■□■□■ 【西洋ヌード画の歴史をたどってみた シリーズ 3の③】 ■□■□■
まずは下の画像をご覧いただきましょう。ご存知、近代絵画の父とも言えるマネの「草上の昼食」。
パリのオルセー美術館が所蔵する傑作です。鑑賞者はウッカリすると、平和な白昼のピクニック
を描いた神話かと思ってしまうかもしれない。ところがよく見ると、全体になんとも生臭い。女性は
全身これ裸で、身にまとっているのはイヤリングだけ。彼女がほかに神話の小道具なりを持って
いたら、仮にはしたない露悪的なポーズでも、人はああ、これはルネサンスの神話物語だろうと
読み取ってくれるでしょう。
ところがこの絵はどう解釈しても、市民生活に無理やり嵌め込まれたヌードです。おまけ
に男たちは対照的に盛装なので、彼女の裸のインパクトは余計に刺激的です。しかも衣類はこ
れ見よがしに脱ぎ捨てられ、そのモデルの女性は、当時パリでも顔を知られた実在の女性。とな
ると、これはもはや言い逃れの聞かない確信犯的なポルノグラフィです。サロン(官展)で落選し、
後にも大物議をかもすのもむべなるかな。
エデュアール・マネ 《草上の昼食》 1862-1863年208×264.5cm 油彩・画布 パリ オルセー美術館
人は判らないものを目の前にしたとき、往々にして怒り出すものですが、この絵を見せられた19
世紀後半の画家や評論家、市民の反応がまさにそれ。保守的でアカデミックな絵をよしとする人
々は、こぞってブーイングの声を上げた。いわく、ルネサンス以来の伝統である遠近法もデタラメ
だし、構図もおざなり。どこにも崇高で英雄的な物語は見当たらない。第一ちゃんとした意味が読
み取れないじゃないか!人生の教訓を美術から汲み取りたい律儀な人たちにとっても、人格を侮
辱されたように感じ、「この絵は不埒(ふらち)だ!」と顔を真っ赤にして叫んだに違いないのです。
ジョルジョーネ 《田園の合奏》 1509年頃 パリ ルーブル美術館
ところでマネの「昼食」の先行モデルは、ルネサンス期の巨匠、ジョルジョーネの「田園
の合奏」とされます(ティツィアーノの説もあり)。上の二つの絵を見比べてください。
「合奏」の左の女性を隠して、残る3人を左右入れ替えると、構図はまんま「昼食」です。
マネはルネサンスの名画を借りて、神と人がむつまじく戯れていた時代と神なき時代の今
を対比しています。「神は死んだ」とするニーチェは同時代人です。もう神の賛美も神話
も描けない。先達のクールベの写実主義を推し進めるしかない。それがマネの立場です。
もうひとつ、彼が学んだのはスペインのベラスケスです。名画「ラス・メニナス」に見ら
れるような、絵画にミステリー小説的な読み解きの謎や心理的な緊縛間を持ち込んだのです。
ですが結局装飾をはがしてみれば、女性の即物的なヌードを描いたに過ぎずき、絵画はそ
れ以上でも以下でもない、あまり意味など考えなくていい、としたのが「昼食」の本質です。
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マネの功績は「あるからある」という、リアルなクールベ流の存在論を受け継ぎ、絵画が
賛美や布教などの役割を背負う事を否定し、意味やテクストがなくても絵画は自立するこ
とを示して、ついにルネサンスの思想の静かな幕引きをやってのけた事にあるといえます。
マネがいてこそ、セザンヌやモネが成功し、後にピカソ、さらにウォホールが世に出たと
言っても過言ではないでしょう(長くなるので、続きは次回、マネと浮世絵を中心に)。