【神話と歴史の島に、巨大な海獣が吠えるのを見た】

【神話と歴史の島に、巨大な海獣が吠えるのを見た】

京都の古代史の仲間と3年ぶりに歴史探訪の旅に出かけた。会の代表は芥川賞作家の高城修三さん。マイクロバスで淡路島に向かい、南端からさらに船に乗り継ぐと、紀伊水道に浮かぶ「沼島」(ぬしま)に着く。そこからさらにチャーターした漁船に乗り継ぎ、島を南に回遊したところに海面を貫くように突出したこの巨大な彫像?はあった。

高さは水面から30メートル。どうやら1億年前の白亜紀にできたものらしい。1億というと、1万×1万。1万年は何とか想像がつくかもしれないが、それが1万回繰り返すとは・・・もう気が遠くなる。このころ日本列島は大陸とまだ地続き。ナウマンゾウやマンモスが去来した時代だ。人類の先祖はまだ小型哺乳類として、恐竜におびえながら生き延びていただろう。

ちなみに人間が誕生したのは、500万年前のアフリカらしい。チンパンジーやゴリラと進化上、枝分かれしたことが遺伝子の配列を比較する分子時計で解っている。

さらに現生人類(ホモサピエンス)の登場となると、30~20万年前のことで、地球史の中ではごくごく最近の出来事に属す。

ところでこの島を、古事記日本書紀が記すところの「国産み神話」の「オノゴロ島」に見立てる説がある。まあ他にも淡路島には、オノゴロ島として名乗りを上げる土地はあるけれど。この地が説得力を持つのは、この巨大な石柱のせいだろう。というのは、伊弉諾尊(いざなきのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)の二神が「天浮橋」(あめのうきはし)に立って矛(ほこ)でもって海原をかき回し、矛を引き上げたところしずくが滴って凝り固まってひとつの島になるーーそれがオノゴロ島。二神はそこに降り立ち、石柱!の廻りを回り夫婦の交合をして次々と国産みをなしたというのだ。その最初の島が淡路島で、そのあと四国、佐渡、本州など次々に産んで大八洲(おおやしま)の日本列島を作った、と我が国の国産み神話は伝えている。

島が海に浮かぶ画像は、淡路島の南端を東西に走る山並みの最高峰「諭鶴羽山」(ゆづるはさん=607.9m)から沼島を見たもの(wikiより)。実はこの島と淡路島本島の間に、有名な中央構造線が走っている。太平洋のプレートがユーラシアのプレートに地殻運動で潜り込んで、吉野川、沼島、紀ノ川から信州の諏訪湖へと至る、V字状の深い谷をなし、直線的につながっている。これを発見したのが、明治政府の招へいで来日したドイツの地質学者ナウマン。お気づきの通り、「ナウマン象」に彼の名は残されている。

淡路島の最高峰、諭鶴羽山(ゆづるはさん)標高608Mからの眺め
さて、この日の旅のランチに思わぬグルメが待っていた。沼島の波止場の上にある民宿の食堂でいただいたイイダコの煮つけ。ついで名物の鱧(はも)。早くも大きくぷっくりと脂の乗ったのを香ばしいまでに茹でた湯引きと、あと鱧の天ぷら。好物がこんなに早い季節に食べられると思っていなかったので、大いに喜んだ次第。これも地方へ旅する楽しみかな。

 

岩佐 倫太郎   美術評論家/美術ソムリエ