侘び茶の開祖とされる珠光。殿様の茶事とは対極。どこが違うのか、碗は雄弁に語る。

□■東洋陶磁美術館 【黄金時代の茶道具 ―17世紀の唐物 2の② □■

 

足利将軍家の唐物コレクションである東山御物(ひがしやまごもつ)。残された絵画や茶碗などを眺めているうちに、日本の「床の間」は、言われるような仏壇の発展形などでは無く、東山御物の陳列のため、将軍に近侍する「同朋衆(どうぼうしゅう)」が考え出したものではないか、そんな風に思えてきました。絵や墨蹟などフラットなものもあれば、香炉、花活けのように立体感のあるものもある。これを一堂に、将軍の威厳とともにディスプレイするにはどうするか。美術品ギャラリーとしての床の間や違い棚を常設するのがいいーーそうなったのではと想像するしだい。

 

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玳皮(たいひ)天目 南宋時代 12-13世紀 京都国立博物館蔵 これも東山御物だったか

 

    

 

 

さて、その同朋衆として知られる能阿弥は、舶載品の絵画をランク付けしたり、補修管理に当たるわけですが、また芸能者として時の将軍、足利義政への献茶をも行った。ちなみに喫茶そのものは、禅僧・栄西が中国より伝えてすでに広まっていた。おそらく将軍スタイルは、いきおい華麗で多分に儀式性の強いものになったのではないか。一方、珠光は同時代の能阿弥とも十分な交流があり、中国の華麗な舶来趣味はよく知っていた。ところが、自らの審美眼を賭して選び取ったのは、なんとも地味な朽ち葉色の下のような一碗。前回も掲げた画像ですがよくよく見れば、珠光青磁と呼ばれる茶碗が暗示する世界は、世俗的な富貴や損得に頓着しない、禅的で閑なる静謐とでもいう心構えに満ちている。ただし決して野卑ではなく、福々しさも兼備しています。

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珠光青磁茶碗 銘遅桜  南宋時代~元時代 13-14世紀  根津美術館

 

こんな茶碗をよしとするなら当然、お茶のスタイルも変わるのが必然といえましょう。このとき珠光はさまざまな革新をやってのけています。まず、大型の書院の茶から草庵の茶へ。4畳半を珠光が始めたといいますから、大変なダウンサイズ。また圧倒的に新しかったのは、茶事の中に始めて精神性を持ち込んだことです。有名な一休和尚のもとに参禅した珠光は、お茶も禅も一体の修業とみなした。となると茶席に身分の上下差があってはならないと、ラジカルな平等主義をも唱えます。さらに、「月も雲間の無きはいやにて候」との言葉にもあるように、翳りや不完全なものに美を積極的に見出し、日本美のあり方を大きく変えます。当時の連歌、和歌などの前衛が発見していた「侘び」を取り入れた「枯れ寂び」の世界観です。今で言えばパンク的なかっこよさがあったのではないでしょうか。その後、確かに利休によって2畳台目のミニマムな茶室が作られ、長次郎に黒い茶碗を焼かせるなど、極限まで思想性を突き詰める侘び茶の実験がなされましたが、大きさと革新性においては、珠光には敵わない気がします。

 

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さて、侘び茶の世界は、さらに進みます。写真は朝鮮のものですが、水

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重要文化財 雨漏堅手茶碗(あまもりかたてちゃわん)朝鮮時代 15-16世紀 根津美術館

 

彩画を見る心地も。人懐こさと同時に儚い風情もあって、知ればたちまち愛さずにいられない一碗。もうここまで来ると民芸などとも気分は地続き。以上まことに粗々ではありますが、茶碗と茶道の美の興味深い変化を眺めてみました(完)。                       

 

 

 HP→    http://www.moco.or.jp/   なお、5月19日より和泉市久保惣記念美術館蔵の国宝・青磁鳳凰耳花生 銘 萬声が展示されています。

 

628日(日)まで 月曜日休館      画像は大阪市立東洋陶磁美術館提供

 

 

岩佐倫太郎 講演会のお知らせ

 

628日(日)、宝塚市中央図書館にて、小生の美術講演が開催されます。

 

「美術で見る楽園への旅――印象派琳派そして鉄斎」

 

時間は2時半から4時まで(210分開場)2階の会議室。多くの画像をご覧

いただきながら、絵の見方を楽しんで知って頂く趣向です。阪急・清荒神駅の駅

前です。お近くの方、沿線の方はぜひご参加ください。無料。当日先着順70名です。

 

 

近著 「東京の名画散歩」――印象派琳派が分かれば絵画が分かる(舵社)  

ニューズレター配信  美術評論家 岩佐 倫太郎