(FBのNOTEから再録 2014年の記事)■庭園NOTE■ 徳島城の池に、幻の巨大魚を見た

■庭園NOTE■ 徳島城の池に、幻の巨大魚を見た。
 

90歳になる僕の母親が故郷・徳島のケアハウスにいて、月に1,2度は訪ねることにしています。 先日、たまたま帰りに少し時間があったので、かねて気になっていた徳島城へ立寄ってみました。 蜂須賀藩の城です。有名な眉山を背に、吉野川や渦潮の鳴門海峡などを天然の要害にして、 小高い丘に作られています。残念ながら、すでに本丸も二の丸などもない「城址」で、わずかに 城門の石垣が残る程度。ただし庭園だけはしっかり保存されて、樹木も石組みも実に堂々として、 何か破格の立派さを感じさせます。ともかく、驚きましたね。緊張感に満ちた武骨なまでの力強さ。物言わぬはずの石組みが、声を 放っているようでまことにドラマティック。さすがに戦場を駆け回ってきた武人の作はこうなるのか と、賛嘆しました。これは柔弱なところなどみじんもない「ますらお振り」の庭と言っていいでしょう。 石は徳島特産の「阿波の青石」などをふんだんに投入。なかでも見どころの一つは、10メートル はあろうかという見事な1枚岩の石橋。となると思い起こすのはお能の石橋(しゃっきょう)。日本 の修行僧が中国の山に入りこみ、千丈の高みに架かる橋を渡ると、そこはすでに獅子が踊る 仙境だったという、幻想的でかつお目出度い演目ですが、この話を下敷きにしています。ご存知 の歌舞伎の「連獅子」もここから来ています。

さて、いちばん面白かった箇所はというと、写真の岩です。趣きのある岩を、地面に垂直に据える のでなく、わざわざ斜めに立てている。これは一体?そう思って水面を眺めたとたんに疑問は氷解 し、ニンマリしてしまいました。「鯉魚石」(りぎょいし)と呼ぶんだそうです。巨大魚の尾ひれが映り 込んでいるではありませんか。僕はこの一事をもってして、すっかりこの造園家が好きになりました。                       

 

庭を作ったのは上田宗箇(うえたそうこ)。武人にして茶人の大名。妻は秀吉正室ねねの従妹。大阪 城や伏見桃山城の修改築でも活躍しています。庭の発注者は蜂須賀家政。戦国時代の歴戦の最後 の勇者のような二人は、よほど気が合ったのでしょう。受注する側も手加減してないし、上目づか いな卑屈なところもない。信頼し合ってる呼吸が今も伝わってきます。おそらく二人は、巨鯉の幻を 見て可々大笑し、これで客人を驚かせてやろうと、いたずら小僧のように喜んだに違いないのです。

この庭を見て良かったのはまた、宗箇の作風を知ることで、「綺麗さび」と言われる小堀遠州のセ ンスもくっきりと見えてきた事でした。遠州は宗箇よりひとまわりちょっと年下です。相次ぐ戦乱も ほぼ収まった時代に、武人というより徳川家の作事奉行として登場し、城や庭の普請をよく取り仕 切り、また茶人としても名を成します。彼の場合、禅思想の角張った骨などは巧みに抜いて口当た りを良くし、荒ぶれた寂(さ)びも敬遠し、ある種近代的なデザインセンスで、施主に対して福々しい 庭を提供しているのです。 

写真は浜名湖の北にある名刹、龍譚寺(りょうたんじ)と岡山・頼久寺の庭。遠州の華麗な造形性 や芝生の多用などは、むしろろ西洋のバロック的とさえいえる世界観に近づいているともいえます。 ちなみに遠州と宗箇は、古田織部の茶会に呼ばれて同席した記録が残っています。ともに今日に 伝わる遠州流上田宗箇流の茶道の開祖です。  ※写真は筆者、龍潭寺のみ井上風船氏提供