【なぜ、村上春樹はノーベル文学賞を獲れないのか⑥-ボブ・ディラン】

【なぜ、村上春樹ノーベル文学賞を獲れないのか⑥-ボブ・ディラン

 

結論に進む前に、ボブ・ディラン(1941~)について少し触れておこう。2016年のノーベル文学賞の受賞者である。フォーク・ロック界の世界的なレジェンドではあるが、文学賞が音楽家に与えられたことには驚きの声が上がった。スウェーデン・アカデミーによる授賞理由は、「米国の伝統的な音楽の中で新たな詩的表現を創造した」とされる。

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確かにディランは、それまでの素朴で単純なフォークやロックンロールに、初めてフランスの象徴詩の語法や聖書などの物語性を持ち込んで作詞の世界を革新した。隠喩に満ちた警句なども散りばめられ、まあ歌詞が初めて文学となったのだ。この伝統は、ポール・サイモンジョン・レノン、ドン・ヘイリー(イーグルス)らに受け継がれていく。

 

ただ僕の見方では、この受賞はノーベル文学賞の象徴として、平和と反権力がテーマの「第3潮流」に繰り入れられてよいと考える。と言うのも、もっとも代表的な作品、「風に吹かれて」が世に出たのが1963年。もう記憶に薄いかもしれないが、この時アメリカはベトナム戦争のまっただなか。ディランの曲の反戦メッセージは若い世代に熱狂的に支持された。今回のノーベル文学賞も、この時期の一連のプロテスト・ソングが授賞の評価のもとになった筈だ。

 

僕も若い頃からアルバムを買い続けたファンの一人として、たいへん慶賀なことと思っている。ただし、この授賞をアカデミーの側から俯瞰すると、やはり思惑が透けて見えて来る。授賞の2016年は、どんな年であったかと言うと、アメリカは9・11テロに始まる長いアフガニスタン紛争(2001-2021)の最中だった。数年前に大義の無いイラク戦争(2003-2011)が終結したばかりだというのに。スウェーデン・アカデミーは「平和の擁護者」の立場から、戦争ばかりする大国アメリカに、ボブ・ディラン反戦歌を称揚することで強烈な当てこすりをしたのではないか。かつてソ連ソルジェニーツィンに授与して、一党独裁の圧政を揶揄したように。

 

ディランにとっても、名誉であるには違いないが、自分の受賞が政治的なメッセージとして利用されることには、警戒心を抱いたはずだ。賞の事務局からの通知に3週間も返事をしなかったのも、授賞式に出なかったのも、それが本当の理由だろう。ディランは徴兵されることはなかったが、ベトナム戦争ではほぼ同世代のアメリカ兵だけで6万人近い戦死者を出している。いまだアメリカの傷は癒えていないのである。相手国のあることも考えると、浮かれて晴れがましい国際舞台に出ていけない、そういう気持ではなかったか。歌手は人気商売でもあるので、その辺の空気をセンシティブに予測して、鎮静化を図るために時間を稼ぎ、賢明に対処したのだろうと僕は思っている。

 

「第3潮流」の特性を語ろうとして、ついディランにまで話が及んだ。いよいよ次回、村上がノーベル賞を獲れない二つの理由を挙げて、たぶん最終回としたい(つづく)。