【なぜ、村上春樹はノーベル文学賞を獲れないのか③】

【なぜ、村上春樹ノーベル文学賞を獲れないのか③】

 

ルネサンスで神の絶対性は揺らいだ。ここから西洋人の、「神離れと目覚め」の精神史が始まる。17世紀になるとフランスの哲学者、デカルトはこう言った。「われ思うゆえにわれあり」――まだ神を全否定するには至っていない。しかしながら「人間には考える力があり、自分で考えるから自分がある」と、これまでのすべて神まかせの思考停止と隷属状態を脱して、神に対位させるほどに人間の自尊意識を表明したのだ。ゆえにデカルトは近世哲学の祖とされる。

 

こんな話は難しいと思われるかもしれないが、考えてみれば簡単だ。我々の子供の頃を思い出してほしい。親の庇護下、子供は指導されたり罰則を親から与えられながら育ち、やがて思春期になって自我に目覚めると、自分を中心に置いて周りの世界を眺め直し、親に反抗し、ついには親を批判したりする。じつは個人の自我の成長と同じことが、何百年単位の巨視的な人類の思想史でも起きていたのだ。上記の「親」と言う言葉を「神」と置き換えて読んでみて頂きたい。

 

さて、続いてドイツの哲学者カントは、哲学に「コペルニクス的転回」と称する認識の逆転を持ち込んだ。つまり、それまで神の作り給うた絶対的な世界があって、それに人間の認識が追随している、としていたのを、人間の認識こそが世界を産んでいる、それ以外の世界は解らない、でもそれでいい、としたのである。例えば犬には犬の、ミツバチにはミツバチの世界がある、という事だろう。とすれば神の存在さえも絶対ではなく、人間の認識に左右されることになる。これを同じドイツの作家で詩人のハイネは、「カントは静かにルネサンスの首を切り落とした」と、巧みに評した。

 

西洋哲学の太い流れを追っていくと、カントの思想はニーチェに至る。「神は死んだ」と死刑宣告したあの人だ。ニーチェはそんな不遜なことを言った手前、人間は自分の意思と力で歩まなければならないとした。「超人思想」である。その結果、行動規範として実存主義が生まれるが、これだけでは世界観の説明がない。それで苦しくなったのかサルトル共産主義に走り、立場上ノーベル賞を辞退する。その点、カミュは正統なニーチェ主義者と言える。「不条理」で存在の不安と儚さを引き受けた。僕が思うには、カミュは逃げないことでノーベル賞の良心を代表し、第一潮流となるのである。ベケットのばあいは神なきあとの廃墟を彷徨う、郷愁と悲しみのモラトリアムな人間の所業を、新しい文学の領土として作り上げた。

 

そのベケットは1969年の受賞だが、前年には我が国の川端康成が受賞している。スウェーデン・アカデミーに全く違った選考の意識が芽生えていると言うしかない。これは一体どうしたことか。

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ご存知のように川端文学は神の問題を提起することもないし、思想的葛藤もない。ただ繊細な手触りの感触と官能美をはらんだ美意識があるだけだ。非キリスト教のエキゾティックで透明なガラス細工のような世界。とりあえず僕はこのエスニックともいえる方向を「第2潮流」と名付け、由縁と広がりの景色を次回、明らかにしようと思う(つづく)。