【なぜ、村上春樹はノーベル文学賞を獲れないのか②】 211016

【なぜ、村上春樹ノーベル文学賞を獲れないのか②】 211016
 
カミュの「ペスト」は、ヨーロッパにも大惨劇をもたらした第2次世界大戦の暗喩とも読める。ノンフィクションのように錯覚しがちだが、ペスト自体はこの200年ほど、ヨーロッパで流行した事実はない。ともかく大厄災をきっかけに改めて神の無力が浮上する。それでも信仰に生きるのか、人間の意思で実存的に未来を開くのか。両者の相克を最重要なテーマに、後のノーベル文学賞へと系譜は続く。カミュに遅れること7年、やはりカミュと同じ実存主義の文学者で哲学者のサルトルも、ノーベル文学賞を1964年に受賞する(ただし本人は辞退)。
 
ノーベル・アカデミーの人文主義的な思想の系譜は脈々と続いている。僕が卒論を書いたアイルランド出身のサミュエル・ベケットは、その流れの最後に来る人かもしれない(1969年に受賞)。戯曲「ゴドーを待ちながら」が良く知られるが、神なき世界で目的地を喪くし、廃墟となった世界を漂流する人間が、なおかつ神を求める悲哀を、乾いた哄笑も織り交ぜフランス語の小説として書いた。美しく切ない末期の眼のような筆致は、文学の極北だろう。
 
とまあ、語ってきたが、このように神と人文主義の交錯をテーマにした作家をノーベル文学賞に推す太い流れを、僕は「第一潮流」と呼ぶことにする。これは八百万の神を祀ってことが済む我々と違って、一神教徒の西洋の文化圏では最重要の切実なテーマなのである。

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さて、「第2潮流」を語る前に、話はちょっと迂遠になるが、ヨーロッパ人の神離れはどこから始まったのか。4世紀にローマ国教となったキリスト教が千年もの王国を築いていたはずだが。僕の専門の美術でいえば、始まりは間違いなく15世紀のルネサンス。画像は、誰もが知るボッティチェルリの《ヴィーナスの誕生》(1483頃)。ルネサンス絵画の代表として日本の教科書にも取り上げられるが、神離れして極めて「背神的」な絵であることは説明されない。ルネサンスを「文芸復興」などと言う言葉とセットで覚えていると、事の本質を理解しないままに終わってしまう。
 
ところでどこが「背神的」なのかと言うのは、描かれているものより描かれていないものを探せばわかってくる。つまりここには、イエスもマリアも描かれていない。ギリシャ神話なんだから当たり前と言えば当たり前だが、キリスト教オンリーの時代に多神教であるギリシャの神々を賑々しく復活させること自体が、教会に弓引く行為だ。女神とはいえ官能美に満ちたヌード、神々の体躯は人間的なリアリズムだし、空間は遠近法で描かれる。ひと昔前のビザンチン美術の時代には、決して許されなかったことばかり、あえてやっている。《ヴィーナスの誕生》は教会側からすると、すべての禁忌を破った全くもって不敬不遜な作品なのだ。
 
神への懐疑と緩やかな離縁はその後、哲学の世界でも19世紀末にかけて、着実に進展する。次回はその辺を、デカルトやカント、そしてついに「神は死んだ」と死刑宣告したニーチェへの流れとしてエピソード中心に取り上げ、平易に語ろうと思う。そのあとで、なぜ川端康成が受賞できたのか、ノーベル・アカデミーの第2潮流を書くつもりだ(つづく)。
 
 
 
 
 
 
 
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