第2回 カラヴァッジョとの対話;あなたはルネサンスのどこを新しくしたのか?

■【日伊国交流樹立150周年記念 カラヴァッジョ展その②】国立西洋美術館

 

 

(前回より続く)僕の横に、男がドスンと座り、肩をぶつけて来た。失礼な奴だな!

そう思って横目でにらんだら、男は黒いあごひげをはやし、上半身の胸郭が厚い。

日本人じゃないな、そう思った瞬間、男が前を向いたままバリトンの声で威嚇する

ように話しかけてきた。

                      

「あんただな、俺と話をしたがってるのは?」

「え~っ、そういう、あ、あなたは、ひ、ひょっとしてカラヴァッジョ先生?!」

「阿呆う!その先生と呼ぶのはやめろ。殺人犯を先生と呼ぶやつがどこの国にいる

んだ。それに声がでかい。絵は静かに見ろと教えられてなかったのか」

「は、はい。すみません。では、あちらの世界から降りて来てくれたんですね。エマオ

の奇跡ですね」

「畏こまってる割にはギャグが好きな奴だな。早く質問をしてくれ。地上にいられる時

間は長くないんだ」

「ありがとうございます。先生、それでは・・」

「バカ!俺を先生と呼ぶなと言ったろう。今度、先生と言ったら罰金だぞ!」

「で、では、カラヴァッジョさん(汗)、ダ・ヴィンチをどう思いますか?」

「大雑把な質問だな、もうちょっと考えて質問できないのか(怒)。俺を怒らせると剣を

振り回し、見境なく相手に切りかかるのを知ってるだろうな?」

「ええ、それはもう、有名ですから、ひええ~!」

「ったく!言っとくが、ダ・ヴィンチは超えるべき目標で、ライバルだよ。若くしてミラノの

工房に住み込んで、これから絵で人生を始めようとしていた俺にだ、サンタ・マリア・デ

ッレ・グラツィエ教会の《最後の晩餐》は、根源的な衝撃を与えたんだ。こっちは二十歳

にもならない絵の小僧なんだぜ。百年も前の絵なのに、ビンビン俺には響いて来るじゃ

ねえか。この中に裏切り者が一人いる、そうイエスが断言した時の弟子たちの狼狽や

困惑。これは歴史画じゃない、目の前で今起こっているドラマなんだってね」

ダ・ヴィンチは革新的なんですね」

「そこがダ・ヴィンチの新しいとこだ。褒めていいとこかな。だがな、俺ならもっとうまく描

くぜ、とも思ったんだな。不遜だろ。だいたいのルネサンスの画家の絵なんざ見掛倒し

張りぼてだよ。ギリシャの古い神さん引っ張り出して、ほこりを払って珍重してやがる

んだ。ご大層なクサい田舎芝居をはい!ポーズ、みたいにやってやがる。そんな絵の

どこに、今日を生きる真実があるのかね。」

「コテンパンですねえ(笑)」

「ところが奴っこさんは別だ。不遜で不敬、瀆神的なところも俺と同じだ。違うのは結局

奴は科学と言う真実を極めたい。絵はその手段のひとつだ。俺は人間の真実を極め

たい。生きる人間のな。宗教画はその手段のひとつだなんだよ」

「では次の部屋の《洗礼者聖ヨハネ》などは、カラヴァッジョさんの思う真実なんですね」

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「うむ。白いひげを生やしたモーゼみたいな老人ばかりが聖人じゃない。それはルネサンス

の覚えたヨイショと言うもんだ。真実はもっと別のところにある。俺は若くて美しくて、隣の兄

ちゃんのような生きてるヨハネを描きたかったんだ。葦の十字架や洗礼の鉢がなければ、荒

野のヨハネとは思わないだろう」

「ふ~む。なるほど、そうだったんですね」

「安い相槌の打ち方だな。もっと感心してもいいんだがな。このうぶさを愛したくならないか」

「ああ、なるほど、ちょっとわかってきたような・・」(つづく)

 

ニューズレター配信

岩佐倫太郎  美術評論家

■後記 漫画のシナリオのつもりで書いたニューズレター。笑って読んでいただければ有りが

たいです。4月末に僕の母校である大阪の住吉高校の同窓会館でOBの方々を前に美術史

の講演をしました。面白かったのか?、終了後、多くの方が質問や挨拶に来てくださいました。