ギリシャの美はどのように生成し変遷したのか、3千年にわたる時のドラマを俯瞰しつつ旅しよう。

 

  • 特別展【古代ギリシャー時空を超えた旅ー】(神戸市立博物館) その④ ■

 

現代に生きる我々はいまだに美意識においては、ギリシャ美の虜囚である。完璧すぎる立体感、

これ以上の理想は見出せそうに思えない有無を言わさぬプロポーション。時として解剖的なまで

に美しい動態モデリング・・。白い大理石に刻まれた彫像に我らはいまだにぞっこんなんである。

それではそのようなギリシャ式の整形美はどこから始まるのか。さしずめ下の真ん中の②《ク―ロス像》あたりを始原と見るのは健全かつ妥当だろう。

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①スペドス型女性像    ②ク―ロス像     ③アルテミス像

 

これは紀元前6世紀のもの。それが次第に③の《アルテミス像》のように繊細な処女美に移り、

ついには、下にあるような過熟ともいえるひねりの効いた演劇的リアリズムに到達する。この《青

年像》は、奇跡的にエーゲ海の海底から引き揚げられたもので、損傷は激しいものの土や砂に

うずもれていたおかげで重要な部分が幸運にもよく保全されている。ギリシャ美が頂点を極め、

さらにとうたけて世界中に広まったヘレニズム時代の美の規範を現代によみがえらせてくれる貴

重な作品だろう。②のク―ロスから④の青年像に至るまでせいぜい300年の出来事ではあった。

              

まあ、ギリシャ美の祖型は紀元前5,6世紀に生まれ、紀元前後には

f:id:iwasarintaro:20170210113541j:plain④ 青年像

もう頂点を極め、過熟して熱波のように世界に広がるーー。それをロ

ーマ人が継承して、ルネサンスで再び脚光を浴び、19世紀の新古典

派の時代に三たび浮上した。ギリシャ美の概観はそのような理解で

十分だろう。                   

しかし、僕は一方で紀元前2500年くらにいは平気で遡る、①の《スペ

ドス型女性像》を、東海道五十三次日本橋起点のように置いて、い

つも現在位置を参照するのに使いたい誘惑に駆られてならないのだ。

学術的には何のつながりも証明できないだろうけど、プリミティブな

造形の中に早くも潜む造形欲求というか、整形美への志向を、このピ

カソやジャコメッティなどに霊感を与えた豊穣の女神に見出すからだ。

もし読者の諸賢兄姉がぼくの妄想に笑ってお付き合いして頂けるなら、

その時ギリシャ美の系譜、壮大な時空を超えた妖艶な絵巻物に姿

を変えるのだが。

 

さて、上の青銅の青年像に話を戻すと、《ミロのヴィーナス》や《サモト

ラケの二ケ》と時代を同じくするヘレニズム期に属するが、一体全体、

このように人体表現を立体的かつ動態的に、唯一ギリシャ人が高め

 

完成させ得たのは、何故なのか。次回その辺のまだ誰も語らない僕の説を開陳させて頂く(つづく)。

 

①《スぺスドス型女性像》前2800年~2300年 キュクラデス博物館蔵

©Nicholas and Dolly Goulandris Foundation-Museum of Cycladic Art, Athens, Greece

②《ク―ロス像》前520年頃 アテネ国立考古学博物館

©The Hellenic Ministry of Culture And Sports-Archaeological Receipts Fund

③《アルテミス像》前100年ごろ アテネ国立考古学博物館

©The Hellenic Ministry of Culture And Sports-Archaeological Receipts Fund

   ※紀元前4世紀のオリジナルを前100年ごろに翻案したもの

④《青年像》前4世紀~3世紀 アテネ水中考古学監督局蔵

©The Hellenic Ministry of Culture And Sports-Archaeological Receipts Fund

 

■展覧会の会期は、2017年4月2日(日)まで、神戸市立博物館にて。

                      

美術評論家 美術ソムリエ 岩佐倫太郎