【なぜ、村上春樹はノーベル文学賞を獲れないのか⑤-第3潮流とは】

【なぜ、村上春樹ノーベル文学賞を獲れないのか⑤-第3潮流とは】

 

オリエンタリズム」と言う言葉がある。耳慣れないかもしれないが、エドワード・サイードと言うパレスティナ生まれのアラブ人で米国在住の文学批評家が、1978年に同名の著作を発表した。要旨だけをかいつまむと、西洋人の東洋の理解は、異国趣味的で差別的で植民地主義的だと言うのだ。確かに我々は、思想も美術も、およそ西洋中心の文脈で語られることに慣らされてきた。だが「オリエンタリズム」が初めて、非西洋から西洋中心主義(ユーロセントリズム)に痛棒を食らわせ、時代を画する文明批評となったのだ。


なぜ「オリエンタリズム」の話をしたかと言うと、ノーベル文学賞を選考するスウェーデン・アカデミーもまた、西洋優越の考えから自由になりえていないと僕は思うからだ。神と人間の実存の結論のない議論に疲れ、その論争から逃げるように、非西洋世界に新しい幻想と寓話の文学を求めた。そして川端康成やガルシア=マルケスらが選考された。ただしこの「第2潮流」は、あくまで異国趣味のおとぎ話として完結していなければならず、西洋への越境は許されない。


ところで、アカデミーの面々が「第2潮流」である異郷の旅でしたたかに酔ったのはいいけれど、いざ本国へ帰って素面(しらふ)に戻ってみると、当然ながら自分たち文学賞の社会的責務や方向を再考せねばならない。その時、改めてフォーカスしたのが「抵抗文学」の伝統ではなかったか。地球上ではいまだ独裁政権や植民地の帝国主義のもと、人権や生命への迫害が絶えない地域も多い。過酷な圧政や貧困、思想抑圧、難民化などとの戦いをテーマとする文学に光を当てるなら、ノーベル賞としても伝統の人文的ヒューマニズムに合致するではないかーー。多分こう考えて生み出された保守的ジャンルを、僕は「第3潮流」と呼ぶ。

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パステルナークとリョサ

じつは「第3潮流」と呼ぶものの歴史は古く、1958年のノーベル文学賞、「ドクトル・ジバゴ」のボリス・パステルナークでもう始まっている。ただ彼はソ連当局の干渉によって受賞を辞退させられたのではあるが。スウェーデンはかつてロシアと戦争した遺恨がよほど深いのか、アカデミーにおいてもソ連共産党独裁に対する嫌味のようにして反体制作家を後押しし、1970年には今度は「収容所群島」などのアレクサンドル・ソルジェニーツインにノーベル賞を与える。その結果、彼は市民権をはく奪された上国外追放され、帰国できたのはソ連邦が崩壊してからの事になる。南米ではペルーで、2010年にノーベル賞を受けたマリオ・バルガス・リョサも大きくはこの系統に属する書き手としていいだろう。また今年(2021年)の受賞者も、英国在住のアフリカ人で、同様に権力との戦いや告発がテーマのようだ。起きていることは痛ましいが、この「第3潮流」を見ればスウェーデン・アカデミーは権力からの解放に連帯し、民主主義の守護者たる立場に活路を見いだしていると言えるだろう。


この辺まで書くと、すでの村上春樹が受賞できない理由にお気づきの方も多いだろう(つづく)。