佐渡オペラ プッチーニの「ラ・ボエーム」② 舞台美術にもブラヴォー!

②舞台美術にもブラヴォー!

 

この近年、僕が見たオペラの舞台の中で、今年7月の「ラ・ボエーム」ほど美術と演出が心に届き、深い満足をもたらすものはありませんでした。その美術セットのミニチュア模型が劇場のフォワイエの片隅に展示してあるのを幕間に気づき、カメラに収めたのがこれ。横幅50センチくらいでしたかね。

 

はじめ今回の「ラ・ボエーム」の舞台は、伝統通りパリのカルチエ・ラタンの「屋根裏」だろうと思っていました。ところが幕が上がってしばらして目が慣れてくると、どうも屋根裏にしては部屋の端が尖っていてヘンだぞと感じ始めました。そう思って反対側を見るとこちらは丸くなっている。おまけに窓も丸い。これはもしかして「船」なのではないか、と遅まきながら思い当たりました。そう思ってよく見ると、手前には船を舫う円柱(ボラード)が何本も立って、背景には川の景色が大きく描かれている。ここに及んで、僕はようやくすべてを合点しました。舞台は実に我々の意表をついて、屋根裏からセーヌ河に浮かぶ「船」に置き換えられていたのです!これは当時の若者たちが安く暮らすためによく利用した(今で言う「シェア・ハウス」)、セーヌ河の「洗濯船」でした。

ところで「洗濯船」というと、美術ファンなら20世紀の初めに、モンマルトルにあって若きピカソモディリアーニ、あるいは詩人のアポリネールらが出入りした有名なアパートの「洗濯船」を想起されるかもしれません。こちらは「船」と名がついていますが、実際にはバラック的な陸上の建物。その姿が当時セーヌ川の洗濯船に似ていたことから名付けられたものです。演出家はたぶん、若い芸術家たちの伝説の棲み家である「洗濯船」の名前のイメージをヒントに、舞台を屋根裏部屋から洗濯船に読み替えたのでしょう。全4幕の内、最初と終わりにこの舞台が使われます。この仕事は、賞賛に値します。

 

さて模型で洗濯船の道具立てを右から見ていくと、まず舳先近くに描きかけの絵を載せたイーゼルがあります。共同生活する画家志望のマルチェッロのものです。ついで中ほどにはミミが病で最期を迎える重要な役割のベッドが・・。折れ曲がっているのは、低い位置の観客がよく見れるように、との工夫でしょう。売れない詩人のロドルフォ(ミミの恋人)が仕事をする小さな机もあります。煙突のある屋根もさりげないですが絶妙です。この屋根のおかげで、画中画のように大きな舞台に小さい舞台が嵌め込まれて、遠近感のある二重の堅牢な造形美がうまれ、物語の進行を大いに助けます。

 

そして背景の書割に目を移すと、遠くに二つの塔が立つのは言わずと知れたノートルダム大聖堂。先年の火災で焼け落ちた尖塔もしっかり描かれています。手前のアーチの橋は「ポン・ヌフ」かなと推測しましたが、そうすると左の建物はルーヴル美術館ということになります。

 

絵画の名画のように美しく、歴史の重みをもって、しかも骨太で分かりやすく、甘美なメランコリーをそなえた舞台設定!こんな才能あふれる演出や美術は、いったい誰の手になるものか。次回、その話を(つづく)。

 

美術評論家/美術ソムリエ 岩佐倫太郎

 

■出版の予告

10年以上続けてきた美術のメルマガ「岩佐倫太郎ニューズレター」が、今年300号を突破したのを記念して、その抜粋や雑誌に書いた記事などをまとめ、近々、限定出版の予定。タイトルは、「美神の誘惑」。美人の誘惑ではありません。念のため(笑)。