新年おめでとうございます。

皆さまの健やかな一年をお祈りします。

おなじみの鳥獣人物戯画ですが、見ているうちに、これって絵馬にならないかと思い始めました。願いは平和。動物たちが笑い転げて心行くまで遊ぶ姿は、実は人間にとっても理想郷でしょう。生物多様性(=ダイバーシティ)など流行の言葉を使わなくても、同じ思想が千年近い前のこの絵に宿っています。

全部で40メートルを超える国宝絵巻には、動物を擬人化して笑わせてくれるシーンが満載。下の絵の風刺的な笑いなども漫画ならではのもの。台座に座った蛙のご本尊を崇め奉って、読経しているのは猿。煙のような線は、大音声を漫画的に表現したものです。祀られる蛙の表情を見ると、猿のうしろに控える兎、キツネたちが心得顔で演技しているものだから、このごっこ遊びが可笑しくてならない。

「ま、足を組んで手をあげて、この格好でどうだ!」とオツにすまして、実はこみ上げる笑いを押さえているようにも見えるのです。自分で自分を戯画化して笑っています。それを見た我々も、人間世界の地位や名誉も所詮はごっこの世界だったかと思えて、「色即是空」とばかり、少しは目の前の現実への執着が軽くなるのを感じるのです。つまり鳥獣人物戯画の意味は、漫画による説法です。人の世のかりそめなことを動物に託して語っています。と同時に、あらゆる生命に敬意を払う万物平等のユートピアを、動物が遊ぶ姿に仮託して表しています。この辺は一神教とは大いに違うところで、ちなみに旧約聖書の創世記では、はじめに神が世界を作り、空に鳥、水に魚、大地に獣(と家畜)を繁栄させて、最後に人間をつくり、この世界を管理するように言う訳です。厳然とヒエラルキーがあります。なので我彼の世界観の差を改めて感じさせてくれる作品でもあります。あえて仏像など描かなくても、戯画に託して仏教の中心教義を語るのは、まことに斬新な手法と言わねばなりません。しかも美術的に言えば、筆による線画の描法や、場面のつなぎと展開法も確立して見事です。のちの手塚治虫赤塚不二夫鳥山明(古い例で恐縮ですが・・)たちの漫画にも、そしておそらく優れた日本のアニメーションにも、「鳥獣戯画」を起源とする精神は脈々と受け継がれています。

美術評論家/美術ソムリエ  岩佐倫太郎