古墳を巡り、継体天皇の謎を考える  ④即位の力の源泉は鉄

■古墳を巡り、継体天皇の謎を考える  ④即位の力の源泉は鉄■

 

会社の役員人事などでも、本流から外れて海外などで冷や飯を食っていた人が、国内営業の本命を差し置いて、突然社長に就任して周りを驚かせたりする事がある。ビジネスが国際化に突入した時は、国際化の時代の能力が求められたし、AI化が進めば、これまでとは別の才能が求められる。今の銀行などそうだろう。人事に断絶、非連続が起こる。継体の即位もこれに似ているかもしれない。僕も当初、なぜ彼だったのか理由をいぶかしんだものだったが、あるとき自分の部屋に貼った皇統図を見ていて、継体天皇の子が欽明天皇であることを発見し、頭に電光石火が走った。継体の登場の謎は、子供の欽明から逆に解けた気がしたのだ。歴史を知った人なら継体の子が欽明であることは、そんなの当たりまえ、と言うかもしれない。その通りだろう。

f:id:iwasarintaro:20200930202547j:plainただ僕には欽明は仏教公伝の時の天皇というイメージで完結しすぎていた。日本書紀では、552年、百済聖明王が使者を遣わして金銅仏や経典などを贈り、欽明天皇は仏像の光輝く異国的な美を見て、「その貌(かお)きらぎらし」と賛嘆の声を上げた、と伝える。迂闊にも僕の中では福井出自の継体と欽明天皇が親子であるとの認識が全く欠けていたので、俄然目が覚めた。改めて2人の親子関係を確認し、継体の時代に任那4県の百済割譲に動いたのが大和の豪族の大伴金村、またこの人物がそもそも継体を天皇に担ぎ出したことを思い起こせば、継体の皇統と大伴氏と百済とはもう古くからズブズブの親戚のような関係だったのだろう。恐らく大伴氏も半島に出自があって、その末裔だったのではないか。まあこんな風に思い始めると、さらにそこから僕の想像は沸き上がる。恐らくであるが、継体が即位できたのは、半島経由で伝わった「鉄」の力ではないのかと。百済、福井、大和を結ぶ鉄文明の道が見えてきたのである(つづく)。写真は福井市足羽山の継体天皇像(石像)。戦後まもなく福井大震災で倒壊したのが、のちに再建された。

美術評論家/美術ソムリエ 岩佐倫太郎