ロンドン・ナショナル・ギャラリー展 ③ティントレット

■ルネサンスとは何か、その答えは、この《天の川の起源》が教えてくれる。■ ギリシャ神話の物語は、エロスと暴力性に満ちて骨太い。それゆえ、いつの時代も画家を魅了する。この《天の川の起源》は美術史的にも重要な名画で、作者はヴェネツィア・ルネサンス…

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展 ②クリヴェッリ《受胎告知》

■この画家も絵も、思わぬ放浪の運命をたどる。それにしても何と異端な《受胎告知》だろう!■ 大阪・中之島の国立国際美術館で、「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」が始まっている。下の絵のタイトルは《受胎告知》。入り口すぐ左にあって、高さは2メー…

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展 ①ウッチェロ《聖ゲオルギウスと竜》

■ウッチェロの《聖ゲオルギウスと竜》に、ヨーロッパ3千年の「物語」を見る■ 今日11月3日(2020年)から、大阪・中之島の「国立国際美術館」で、「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」が始まっている。一般にこうした企画展では、会場の最初の部分では、め…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ㉑《最終回》 謎と言われる継体の実像を解き明かす

■古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ㉑《最終回》 謎と言われる継体の実像を解き明かす■ 5月(2020年)のGWのさなか、外出自粛の折り、宝塚のわが家のそばの「中山荘園古墳」に出掛けた。径が13メートルもの珍しい八角古墳だが、驚いたのはそこからの景色…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑳ピンク石の石棺は、参勤交代と同じ役割だ

■古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑳ピンク石の石棺は、参勤交代と同じ役割だ■ いよいよ継体の物語も最終回を迎えようとしている。大阪・高槻の今城塚古墳。1998年に、継体の遺体を収めた石棺の一部と見られる断片が発掘された。石の産地は九州の阿蘇山の近…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑲磐井の乱の裏の本質とは

■古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑲磐井の乱の裏の本質とは■ 継体が大和入りした時に、間髪をおかずに豪族へ発したのは、筑紫の磐井(いわい)の討伐命令だった。籠絡してやろうと手ぐすね引いて待っていた筈の、大和の豪族たちの甘い夢は打ち破られた。豪…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑱天下統一のための地政学

■古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑱天下統一のための地政学■ 前回の土地の問題を考えることによって、継体の思想と志向がハッキリ見えた。それは何かというと、「天皇専制による統一国家の実現」、である。しかも、「豪族より絶対優位に立って」、という条…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑰土地問題から継体の思想が見えた

■古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑰土地問題から継体の思想が見えた■ 継体は25代武烈の崩御のあと豪族たちに推戴され、再三固辞しつつも最後にやっと重い御輿を上げて王位を継承し、淀川沿いの樟葉に皇宮を構える。ご承知のように、大和には入らない。その…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える  ⑯継体は天皇と言うより事業家だ

(古代史を文献と古墳だけで考えると乾燥しがちなので、僕は両者の隙間に小説的な想像力の水分を注入し、ライブ感を復元しようと試みています) ■古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑯継体は天皇と言うより事業家だ■ 継体は「謎の大王」などと呼ばれ、ひとり…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑮継体天皇は入り婿だったのか?

継体天皇が越前から担ぎ出されて26代天皇に即位したのは、武烈天皇が若くして崩御したことに端を発する。武烈には男子も女子もいなかった。はじめ大連(おおむらじ)を務める大伴金村は、丹波にいる倭彦(やまとひこ)王を天皇候補として、使者を遣わす。と…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑭今城塚古墳はTVAのような地域開発だった?!

話が無茶振りで恐縮だが(笑)、TVAはアメリカのテネシー川流域開発(公社)のこと。1929年の大恐慌の折に大統領、フランクリン・ルーズベルトが経済対策として打ち出した「ニューディール政策」の一環で、ダム建設など、大型公共事業で不況・失業対策を…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える  ⑬樟葉の宮は製鉄工場を兼ねていた?!

継体天皇は樟葉を都としたが、樟葉を選んだわけは先ず第1に、石清水八幡宮がのちに建つ小山や河川など天然の要害に恵まれ、水路・陸路の要衝で、大和を睨んで進むもよし引くも可の、地政学的に極上のポジションにあったからだ。 次いで、2番目の理由として、…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える   ⑫沼地を黄金の稲穂が実る耕地に

継体天皇が都にえらんだ樟葉は、水・陸交通の要衝で、岬のように張り出す岩清水八幡宮の小山と、幾重もの河川が天然の要害になっている。それ故に地政学的に攻守を兼ね備えた軍事上も絶妙のポイントであることは、すでに多くの読者諸賢の同意を頂けただろう…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑪攻めるもよし、守るもよし、天然の要塞=樟葉

継体天皇は大和の豪族の懇請を受けて即位したものの、直ちに大和に入ることをしなかった。長らく樟葉(くずは)の近辺にとどまり、結局大和入りが実現したのは、20年ものちの事であった。これは謎とされ、その理由に大和に「抵抗勢力」があったためとされる…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑩即位した樟葉宮の、絶妙な地政学

美術ファンには、つとにおなじみだと思うが、京都府の「アサヒビール大山崎山荘美術館」。モネの睡蓮や河井寛次郎らの民藝のコレクションなどの優品が見られるほか、イギリスのカントリー・スタイルと言えばいいのか、チューダー様式の質実美な建物が高台の…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑨船の埴輪を見ると、古墳にも波止場が必要だ

今から1,600年ほども昔の仁徳陵が出来たころの船なんて、小さな丸木舟じゃないの?!と多くの人は思うかもしれない。ならば桟橋や船着き場なども要らないだろう、とお考えになるかもしれない。しかし実際は、さにあらず。古墳時代の中期、どのような進…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑧巨大古墳のくびれ部の出っ張りは何?

【閑話休題】以前から気になっていたことがまた気になってきた。それは仁徳天皇陵などの大型古墳のくびれにある出っ張りのこと。これって、いったい何なんでしょうね。もし古墳を巨大な鯛焼きに見立てたなら、まあその鯛焼きのしっぽの付け根のハミ出したバ…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える  ⑦継体即位の真相は、鉄の力か!

島根半島にある出雲もそうだが、越前も九頭竜川の河口に天然の三国湊を擁して、日本海側の海岸で半島からやってくる船が安全に風を除けられる泊地たり得たことは、都市として成長する上で非常な幸運だった。この地を辺境と呼ぶのは当たらない。それどころか…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える  ⑥アレクサンダー大王が鉄を運んだ?

ところで人類の製鉄の歴史は古い。今のトルコのあたりにあった「ヒッタイト帝国」に始まるとする。少なくとも紀元前15世紀にはもう製鉄は盛んで、鉄と戦車の技術を独占する強国であったようだ。そのヒッタイト帝国が紀元前千年くらいには滅びてしまう。地中…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える  ⑤鉄を運んだ海上の道

■古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑤鉄を運んだ海上の道■ 鉄文明は朝鮮半島を経由して日本列島にやって来た。それは間違いないだろう。その時期は古墳時代。ちなみに古墳時代とは、縄文、弥生時代につづき、3世紀半ばから7世紀末までの400年余を指す。青銅…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える  ④即位の力の源泉は鉄

■古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ④即位の力の源泉は鉄■ 会社の役員人事などでも、本流から外れて海外などで冷や飯を食っていた人が、国内営業の本命を差し置いて、突然社長に就任して周りを驚かせたりする事がある。ビジネスが国際化に突入した時は、国際…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える  ③あわや皇統断絶の危機

■古墳を巡り、継体天皇の謎を考える③あわや皇統断絶の危機■ 前回と話が一部重複して恐縮だが、世界遺産の百舌鳥・古市古墳群の、それぞれのエリアで最大は、仁徳天皇陵と応神天皇陵。大きいだけでなく古墳の姿の美しさでも1,2を争うだろう。さあそれでは一…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ②仁徳天皇陵

■古墳を巡り、継体天皇の謎を考える②仁徳天皇陵■ こちらの写真は仁徳天皇陵。僕がまだ東京住まいだったころの記憶で、大阪出張で飛行機に乗ると、堺あたりでは機は伊丹着陸に備えて相当高度を下げ、こまごまとした市街地の上を飛ぶことになる。そのとき、機…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ①応神天皇陵

■古墳を巡り、継体天皇の謎を考える①応神天皇陵■ 大阪府の世界遺産の百舌鳥・古市古墳群。仁徳天皇陵に次いで2番目に大きい応神天皇陵に過日、高校時代の仲間と出かけた。長辺の長さは425m。墳丘の底地面積は、ピラミッドよりもまた秦の始皇帝陵よりも広大…

びわ湖リング第3日、ワグナー「神々の黄昏」をライブ・ストリーミングで見る

楽しみにしていた3月7日、8日の「びわ湖リング」第3日、ワグナー「神々の黄昏」が中止になって、チケットも用意していただけに大落胆。ところが起死回生の大ヒットが放たれた。無観客演奏を行い無料のライブ・ストリーミングで配信が実現したのだ!そのDV…

マネの《フォーリー・ベルジェールのバー》の謎と、浮世絵が果たした役割②

浮世絵と印象派の話をしているのに、唐突かもしれませんが、下の画像はルネサンスの画僧、フラ・アンジェリコの傑作《受胎告知》です。フィレンツェのサンマルコ修道院(今は国立美術館)の階段を2階に上がったところにあるフレスコ画で、現地でご覧になった…

マネの《フォーリー・ベルジェールのバー》の謎と、浮世絵が果たした役割①

コートールド美術館は、ロンドンのナショナル・ギャラリーからも近いロンドン大学の付属施設です。小ぶりではありますが、マネやセザンヌ、ルノワールなど印象派、ポスト印象派の優品を所蔵していることで知られます。その世界巡回展が日本では東京都美に次…

明けましておめでとうございます。いつもニューズレターをお読み頂き、ありがとうございます

郎世寧(イタリア人) 今年が読者の皆さまにおかれましても、健やかで実り多い一年となりますように、お祈りいたします。 さて、令和の年始を祝って掲げたこの白鷹の吉祥図。いきなりクイズにしてしまって恐縮なんですが、この絵の作者は、日本人でしょうか…

2500年の美術史を巨視すると・・。大きな山はたった三山でしかない

こんにちは。ここに掲げた手描きの図は、講演や講義で僕がよく使う、美術の歴史=2500年を視覚化したものです。2500年の歴史というと、それではアルタミラの洞窟の絵などはどうなるんだ!との声も上がるかもしれませんが、それは何万年も前の石器時代のことな…

【誰も言わない琳派美術史その⑬】■琳派というコンセプトを作ったのは、酒井抱一。世が世なら姫路城のお殿さまだったかも知れない江戸琳派の巨匠■

前回、光琳は日本美術史におけるラファエロだと、大見栄な説を展開しました。その光琳を継承する人は、およそ百年後に登場します。酒井抱一(1761-1829)です。抱一は姫路藩主、酒井忠以(ただざね)の弟として、お江戸の、いまの東京駅の前あたりにあった藩…