誰も言わない琳派美術史その⑫光琳は、日本美術史のラファエロである、と位置付けて我が琳派シリーズを終わろうか

読者の皆さま、暑中お見舞い申し上げます。健やかな夏をお過ごしください。 ■光琳は、日本美術史のラファエロである、と位置付けて我が琳派シリーズを終わろうか■ 何だか最後に唐突な話になって、読者の方は戸惑われたかもしれません。光琳がなぜラファエロ…

誰も言わない琳派美術史その⑪.美術史琳派は花鳥風月の伝統美をデザイン化して、遺伝子のカプセルにした

過密な講演活動に追われて、ニューズレターをお休みさせて頂いていました。今回から配信を受ける方もいらっしゃいますので、始めにこれまでの琳派のシリーズ10回分を簡略にまとめた上で、結論に向かいます。 話は昨秋のモミジの頃、運よく抽選に当たって京都…

誰も言わない琳派美術史その⑩。琳派の本質は、複製と転用の効くデザイン力なのだ

【閑話休題】まだ桜が咲き残る4月なかば、僕は何十年ぶりかで鷹峯の光悦寺を訪ねました。目的は光悦寺はどのあたりにあったのか曖昧な記憶を正したいのと、今も当時のままと思われる光悦村の大通りを実見し、実際に千本通につながっているのを確認したかった…

■誰も言わない琳派美術史その⑨。琳派によって絵画はデザインとなり、生活用具となった■

文明史的に言うと、琳派芸術は近世から近・現代へとても重要な美術上の橋渡しをしています。狩野派が織豊政権の居城を飾ったり、徳川政権の二条城を装飾したのは事実です。しかしこの時代、絵画は潤沢な資金を持った権力者だけが発注する贅沢な注文生産品で…

誰も言わない琳派美術史その⑧。琳派は、家康の孫娘の入内という特需経済から生まれた

ローマ法王庁がミケランジェロを重用して、美術の宝石箱とも呼べるシスティナ礼拝堂を遺したように、またスペイン王室がベラスケスらの画家を保護して、後のプラド美術館のコレクションが生まれたように、信長、秀吉、家康ら日本の権力者も、文化のパトロン…

【ワーグナー/ニーベルングの指環@びわ湖ホール その④】

ワーグナー編もこれで最終です。ご安心ください(笑)。僕も仕事で大型イベントをやって来たので、今回の「指環」も裏方とか予算とか、ロジとかが気になってしょうがないんですが、これは偉業と言っていいでしょうね。 【ワーグナー/ニーベルングの指環@び…

【ワーグナー/ニーベルングの指環@びわ湖ホール その③】

ヨーロッパに溢れる、英雄が龍を剣で退治し美姫と結ばれる伝説。話の源はギリシャ神話のペルセウス(ゼウスの子)が、アンドロメダ姫を救った話だろうと思われる。 【ワーグナー/ニーベルングの指環@びわ湖ホール その③】 ルネサンスを「文芸復興」と言って…

【ワーグナー/ニーベルングの指環@びわ湖ホール その②】

ワーグナーは台本も自分で書く。作曲ほどには天分が無いのか、台詞は時に冗長でドイツ的な回りくどさもある。でも、その時は音楽が巧みにカバーして客を退屈させないんですね。 【ワーグナー/ニーベルングの指環@びわ湖ホール その②】 翌日は朝からワークシ…

【ワーグナー/ニーベルングの指環@びわ湖ホール その①】

オペラの音楽は、京都市交響楽団と指揮の沼尻竜典(りゅうすけ)。両者は息も良く合って、腕も確か。僕はどちらも初めてだったけれど、大変好意を持った。 【ワーグナー/ニーベルングの指環@びわ湖ホール その①】 「びわ湖リング」も今年で3年目。ハイライ…

■岩佐倫太郎の東京・美術講演会 6月15日(土)15:00~のご案内

「マティス・ピカソの中に北斎を見た」~ここが西洋美術を理解する勘どころ~ 昨年11月、東京での小生の美術講演会には、定員を超える皆さまのご参加を頂いて、おかげさまで盛況かつ好評裡に終えることができました。ご来場いただいた方には厚くお礼申し上げ…

【フェニーチェ堺での音響測定会③】

満席から4割ほどの人が退場すると、こんなにも違って聞こえるものなのか。今後ホールでは、実験をもとにさらに吸音材を出し入れしたり、反射板を調整したりして最終仕上げをするらしい。楽しみだ。 【フェニーチェ堺での音響測定会③】 下の画像は、当日、客…

【フェニーチェ堺の音響測定会②】

残響2.0秒というのは神話ではないのか。ホールの特定地点の理想状態の時の部分値だろう。 このホールは、「2.0秒神話」の呪縛を越えようとしているようにも思える。 【フェニーチェ堺での音響測定会②】 ちょうど1週間前の日曜(注;2019年2月10日)。今秋オ…

音楽ホール「フェニーチェ堺」の音響測定会①

こんにちは。今回は音楽ネタです。3日連続のシリーズ。すでにFACEBOOKの友人にはご覧いただいたものですが、興味深く素晴らしい体験だったので、再録してお届けします。 【フェニーチェ堺での音響測定会①】 フェニーチェ堺は、堺市民芸術文化ホールの愛称。…

誰も言わない琳派美術史その⑦。なぜ尾形宗伯と茶屋四郎次郎が光悦の対面に住むのか

去る2019年1月、梅原猛先生が93歳で亡くなられた。哲学者にして歴史家、劇作家で、専門の垣根を越えて雄渾な想像力と思索を展開した、真の自由人で知の巨人でした。ブームになった「隠された十字架 法隆寺論」や「柿本人麿論」にしても、乾燥しきったような…

誰も言わない琳派美術史その⑥。鷹峯光悦村の地政学とレイアウトの意味

「鷹峯光悦村ってどの辺にあるんですか?」とよく聞かれます。「京都の北西の隅ですよ」とか「金閣寺の北」とかお答えしています。ともかく秀吉が都市城壁として築いた「お土居」のまだ外側にあるんですから、随分と辺鄙です。 ここが言われるような芸術村な…

■琳派を生んだのも育てたのも実は徳川家康だ!誰も言わない美術史。その⑤■

僕が、「鷹峯光悦村は芸術村などでは無くて、徳川家康の孫娘、和子(まさこ)の皇室への嫁入り道具を製造する秘密工場だった」と新説を発表したのは確か4年くらい前でした。下の画像は光悦寺に残る光悦町の古地図です。最近発見したものですが、特別な資料で…

■琳派を生んだのも育てたのも実は徳川家康だ!誰も言わない美術史。その④■

下の画像は、「新発見 洛中洛外図屏風」(青幻舎 狩野博幸著)の一部です。描かれているのは1620年6月、徳川家康の孫娘である和子(まさこ)が、入内した時の豪壮華麗な盛儀の模様です。和子は二頭の牛が引く壮麗な牛車に乗っていて、屋根には丹念に葵の御紋…

■琳派を生んだのも育てたのも実は徳川家康だ!誰も言わない美術史。その③■

■琳派を生んだのも育てたのも実は徳川家康だ!誰も言わない美術史。その③■ 徳川家康の孫娘、和子(まさこ)が皇室に入内して、着物道楽を極め、尾形光琳の実家の呉服屋である雁金屋に、半年で現代の金額にして2億円もの発注をしたことは、前号に書いたとおり…

明けましておめでとうございます。  2019年年新春

すがすがしい新年をお迎えのこととお喜び申し上げます。この一年を皆さ まが健康で幸せに満ちて過すごされますよう、心からお祈り申し上げます。 ■わが家の近く、宝塚の清荒神清澄寺/最後の文人と言われる富岡鉄斎の水墨画 や人間国宝・荒川豊蔵の茶碗のコレ…

■琳派を生んだのも育てたのも実は徳川家康だ!誰も言わない美術史。その②■

関ヶ原を戦い、大坂夏の陣を経て天下を確たるものにした徳川家康にとって、残す最大の野心は、わが血を皇室に入れて皇族の一員になることです。前回も書いたように、そのためには孫娘の和子(まさこ)をどうしても後水尾天皇に嫁がせたい。子供ができれば、…

■琳派を生んだのも育てたのも実は徳川家康だ!誰も言わない美術史。その①■

名残りの紅葉もあらかた散ってしまいましたが、画像は去る11月末の京都・修学院離宮。この時期はまず無理、と言われていた抽選に運よく当って、出かけたものです。一番標高が高いところにある「浴龍池」から見るランドスケープは、さすがに眺望絶佳。ちなみ…

ピカソも驚嘆させたアンリ・ルソーの楽園画。彼は役所に勤める日曜画家だった

この絵の前に立った人は、画面いっぱい滴るように横溢する緑の分量感の心地よさをまず感じるだろう。僕などもこのところバロック絵画の、黒々とした演技過剰な絵について、あちこちで解説してきたものだから、こんなシャープな緑の色のそよぎに出会うと、ま…

マティスと並ぶ野獣派(フォービスム)の旗手、ドランにも浮世絵の影響は見られる。

大阪・中之島の国際美術館で開催されている「プーシキン美術館展」。春に東京上野の都立美術館で開かれていたのが、巡回してきた。ロシアの詩人にして小説家の名を冠したモスクワの美術館が持つ、印象派やポスト印象派などを中心にした見ごたえある優品が並…

印象派は浮世絵から始まった、という驚きの事実はもっと知られてよいだろう.

この5年くらい僕は、浮世絵が印象派を生んだと言う話を、京都大学やNHKカルチャーセンターなどで語ってきました。 それは決して自国文化への贔屓の引き倒しではなく、日本の優秀なビジネス・パースンやこれから美術を楽しみたい シニアの方々に、東西の美術…

「浮世絵が印象派を生んだ」、と言うとエッ!と驚かれる方もいる。

この5年くらい僕は、カルチャーセンターや京大などでの講演で、「浮世絵が印象派を生んだ」ことを語り、ゴッホやマティスにもつながる西洋美術の源流が、浮世絵に有ることを話してきました。始めインテリの人ほど疑わしそうな顔をされたんですが、この一年く…

■祇園祭の山鉾に、ギリシャ神話を見た! (その3 完結編)

いったい僕はなぜ祇園祭の《ヘクトールとアンドロマケ》に、かくもこだわっているのか。それは、イタリアの画家キリコの描く同名の絵画に、以前から惹かれてならないからだ。下の絵がそれで、ギリシャに生まれ育ち、アテネで教育を受け、シュルレアリスムに…

■祇園祭の山鉾に、ギリシャ神話を見た!(その2)

さて、《ヘクトールとアンドロマケ》は何処に?我ながらご苦労な事ではあるが、そのタペストリーを探して超炎天下、御池から裏道を先頭の「長刀(なぎなた)鉾」のいる四条までいったん出て、そこから逆に戻るようにしてみた。長刀鉾は「くじ取らず」といっ…

■祇園祭の山鉾に、ギリシャ神話を見た!(その1)

1か月にわたる祇園祭が続いている京都だが、なんといってもハイライトは前祭(さきまつり)の山鉾巡行だろう。7月17日(火)、恒例の「祇園祭連歌会」への出席を兼ねて山鉾見物に出かけた。今年の目的は、ギリシャ神話の《ヘクトールとアンドロマケ》のタピ…

浮世絵とセザンヌ、マティスをつなぐ糸が見えて来た!

ゴッホは広重を模写するまでに浮世絵を崇拝し、その影響を受けて自分の暗い画風を一挙に官能的な色彩の世界に弾けさせました。さてもう一人、北斎の浮世絵を研究し、その創作原理を密かに取り込み、自分の画風を確立した画家がいます。それがセザンヌです。…

【この顔にピン!と来たら、美術ファン】

下の3点のポートレートは、一見何の関係も無いように見えるかもしれませんが、実は一本の太い美術の潮流でつながっています。はじめ極東の小島で発生した版画による浮世絵。これらが日本の開国と共に西洋に流れ込んだとき人々は感嘆の声を上げました。ルネサ…