ピカソも驚嘆させたアンリ・ルソーの楽園画。彼は役所に勤める日曜画家だった

 この絵の前に立った人は、画面いっぱい滴るように横溢する緑の分量感の心地よさをまず感じるだろう。僕などもこのところバロック絵画の、黒々とした演技過剰な絵について、あちこちで解説してきたものだから、こんなシャープな緑の色のそよぎに出会うと、まるでミント水で眼を洗ったような清々しい蘇りを感じるのだ。
ところがよく見ると、この絵の中心に置かれている主題は、白昼の凄惨劇なのである。豹が馬を襲う。生死をかけた戦いが繰り広げられているのである。その筈なのに、この平和感は何だろう。何か遠い世界の他人事みたいじゃないか。胸が締め付けられるようなハラハラ感は無い。むしろ、2匹の動物がじゃれ合って、ひょっとしたら睦みあっているような幻想!

アンリ・ルソー《馬を襲うジャガー1910年 油彩 ⒸThe Pushkin State Museum of Fine Arts, Moscow.

 

ルソーは税関吏で、長く日曜画家として絵を描いてきた。海外に行ったことも無い。休みの日に、パリの植物園に出かけては南方植物に見入り、絵ハガキなどで見る動物を組み合わせて、自らの夢想をカンバスに置き換えてきた。正式な絵の勉強もしていないから、一見稚拙とも思える仕上がりとなり、一段低く見られてしまいがちだが、強く擁護したのはピカソだ。ピカソは絵のプロ中のプロで、アタマで絵の方法論を開拓してきた人なので、何かを描きたいと言う根源的テーマはない。それゆえルソーの持つ「詩想」が羨ましくもあっただろう。作品を購入したばかりか、「ルソーを讃える夜会」まで開いて、画家を支援している。

会場で、ルソーの絵を見る際に注目すべきは、歯切れのいい輪郭、グラデーションの簡単さ、それに色数が少ないことだろう。実は浮世絵もそうだが、これらはみな版画の持つ特性なのだ。現代人が好む絵の条件を早くも満たしている。

 

プーシキン美術館展は、1014日まで。国立国際美術館(大阪/中之島)。

 

 

岩佐倫太郎・美術講演会のお知らせ 

11月8日(木)、東京駅前の新丸ビル10F、「京都大学・東京オフィス」で17時より19時まで。

 

関西で、美術ファンやビジネス・パースンに、これまで「ジャポニスム」の話をして来て人気講座になってきましたが、いよいよ東京でも始めることにしました。第1回は浮世絵が印象派を生んだ話。ここを押さえておくとその後の西洋美術が楽に体系を持って理解することができます。産業革命や万博、ファッションなどを絡めて、リベラル・アーツとしての美術史をお伝えします。

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広重《魚づくし――赤魚》(左右反転) フェリックス・ブラックモン《赤魚に雀図皿》

講演会のお問合せ、申し込みは iwasarintaro@gmail.comまたは このメールにそのままご返信ください日時118日(木)17時から19時 会場;東京駅前の新丸ビル10階「京都大学・東京オフィス」会費4,000円 すでに定員の3分の2のお申し込みを頂いています。参加ご希望の方は早めにお申し込み下さい。

美術評論家/美術ソムリエ 岩佐倫太郎

 

 

マティスと並ぶ野獣派(フォービスム)の旗手、ドランにも浮世絵の影響は見られる。

 

 

大阪・中之島の国際美術館で開催されている「プーシキン美術館展」。春に東京上野の都立美術館で開かれていたのが、巡回してきた。ロシアの詩人にして小説家の名を冠したモスクワの美術館が持つ、印象派やポスト印象派などを中心にした見ごたえある優品が並んだ。なかでも今回僕がいちばん実見したかったのが、この作品。アンドレ・ドラン《港に並ぶヨット》(1905年)。

油彩・カンヴァス ⒸThe Pushkin State Museum of Fine Arts, Moscow.

 

フォービスムの誕生を語るうえでとても貴重な作品。1905年、ドランはマティスとともに地中海のスペインに近い港町、コリウールに滞在して絵を描いた。二人は同じ年の秋のサロン・ドートンヌ展にこの地での成果を出品し、仲間のヴラマンクらと一緒の部屋に展示された。それらを見た評論家が、彼らの爆発して燃え上がるような色彩の使い方を見て、野獣(フォーブ)と名づけるのである。これがフォービスム(野獣派)の始まり。

 

この絵で見るべきは、フォークアート的な稚拙にも見えるデッサンの方では無くて(それも興味深いが)、すでにリアリズムから遠く離れた自在な色の使い方。色彩の跳梁と言ってもいいか。モネなど印象派の登場は確かに新しかったが、絵が自然の説明役であることはやめていない。まあ、それが印象派の限界でもあったのだが。それゆえこの反自然な色遣いは、当時の画壇を驚かせ、いつものことながら真に新しい時代の登場に、畏れと拒絶がない交ぜになったブーイングが沸き起こった。ところがいま、われわれがこの色遣いを見るとき、それを拒否したくなるほど不快に感じる人は少ないだろう。むしろ多くの人は自分の脳のどこかに、ある種の開放感や愉悦さえ覚えている筈だ。絵画における色が現実の再現に使われるのでなく、あくまでも画家の主観による新しい秩序に再構成されるのを、われわれ自身もどこかで歓迎しているフシがあるのだ。かくして時代は抽象絵画に向かっていく。

 

ところでマティスやドランの仲間で、やはり野獣派の一人であったヴラマンクは、ゴッホに私淑した人である。マティスと知り合ったのは、1901年、ゴッホの回顧展をパリの画廊に見に行って、そこで旧友のドランにマティスを紹介されてのこと。ヴラマンクゴッホの色彩への熱狂ぶりはその後、ドランにもマティスらと相互に影響を与えあい、上記の野獣派(フォービスム)の誕生につながる。そのゴッホは日本の浮世絵の影響によってオランダ時代の暗い色調を脱し、桃源的とも言える色彩世界を見出した人だから、そう思うとドラン、マティスヴラマンクらの野獣派もまた、ゴッホを中継して浮世絵につながっていると言える。日本の浮世絵の影響は、それくらい長い射程で理解されてしかるべきだろう。

プーシキン美術館展は、1014日まで。国立国際美術館(大阪/中之島)。

 

 

岩佐倫太郎・美術講演会のお知らせ 

 

ジャポニスムとは何かーー東京・講演会」 11月8日(木)、東京駅前の新丸ビル10F、「京都大学・東京オフィス」で17時より19時まで。https://www.facebook.com/events/218007072202096/

 

美術評論家/美術ソムリエ 岩佐倫太郎

 

印象派は浮世絵から始まった、という驚きの事実はもっと知られてよいだろう.

 

この5年くらい僕は、浮世絵が印象派を生んだと言う話を、京都大学NHKカルチャーセンターなどで語ってきました。

それは決して自国文化への贔屓の引き倒しではなく、日本の優秀なビジネス・パースンやこれから美術を楽しみたい

シニアの方々に、東西の美術交流の歴史を正当に知ってもらいたいからです。日本では何でも西洋から取り入れて、

マネをして学んできた、という自虐的な文化史観がなぜか幅を利かせているので、もう少し自国の文化にも自尊の念

を持ったらどうですか、といった気持です。特にこれから美術を少しづつでも判って行こう、楽しもうと思っている方には、

ジャポニスムから入るのが最適と僕は思っています。ここを押さえておくと美術の教養の幅が分厚くなって、印象

派以降の美術の流れを、必然として体系だってさらっと理解できるようになるし、近代の日本美術を見る場合も、

逆に西洋美術から受けた影響の部分を把握できるようになり、スジが通ってきます。

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広重《魚づくし――赤魚》(左右反転しています)    フェリックス・ブラックモン《赤魚に雀図皿》1867

ちょっと前置きが長くなってしまいました。フランスにおけるジャポニスムの始まりについては、面白いエピソードが

あります。19 世紀半ばのパリに、ブラックモンと言う名の版画家がいて、1856年のこと、仕事先で日本から送られ

てきた焼き物の包装や緩衝材に使われた紙を発見する。紙のしわを伸ばしてみると、そこにはまだ見たこともない、

いとも珍しい異国的な絵模様が刷られていたのです。驚嘆した彼は直ちに、マネやドガなど絵の仲間に知らせます。

若い才能ある画家たちが集まるカフェでは、たちまちに異国の絵に魅了され画法の違いに話題が沸騰したでしょう。

ちょうど当時のフランスは、産業革命が進み、万国博を開催し、海外の物産や美術にそれまでになく関心が高まっ

ていた時期でした。ブラックモンが手にした絵は、おそらく北斎漫画の刷り損じでしたが、ブラックモン自身もみずか

らディナーセット皿などのデザインに応用して、ジャポニスムのシリーズは長らく人気を博しました。その作例が上

の画像です。元の浮世絵を調べてみたんですが、これはどうやら広重の「魚づくし」の引用かと思われます(続く)。

 

講演会のお問合せ、申し込みは iwasarintaro@gmail.comまたは このメールにそのままご返信ください

日時118日(木)17時から19時 会場;東京駅前の新丸ビル10階「京都大学・東京オフィス」会費4,000

すでに定員の3分の2のお申し込みを頂いています。参加ご希望の方は早めにお申し込み下さい。

 

美術評論家/美術ソムリエ 岩佐倫太郎

京都大学時計台で7月に開催した講演会の参加費の一部を、去年同様、山中伸弥先生のips研究に寄付しました。臨床実験に

移行して資金がいくらでも必要な段階だとおもうので、ささやかながら応援させて頂いた次第。京大はから先日、感謝状を頂きました。

 

 

「浮世絵が印象派を生んだ」、と言うとエッ!と驚かれる方もいる。

この5年くらい僕は、カルチャーセンターや京大などでの講演で、「浮世絵が印象派を生んだ」ことを語り、ゴッホマティスにもつながる西洋美術の源流が、浮世絵に有ることを話してきました。始めインテリの人ほど疑わしそうな顔をされたんですが、この一年くらい、ようやく認知が広がってきました。また、関西ばかりでなく東京でそのことを語れ、との要望も多いことから、思い切って東京駅前の新丸ビルにある「京都大学東京オフィス」でシリーズの講演会を始めることにしました。もちろん単体でご参加頂けます。以下の画像は第1回のご案内です。

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17時~19時 東京駅前・新丸ビル10℉京都大学東京オフィス 参加費4,000円

ところで、われわれは絵画の見方や美術館のまわり方を、学校で教わることがまず無いので、多くの美術ファンは、年に何回か話題の企画展に出かけ自己流で絵を見て満足してしまって、あとは忘れてしまう、という事が多いのではないでしょうか。僕はそれは大変勿体ないと感じています。

美術史をちょっと知っておくだけで、絵を見る面白さも深さもウンと変わってきます。その入り口として僕がおすすめするのが、浮世絵と印象派なのです。ここを押さえておくと、西洋も東洋も両方が分かるようになるし、印象派が毀したルネサンスがどのような規範で出来ていたのかもわかります。そうするとルネサンスが発見しなおしたギリシャ美とは何であったかも自然と理解できるようになるのです。仔細な知識ではなく骨太な流れを感覚的につかんでおけば、どんな美術展が来ようが、海外旅行でどんな美術館に行こうが、戸惑うことなく面白さを堪能することができるようになります。

例えば上のゴッホの《タンギー爺さん》と歌麿ビードロを吹く女》が関係あるのかというと大ありなんです。広重とゴッホの関係も有名ですし、北斎は西洋美術に深刻といってもいい大きな影響を与えています。その辺をシリーズで解説していきたいと思います。できれば、「抽象絵画の見方」までワークショップ形式でやりたいと思っているところです。

お申し込みはiwasarintaro@gmail.comまでどうぞ。

美術評論家/美術ソムリエ 岩佐倫太郎

◆満席が予想されるのでお早めにお申し込み下さい。

■祇園祭の山鉾に、ギリシャ神話を見た! (その3 完結編)

いったい僕はなぜ祇園祭の《ヘクトールとアンドロマケ》に、かくもこだわっているのか。それは、イタリアの画家キリコの描く同の絵画に、以前から惹かてならないからだ。下の絵がそれで、ギリシャに生まれ育ち、アテネで教育を受け、シュルレアリスムにも大きな影響を与えた人だ。教科書にもよく載っているのでご存知の方も多いだろう。ちなみに同名作品は何点かある。

キリコ12僕のばあい、ギリシャ神話を知る前にこの作品の方を知った。しかしながら神話の物語を知らないままでも、睦みあうこの2体から発散されているのが、決して陽性な恋愛感情ではなく、明らかに悲劇性であることを感知するのはそう難しいことでは無い。それではいったい、表情も無いアンドロイドのような人形が、何故こんなにも、悲しみや別れの愛惜を表現しえるのか。ここには古代ギリシャが発明した美の規範、「コントラポスト」が深くかかわっていると僕は考える。    

コントラポストとは、ミロのヴィーナスに見るがごとく、片足に体重をかけ、腰と肩をひねるポーズである。そんな事がそれほど大した事なのか、と言う疑問の声も聞かれそうだが、ここには実に人間の解剖学的な立ち姿の美しさの黄金律が詰まっている。今でも絵を描く教科書やアニメの指導書を見れば、人物の描き方の最初に、どちらの脚に体重がかかっているのか、はっきり判るように描くよう強調して教えている。逆に左右の体重が均等なのは、存在感のリアリティを損ない、美しくもないのである。体重を片方に懸けることで骨盤が傾き、それにつられて肩の骨が傾いてかつ捻られるーー。ギリシャ人が発見したモデリング理論である。そのもとは、紀元前9世紀にはじまる古代オリンピックで、ギリシャ人が人体の運動性を伴う美しさに、早くから開眼していたからだと僕は推論している。

さてキリコの絵は「形而上絵画」などと的外れなくくられ方をするが、思うに彼はギリシャ美の構造を知的に分析する研究者なのである。彼の作品はその研究成果を言葉による論文でなく、絵で発表したまでのことである。表情に頼らずとも人間の感情は骨の角度と体重のかけ方で表現できる、彼はそう言っているのではないか。  

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ヘクトールとアンドロマケの別れ》1918大原美術館 《民衆を率いる自由の女神1830ドラクロア

祇園祭から話が大きく飛んでしまったので恐縮だが、キリコはギリシャ美の伝統を現代に受け止め、コンセプチュアルに再構成して見せている。その意味では15世紀のルネサンスが発見したギリシャ美を、20世紀にもういちど発見した人とも言える。彼の絵に見る不思議な遠近法なども、ルネサンスの得意技である一点収束の遠近法を解体しながら批評しているのだ。これは彼が長くフィレンツェに住んだ事とも関係なしとしない。

思うにコントラポストのモデリング理論は、ミロのヴィーナスに源流を持ち、ガンダーラの仏像にも東大寺南大門の運慶快慶にも発現し、また近世のドラクロアの《民集を率いる自由の女神》にも、ニューヨークの巨大な自由の女神像にも脈々と受け継がれ、世界中を今なお支配下においている。それを僕に気づかせてくれたキリコの《ヘクトールとアンドロマケ》だからこそ、祇園祭タペストリーまで気になって追いかけをした次第(祇園祭の項、完)。

美術評論家/美術ソムリエ 岩佐倫太郎

祇園祭の後で目的のタピストリーを確認して納得し、その後、近くの室町での連歌会に出席した。毎年この時期、芥川賞作家の高城修三さんを宗匠に、地元の「鯉山保存会」の理事長で国立民族学博物館の名誉教授でもある杉田繁治先生が世話人となって開かれる。実は鯉山鉾にもまた、ヘクトールの父王であるプリアモスと王妃のタピストリーが懸けられるが、僕はまだ実見していない。来年に期したい。さて、この日僕は正客(メインゲスト)なので、発句の挨拶句を持参して披露した。「祇園会やギリシャ神話のつづれ織り  水澄子」。総勢20数名、名手たちが佳句を連発し居酒屋での連歌会は大いに盛り上がったのだった。

 

 

■祇園祭の山鉾に、ギリシャ神話を見た!(その2)

 

さて、《ヘクトールとアンドロマケ》は何処に?我ながらご苦労な事ではあるが、そのタペストリーを探して超炎天下、御池から裏道を先頭の「長刀(なぎなた)鉾」のいる四条までいったん出て、そこから逆に戻るようにしてみた。長刀鉾は「くじ取らず」といって、くじ引きに依らず巡行ではいつも先頭に決まっている。今年は先頭グループの「霰(あられ)天神山」がその懸物をしているとの情報も得たので、鳥居を頂く特徴ある山車の織物を確かめて見たが、それは海と海豚のような図柄で確かにギリシャ神話だろうが目指すではなかった。
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◆鶏鉾(にわとりほこ)◆ 右の綴れ織が、中世にベルギーで織られた《ヘクトールトアンドロマケ》を複製新調したもの。

夏の京都の日中を動き回るのも、なかなか自虐的だ。途中見つけておいたタイ料理の店でひと息入れることにする。香辛料とビールで思い切り発汗させて体温を下げておいて、そのあともう一度、ヨイショと気合を入れて立ち上がり、四条新町の交差点に向かった。すると背の高い鉾がちょうどタイミングよく辻回しに入っていて、大勢の男たちが声を掛け合いながら一斉に仕事を始めたのだ。浴衣の背中には「鶏(にわとり)」の文字が染め抜かれている。それで、ああ、これが鶏鉾なんだなと判る。その鉾に視線を移して、鉾の背面にある飾りを見上げていくとおぉ!なんと目指す《ヘクトールとアンドロマケ》の織物が麗々しく懸けられ、見てくと言わんばかりにこちらに向かって回転してくるではないか!確かに幼児の姿もある。間違いない。                        

トロイの王子、ヘクトールギリシャの敵将アキレウスとの戦いに赴く朝、家族と束の間の別れを惜しむ。綴れ織りの画像を見て頂くと、手前の中心人物がそのヘクトール。後ろの武人は、父王プリアモスと王妃だろう。実はこれが妻や幼な子、父母との最期の別れとなるのだが。王子は討たれ、遺体は引きずり回され、妻のアンドロマケは仇のアキレウスの子に戦利品として与えられ妻とされ、幼な子は塔より投げ落とされて殺害されるーー。戦争による悲劇、過酷な運命の物語。口承で伝わったホメ―ロスによる叙事詩文学の最古にして最高の作品。3千年の時空を超えて、いま都大路の祭礼に蘇ったのである(つづく)

美術評論家/美術ソムリエ 岩佐倫太郎

 

◆読者の皆様へ◆もうお気づきの方がいらっしゃるかもしれませんが、わが「岩佐倫太郎ニューズレター」は先号で通算200回を突破しました。ちょっと感慨深いです。きっかけは10年前のある日、渋谷で僕の好きな建築家フランク・ゲーリーの記録映画を見て感激し、友人たちにレポートを送りつけたのが始まりでした。それがいつの間にか展覧会の案内と美術批評のメルマガのシリーズとなり、それを見た出版社の役員の方が出版を勧めて下さり、ついに美術に関する本を出すに至りました。そうすると今度は本の反響があって、あちらこちらで講演依頼があるようになり、かくして本人も思わなかった形で美術評論家が誕生した訳です。僕自身はメルマガを書くことで、計り知れない恩恵を受けています。アンテナが高くなり、文章力はおのずと鍛えられ、多くの未知の方々とも知り合うことができました。人生いろいろやってきましたが、もうあとは美術一本で行くのみです。これからもご愛読いただければ幸いです。

 

 

■祇園祭の山鉾に、ギリシャ神話を見た!(その1)

1か月にわたる祇園祭が続いている京都だが、なんといってもハイライトは前祭(さきまつり)の山鉾巡行だろう。717日(火)、恒例の「祇園祭連歌会」への出席を兼ねて山鉾見物に出かけた。今年の目的は、ギリシャ神話の《ヘクトールとアンドロマケ》のタピストリーを探して実見する事。今から3千年も前のホメロスの叙事詩の有名な場面が中世ベルギーでつづれ織りにされ、オランダ商館長から献上品として徳川家に渡り、その後、幾つかに裁断されて徳川親藩の大名家などに下賜され、それが流れ出て、に京の祭りのを飾ることになろうとは!(祇園祭は移動美術館でもある)。

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◆函谷鉾(かんこぼこ)◆ 右の綴れ織は、旧約聖書の《イサクの結婚》。美しい娘「リベカ」は従僕に水を与え、下の部分では従僕がリベカに婚約の印の腕輪を贈っている。時間の経過を一枚に表現する「異時同図法」。日本の絵巻物も得意とする技だ。

さて、京都には昼前に着いたので、地下鉄で直接御池通りへ。地上に出ると、目の前には巨大な函谷鉾(かんこぼこ)。確かに西洋の宗教画風の掛物が下がっているのだが、これは目的のギリシャ神話ではない!旧約聖書の《イサクの結婚》だ。それにしても旧約聖書までが祇園祭タピストリーとなって、鉾を飾っているのには驚かざるを得ない。洋の東西の違い3千年の時間軸も軽々と超えて、旧約の創世記のエピソードが、この京都の祭りに出現するとは!

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ちょっとだけこの旧約聖書の物語を解説するとアブラハムの息子=イサクの嫁の候補者を探して、アブラハムの従僕が旅をしていたとき、とある井戸で渇きを覚えて水汲みに来た娘さんに水を所望する。するとその美しい土地の娘は、従僕に井戸から水を汲んで与えただけでなく、連れている駱駝にも水を親切にも飲ませたのだ。その優しい心根と美しい容姿に、この人こそ神の予言の人従僕は娘の家族を説いて、カナンの地に連れ帰る、というストーリー。そんな遠い異国の物語を何のわだかまりも無くディスプレイする祇園祭は、奥深いと言うべきか、いっそ奇怪と言うべきか・・。いったい祇園祭って何なんだ、それでなくても暑いのに、アタマがクラクラさせられるではないか(つづく)。

 

美術評論家/美術ソムリエ 岩佐倫太郎

 

715日(日)京都大学百周年記念時計台の国際ホールで、森耕治先生との2回目の美術講演会を行い、好評裡に終えることができました。今年はジャポニスムゴッホからマティスまで掘り下げ、西洋美術史における浮世絵の影響を俯瞰的に検証しました。またその後、同じ時計台のフレンチ・レストラン「ラ・トゥ―ル」の料理で懇談会を開き、多くの名士、名流ご婦人にもご参加いただき、美術の話に花が咲きました。暑い中、ご参加のみなさま、本当にありがとうございました。改めてお礼を申しあげます。なお収益の一部を今年も、山中伸弥先生のiPS研究に寄付させて頂きます。