルの「超学校」シリーズ。

今日5月7日(土)は現地で、ちょうど開催中の「宮川香山」を皆で解説付きの鑑賞会。そのあとは、510

ほか、グランフロントにふたたび戻って、学芸員の方の話を聞いたり、館長と僕の対談を行ったりします。

http://kc-i.jp/activity/chogakko/moco/vol01/

 

第2回 カラヴァッジョとの対話;あなたはルネサンスのどこを新しくしたのか?

■【日伊国交流樹立150周年記念 カラヴァッジョ展その②】国立西洋美術館

 

 

(前回より続く)僕の横に、男がドスンと座り、肩をぶつけて来た。失礼な奴だな!

そう思って横目でにらんだら、男は黒いあごひげをはやし、上半身の胸郭が厚い。

日本人じゃないな、そう思った瞬間、男が前を向いたままバリトンの声で威嚇する

ように話しかけてきた。

                      

「あんただな、俺と話をしたがってるのは?」

「え~っ、そういう、あ、あなたは、ひ、ひょっとしてカラヴァッジョ先生?!」

「阿呆う!その先生と呼ぶのはやめろ。殺人犯を先生と呼ぶやつがどこの国にいる

んだ。それに声がでかい。絵は静かに見ろと教えられてなかったのか」

「は、はい。すみません。では、あちらの世界から降りて来てくれたんですね。エマオ

の奇跡ですね」

「畏こまってる割にはギャグが好きな奴だな。早く質問をしてくれ。地上にいられる時

間は長くないんだ」

「ありがとうございます。先生、それでは・・」

「バカ!俺を先生と呼ぶなと言ったろう。今度、先生と言ったら罰金だぞ!」

「で、では、カラヴァッジョさん(汗)、ダ・ヴィンチをどう思いますか?」

「大雑把な質問だな、もうちょっと考えて質問できないのか(怒)。俺を怒らせると剣を

振り回し、見境なく相手に切りかかるのを知ってるだろうな?」

「ええ、それはもう、有名ですから、ひええ~!」

「ったく!言っとくが、ダ・ヴィンチは超えるべき目標で、ライバルだよ。若くしてミラノの

工房に住み込んで、これから絵で人生を始めようとしていた俺にだ、サンタ・マリア・デ

ッレ・グラツィエ教会の《最後の晩餐》は、根源的な衝撃を与えたんだ。こっちは二十歳

にもならない絵の小僧なんだぜ。百年も前の絵なのに、ビンビン俺には響いて来るじゃ

ねえか。この中に裏切り者が一人いる、そうイエスが断言した時の弟子たちの狼狽や

困惑。これは歴史画じゃない、目の前で今起こっているドラマなんだってね」

ダ・ヴィンチは革新的なんですね」

「そこがダ・ヴィンチの新しいとこだ。褒めていいとこかな。だがな、俺ならもっとうまく描

くぜ、とも思ったんだな。不遜だろ。だいたいのルネサンスの画家の絵なんざ見掛倒し

張りぼてだよ。ギリシャの古い神さん引っ張り出して、ほこりを払って珍重してやがる

んだ。ご大層なクサい田舎芝居をはい!ポーズ、みたいにやってやがる。そんな絵の

どこに、今日を生きる真実があるのかね。」

「コテンパンですねえ(笑)」

「ところが奴っこさんは別だ。不遜で不敬、瀆神的なところも俺と同じだ。違うのは結局

奴は科学と言う真実を極めたい。絵はその手段のひとつだ。俺は人間の真実を極め

たい。生きる人間のな。宗教画はその手段のひとつだなんだよ」

「では次の部屋の《洗礼者聖ヨハネ》などは、カラヴァッジョさんの思う真実なんですね」

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「うむ。白いひげを生やしたモーゼみたいな老人ばかりが聖人じゃない。それはルネサンス

の覚えたヨイショと言うもんだ。真実はもっと別のところにある。俺は若くて美しくて、隣の兄

ちゃんのような生きてるヨハネを描きたかったんだ。葦の十字架や洗礼の鉢がなければ、荒

野のヨハネとは思わないだろう」

「ふ~む。なるほど、そうだったんですね」

「安い相槌の打ち方だな。もっと感心してもいいんだがな。このうぶさを愛したくならないか」

「ああ、なるほど、ちょっとわかってきたような・・」(つづく)

 

ニューズレター配信

岩佐倫太郎  美術評論家

■後記 漫画のシナリオのつもりで書いたニューズレター。笑って読んでいただければ有りが

たいです。4月末に僕の母校である大阪の住吉高校の同窓会館でOBの方々を前に美術史

の講演をしました。面白かったのか?、終了後、多くの方が質問や挨拶に来てくださいました。

カラヴァッジョとの対話;あなたは一体、ルネサンスのどこを新しくしたのか?

■【日伊国交流樹立150周年記念 カラヴァッジョ展その①】国立西洋美術館

 

東京の国立西洋美術館。モネをはじめとする印象派絵画の聖地としても知られるが、今回は

カラヴァッジョの企画展を見たくて、伊丹から朝早い飛行機でやって来ました。緑が眩しい上野

の森を眺めながら、おなじみのコルビュジェ設計の建物に入ります。

上手な美術展のまわり方のコツについて言うと、順番にまじめに見ていくのはあまり感心しません。

よく入口では主催者あいさつなどをしっかり読んで渋滞している人たちがいますが、こう言うところ

はなるだけパス。最初は作品もそれほどなものが無いことがほとんどです。まあ本命にたどり着くま

でに疲れてしまうのももったいないので、おいしいものを体力のあるうちに食べておこうという考え。

なに、見落としが気になったら、後でもう一回、回ればいいんですから。

 

 

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さて、僕の今回の本命は、上の作品。《エマオの晩餐》。新約聖書に基づく場面です。物語はエル

サレム近郊のエマオの町の弟子が、旅人を夕食に招く。しかしながら客人が復活したキリストだとは

気づかない。まさか、死んだはずの人間がよみがえるなんて思いもしてないのでしょう。ところが、客

人がパンを祝福して裂いた瞬間、その人は誰であったのか、彼らは電に撃たれたように悟るわけです。

そんな驚きに満ちた奇蹟の瞬間を、徹底したリアリズムと演劇性、庶民性をもってカラヴァッジョは描

きだします。プロテスタントに対抗するカトリックの自己改革の機運に沿って、復活と言う最重要な

教義を、明快に再解釈して絵に定着させた手腕は大変なものです。   

カラヴァッジョはこうした「真実の瞬間」を描くのに際立った才能があり、ローマのサン・ルイジ・ディ・フラ

ンチェージ聖堂にある、出世作にして最大傑作のひとつ《聖マタイの召命》もまたその好例です。小銭

を数えていた税収吏マタイが、イエスに声をかけられ翻然としてそれまでの人生を捨てて布教の困難

な旅に出る、そのドラマの瞬間を描いたものでした。                                      

ところで《エマオの晩餐》を見て、同じくミラノにあるダ・ヴィンチの有名な《最後の晩餐》を思い出す人

もいるかもしれませんね。イエスを中心に複数の人物のゆるぎない構成、ひとりひとりが物語を語って

いる点では、百年の差がある二つの絵が、まるで親子か兄弟のようにつながっています。それに加えて

カラヴァッジョのばあい、黒い背景の中に光源を絞って人物のエッジをシャープに浮かび上がらせ、まる

で今日の映画の名場面を見ているような映像美を構成しています。カラヴァッジョの絵のかっこよさは、

このように高精細でリアルでありながら、一方で光による省略がなされて快美感がある点です。ルネサ

ンスには無かった新しいリアリティの登場です。

僕は改めて感心して、展示室の後方のフラットなベンチに座って、絵をもう一度見直していました。

                            

その時です。ぼうっと半ば放心して絵を眺めていた僕の横に、ドスンと座り肩をぶつけて来た男がいる。

無礼な奴だな!そう思って横目でにらむと・・・(つづく)。

ニューズレター配信

岩佐倫太郎 美術評論家

後記 わがニューズレターは発刊150 号を迎えました。よく続いてきたものです。それも皆様の日頃の

ご愛読やレスポンスのおかげです。いつも励まされています。ありがとうございます。

お知らせ 僕が梅田のグランフロントにある(社)ナレッジキャピタルと共同で進めて来た「超学校――東洋陶磁の魅力」

シリーズ全6回がスタートしました。ありがたいことに告知をしたら1~3回は一晩でほぼ満席になってしまいました。5回、6

回のお申し込みはこれからです。第5回は出川哲朗館長と小生の対談になります。

http://kc-i.jp/activity/chogakko/moco/vol01/