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鉄斎は現実と空想を往還しながら、まったく新しい理想郷(仙境図)を作り上げた。

 

■生誕180年記念 富岡鉄斎―近代への架け橋―展】兵庫県立美術館

その①

神戸市の兵庫県立美術館では、宝塚の清荒神にある鉄斎美術館のコレクションを中心に、各地の国公立美術館や宮内庁からも作品を集めて、最後の文人画家で巨匠と言われる富岡鉄斎(1836~1924)の画業を克明にたどる大掛かりな展覧会が開かれています。

f:id:iwasarintaro:20160324134838j:plain《富士山図 》(右隻)1898 年 紙本着色、六曲一双 清荒神清澄寺 鉄斎美術館蔵 ◇前期展示

まず文人画とは何か、その辺から明かにしておきましょう。文人画とは、詩人や政治家など絵描きではない職業のものが、あくまで余技として楽しみのために描く絵のことを指します。水墨画や淡彩画が主です。たとえば有名な宋の詩人にして書家の蘇軾の絵などはその例。日本だと南画とも言われますが、江戸の俳人の蕪村の絵なども思想的にはまさに同じです。彼らの描く絵は本質的に売り絵ではないので、売れセンを狙ってこれ見よがしな技巧を見せつけたりする訳でもなく、むしろエスプリと真情にあふれたイノセンスが特徴とも言えます。絵の種類は、人物画や風景画はもちろんのこと、これに加えて「仙境図」と言われる、文人の胸の中に宿る理想郷を空想的に描く、きわめて特徴的な伝統のジャンルがあります。僕から見ても最も面白いのはこの仙境図です。                       
さて、上の画像は≪富士山図≫ですが、鉄斎63歳のときの作。六曲一双の右隻。横幅は3.5メートルを越え、今展の目玉中の目玉でしょう。鉄斎美術館所蔵で、宝塚市指定有形文化財にもなっています。僕もこれをもう一度見たくて足を運びました。
この絵がなぜいいかと言うと、鉄斎絵画の本質を最もよく表わしているからです。というのは、ふつう人はこれを富士山というリアルな風景画(真景図という)と思いがちですが、さにあらず。よくご覧あれ。鉄斎の手にかかると、秀麗かつ端正なはずの富士山が、かくもデフォルメされ、人外魔境というか妖気を孕んだ世界に変身する。現実は現実でなく、リアルを超え、鉄斎はもうすでに富士山のうちに仙境を見出しているわけです。
この右隻は、そうしたSF的なまでに非日常的な物語世界へ、見る者をして誘い込む巧みな導入部となっている。リアルと空想の往還こそ、鉄斎絵画の目指す世界観です。                                    
そして見る人の目が左隻に移ると、そこには空中から眺めたありえない角度の富士山頂の姿が、まがまがしいまでに立体的に存在する。これには驚きます。多くの人は富士山の絵と言えば、北斎や大観やまた片岡球子あたりの平面的かつデザイン的な絵は知っている。しかしこの鉄斎のように火山の霊気を受け止め、エネルギーを舐め取るようにして描いた絵は知らなかったのではないでしょうか。

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《富士山図 》(左隻)1898 年 紙本着色、六曲一双 清荒神清澄寺 鉄斎美術館蔵 ◇前期展示

 天に届きかねない大地の頂点で、宇宙の統一的ともいうべきエネルギーが流露するのを感得し、自ら共振しながら描いている作品です。「万巻の書を読む」ことをモットーとした教養人鉄斎の、仏教・儒教道教の3教に神道を加えた膨大な教養の蓄積が一挙に自噴して、余人のなしえない幻視を実現してしまったと見てもよいのではないか。僕はこの宇宙的な力とのヴァイブレーションを見るとき、ついオランダのゴッホが神経の被覆をむき出しにして、星月夜や糸杉と感応しあったことを想起せずにいられません(つづく)。
 http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_1603/ ←展覧会HP

会期は2016年5月8日(日)まで  作品の入れ替えあり

 
美術評論家 岩佐倫太郎 
■後記 今回の県立美術館展を共催する鉄斎美術館は、我が家からも近くにあって、僕も清荒神神さんを散歩するついでに寄る行きつけの館にしています。柱のない広大な展示室はまことに見やすく、屏風絵などをウンと近づいてディテールを確認したり、逆に遠く離れてみて、雄大な構図法や余白の使い方の巧みを感服して見たりしながら、鉄斎ワールドを楽しんでいます。