ゴッホの《種まく人》の種とはいったい何なのか?名画の中の「種」を巡って、僕の疑問は尽きない

最初にお断りですが、左下のミレーの《種まく人》は、今回の国立近代美術館の「ゴッホ展――巡りゆく日本の夢」には来ていません。話を進める都合上ボストン美術館の画像を借用して掲出したもの。時々間違って、「無かったじゃない」とおっしゃる方が居るのでどうかご注意下さい。 

  

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右;《種まく人》1888年 ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵© Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundatio

 

さて、今回の本題です。ゴッホ展で僕が一番気に入っている《種まく人》ですが、見るほどに不思議に思えて来る。いったい農夫は何の「種」を播いているのか?と。左のミレーのばあい、播いているのは「小麦」という解釈でいいでしょう。バルビゾンの村での写生がもとでしょうが、季節は当然、秋。秋に播いて春に収穫するのが小麦です。冷涼なヨーロッパの冬にしっかり育って、一粒がそれこそ聖書にもあるように何十倍にもなって実るのですから、これほど有り難い穀物はない。                          農夫はフランスのうねる大地で、丘の上だけ光が残る秋の夕暮れに、まだ種播きを止めません。働き者でおそらく信仰厚き農夫の、大地への感謝に生きる敬虔な姿が、見る人の心を打ちます。

 

当然ながら、この絵の背後にキリスト教徒なら、「一粒の麦、もし死なずば・・」以下のヨハネ福音書の自己犠牲と救済の言葉も、反芻しながら二重に意味を読み取っているはずです。ミレーはいつも物語を戦略的に仕掛けるのがうまくて、このばあい農民画はそのまま格調高い宗教画ともなっています。この辺が、ミレーが世界的に人気のある秘密でしょう。

                                                          

さあそれでは、いよいよゴッホ版の《種まく人》に移りましょう。東西文化が見事に異融和したこの傑作に、僕はある種の不可解さも感じています。それはまず、この梅の木です。先にもご紹介したように、この木は広重の浮世絵、《亀戸梅屋敷》に由来します。梅はアルルにはなかったでしょうが、南仏では梅の仲間の「バラ科」の花には事欠きません。アンズも桃もそうです。今展でも、まるで日本画のような《花咲くアーモンドの木》が出品されていますが、アーモンドも梅と同じバラ科です。ゴッホは、アーモンドの花などを見て、その向こうに同じバラ科である梅を夢想し、憧れの日本を思慕してこの梅を描いたのでしょう。寒いパリを逃れて憧れの南仏で春を初めて迎え、期待通り日本のイメージに出会えた画家の震えるような歓喜が伝わってきます。

                               

その上で疑問だと思うのは、一体、梅の咲く春に小麦を播く絵があっていいのか、と言うことです。普通に考えればミレーが小麦だから気にしなければ、それを引用したゴッホのも小麦だろう、となりますね。しかしこの季節感が裏腹な感じは、ちょっと解釈が厄介な気がします。では、どう考

えればいいのか。長くなるので次号に分割して自説を展開させて頂きます(続く)。

 

ゴッホ展(京都会場)は、3月4日まで。岡崎の国立近代美術館にて開催中。

 

岩佐倫太郎 美術評論家 美術ソムリエ 

 

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