【巫女は舞う、神楽の囃子に乗って】

【巫女は舞う、神楽の囃子に乗って】

古事記日本書紀に記された「国産み神話」の始まりの舞台、淡路島。先に書いたように、伊弉諾尊(いざなきのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)が天界から地上のオノゴロ島に降り立ち、石柱の廻りを回ったあと夫婦の契りをして、子を成す。その最初の子が淡路島。ついで四国、九州などと島を生んで行き、大八洲(おおやしま)と呼ばれる日本列島が完成する。

そのイザナキとイザナミを祀る神社が淡路島の北西部にあり、名前もそのまま伊弉(いざなき)神宮である。神社でなく神宮とあるのは社格が高いことを示している。「記紀」によると、夫婦は島々を生んだばかりか、イザナキの眼からは天照大神(あまてらすおおみかみ)が生まれるなど、子孫も次々と産み落とす。ちなみに主神のアマテラスは女の太陽神で、天皇家の祖神として伊勢神宮に祀られているのは、ご承知のことばかり。記紀には国産み、神産みを終えたイザナキが、淡路島のこの地に幽宮(かくりのみや)、つまり隠居所を作ったとあり、それが伊弉諾神宮の起源。あまたある日本の神社の中でも最も古いとされる。

さて、われら旅のご一行様も今回の重要な訪問地に参り、そろって舞殿に上がって正座すると、儀式は始まった。初め、神主さんがトン、トンと傍らの太鼓を繰り返し小さく打ちならす。天地の間に横たわる空気を震わせて、天上の神々の降臨を促したのか、ともかく粛々と神とのチャネルを開いたのに違いない。一同は辞を低くしてお祓いを受け、代表者や団体の名が詠み込まれた祝詞を授かる。本殿とは別に舞殿(舞台)が別にしつらえられているのは、これも相当な格式を示すものだろう。儀式は次いでうら若い巫女が舞う神楽に移る。紅白の衣装に身を包み、あでやかな髪飾りを戴いた二人の巫女が扇を掲げ持ち、もう片手で鈴を涼やかに振り鳴らしつつ、一歩一歩と進み出て、やがて中央の板張りの舞台に達する。神官の吹く横笛も加わって、太鼓とともにそこだけは特別な音空間が生まれ、巫女たちは交差しながら思い切り抑制されたお能のような足の運びで、神聖劇を演ずる。昔なら「神人一体の饗宴」というところだろう。あいにく神の降臨を感得するだけの感受性は、僕にはなかったのが残念だが・・・。巫女の舞が終わると、代表が本殿に進んで玉串をささげ、そのあと皆にお神酒が振る舞われてセレモニーは終わった。

舞殿に接続する格調高い本殿

この伊弉諾神宮には、樹齢900年の巨大な2本の幹が合体したような夫婦クスもあって、夫婦琴瑟や長寿のシンボルとして金婚式などの場にも珍重されているようだが、驚きはそれだけではなかった。実はこちらがさらに重大かもしれない。それは、伊勢神宮と緯度が全く同じで、春分秋分の日の日の出の瞬間は、太陽と伊勢神宮(内宮)と伊弉諾神社が一直線になるというのだ!誰がどのようにこの神宮の立地を定めたのか?そんな大昔に天文の知識や測量の技術はあったのか。軽い気持ちで神話や古代史を覗き込んだつもりが、事態はミステリアスに。謎はさらに深まる。

(上の画像は神宮の石碑の写真に、岩佐が文字をカラーで追加加工したもの)。黄色い丸が、お伊勢さん。東西の横一直線に春・秋分の日の出のラインが並ぶ。興味のある人はついでに、時計の2時8時のラインも見ていただきたい。夏至の日、信濃諏訪大社と一直線に連なる。これは偶然だろうか?

 

岩佐 倫太郎   美術評論家/美術ソムリエ