ゴッホの《種まく人》の「種」とは一体何なのか?僕の推理は、あまりにも奇説に過ぎるだろうか

気になって来た疑問は、秋に行うべき小麦の播種を梅の咲く春に行った絵を描いて可笑しくな

いか、と言うこと。それに対する考えのひとつは、この梅は単にコラージュだから、季節が不整

合でも構わない、梅は春、小麦を播くのは秋、別に絵だからいいじゃないかと言うものでしょう。

これでよければ何の問題も無いですが、そこまで時間や空間を無視して絵を描く絵の文法が

この時代にあったかと言うことです。のちの例えばシャガールのように時間や空間を無視し、空

を飛ぶことも辞さない時代にはまだ早かったし、ゴッホ自身にもそんなほかの作例もありません。

 

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《種まく人》1888年 ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵

© Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundatio

 

と、こんなことを書いていたら、先のニューズレターを読んだ二人の友人・知人から「春まき小麦

と言うのもありますよ」と親切なご指摘を頂きました。迂闊だったがそうだったのか。我ながら自

分の無知にあきれて肝を冷やした次第。もし、この絵が春播き小麦ならば、季節は一致する。と

なると僕の推論の論拠の半分は脆弱になるわけです。さあ果たして19世紀後半のフランスなり

北ヨーロッパで、春まき小麦はあったのか、またそれは農家において優勢だったのかどうか。今

後の検討課題にさせて頂きたいと思っています。また、その辺の農業事情に詳しい方が読者に

おられたらご教示をお願いしたいものです。

                        

その問題はいったん保留するにして、もう一点、僕がこの絵で大きな疑問を感じているのは、描

かれた種の大きさです。小麦にしては少し大きすぎやしないか、と言うことです。その疑問にも、

「いや、ゴッホ象徴主義に早くも近づいていた証拠で、デフォルメですよ!」と言う言い方も成り

立つかもしれません。ただ、ミレーの絵では定かに見て取れなかった種を、はっきり長めの大き

な種として描き、しかも先端が夕日に照らされて、まるで喜々として土に戻っていくような、特別な

思いを込めた精細さの表現を取っている。なので、これをただの小麦として見過ごしていいのか、

もっと別の画家の意思があるのではないかと想像させ、その点でも疑問に思う訳です。

                           

それでは、この大きめの種を蕎麦と見立てたらどうなのか。そんなことも考えてみました。蕎麦

は日本だけでなく、世界中で栽培され、フランスでは北西部にあるブルターニュのそば粉を使っ

た料理のガレット(クレープ)がよく知られていますから。飢饉に備える耐荒作物として、成長が

早く災害に強い蕎麦を、篤実な農夫が小麦栽培の隙間に播いているとは見れないか――。た

だその仮説は、果たして南仏で蕎麦を栽培するのか、蕎麦の作付ももう少し遅い時期ではない

のか、と言うことを考えると、我ながらどうも自信がない。

                           

結論として、僕はこの「種」を直感的な解釈ではありますが、ここで播かれているのは向日葵だ

と推論してみました。地中海一帯でよく見られる向日葵畑の作付ではないかと思うのです。これ

なら季節的に大きな齟齬も無いだろうし、大きさも納得性があります。そう言う農業がこの時代、

この地域で有ったとの前提ではありますが。

ゴッホにとって、向日葵の存在は万物の発芽や成長、成熟をつかさどる太陽の、この地上にお

ける化身のようなものではなかったか。向日葵が彼がことのほか愛した特別な思い入れのある

花だったことは、向日葵をこの絵と同年の1888年に、8点も描いている事からも想像つきます。

ひょっとしてゴッホが、この大地を自分が崇敬する太陽の分身=向日葵で満たそうと言うあまり

にも詩的にして狂想的な夢に取りつかれていたとしたら・・。もしそうならば、この《種まく人》の

絵とその前後に描かれた向日葵の絵とは、ゴッホの中で一つの物語りとして起伏し、一見バラ

バラに見えた絵と絵は、彼が偏愛した黄色い太陽光線で分かちがたく結びついていると見る見

方もできる訳です。

 

 

ゴッホ展(京都会場)は、3月4日まで。岡崎の国立近代美術館にて開催中。

 

岩佐倫太郎 美術評論家 美術ソムリエ