【なぜ、村上春樹はノーベル文学賞を獲れないのか④】

【なぜ、村上春樹ノーベル文学賞を獲れないのか④】

 

もう多くの読者もお気づきのように、第一潮流の「神の不在と人間の実存」の課題は、じつは答えは無い。答えのないものをいつでも四六時中、考えているのも疲れる。その時、スウェーデン・アカデミーのノーベル文学賞を与える面々が見出した「束の間のリゾート」、つまり「第2潮流」が、辺境の日本文学だった。思想の葛藤もなく美しくエキゾティックな物語の世界に沈潜するのは、彼らにとって深いしばしの慰安であったことだろう。

 

ところでノーベル賞の選考経過は50年たつと公開される。それで川端の選考事情も明らかにされたが、内実はまことに興味深い。まずアカデミー自身が西洋の作家への授章に偏重しているとの批判を受け、「日本」から受賞者を出すことに決めたというのだ。なぜ日本かは記されていないが、おそらく想像するに、この時、東京オリンピックを1965年に成功させ、前年には世界最高速の新幹線を開業させるなど、非西洋社会で唯一、欧米と比肩する文明を推進した日本への関心や評価が高まったためではなかったか。

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■画像中の数字は受賞年。作品名は著名な代表作の例。ノーベル賞は特定の作品に与えられるのではない。誤解無きよう、念のため■

 

ところがアカデミーには日本文学の専門家もいないし、原語で読む人もいない。公開文書によれば日本文学・文化の研究者である、サイデン・ステッカーとドナルド・キーンに日本人作家の推挙を委嘱した。ステッカーは源氏物語などの英訳で知られ、川端の「雪国」、「千羽鶴」などの翻訳者でもあった。またキーンも日本に帰化したほどで、日本文化を世界に紹介した恩人だ。西洋社会に信頼がある二人のお墨付きや優れた英訳があったおかげで、日本から川端が選ばれた。実は三島由紀夫も候補に挙げられていたが、受賞には至らなかった。

 

さて、アカデミーの異郷への旅は、さらにカルトに満ちた世界を目指し、1982年、コロンビアのガブリエル・ガルシア=マルケスを発見して授賞する。「百年の孤独」が有名だが、川端の「眠れる美女」を下敷きにした作品もある。幻想と現実が切れ目なく融合した作風は、「魔術的リアリズム」と評される。西洋の宗教や近代的教養主義を超えて、古い地層から掘り起こして紡ぐ土俗的で条理の無い物語に、文学は解放され世界は熱狂する。

 

そのノーベル賞はまたも日本に還流し、1994年に大江健三郎の受賞となる。彼は川端とガルシアの合流点にいる末裔ともいえる。3人ともに西洋から見ると異端で、フォークロアな寓話の名手たちである。ここが大事なのだが、ノーベル文学賞の「第2潮流」は、ローカルの世界に閉じられ完結していることが必須の要件なのだ。

 

まだ記憶に新しい2017年のカズオ・イシグロの受賞も、この潮流の延長上にある。ただ、イシグロの受賞については、僕はアカデミーの変化の兆しも同時に感じる。希望と言ってもいい。この点については「第3潮流」を語ってのちに、改めて私見を披露させていただく。

 

さて次回いよいよノーベル文学賞の、僕が規定するところの「第3潮流」について語りたい(つづく)。