残暑お見舞い申し上げます。

(下の絵は数年前、宝塚のコミュニティ誌に頼まれて描いた表紙の絵です)

夏休み日記――。暑さをしのぐには音楽ホールか芝居小屋で過ごすに限ると、今夏もオペラと文楽に通いました。なにしろ空気のボリュームが大きいので、ジャケットを着ていてもまだ寒いことも。冷気に身を置いて憂き世をしばし忘れ、物語の世界に遊ぶのも仲々のリゾートです。7月は佐渡オペラでモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」を2日続けて。物語は稀代の好色魔、ドン・ファンが殺人事件まで起こし、ついには劫罰のように焼き殺される、というもの。カルトと笑いと恋愛物語が三重かさねに楽しめ、また僕は若い日本人歌手のスターたちを見出して大満足でした。

それで味をしめて、今度はびわ湖ホールの「林康子の声楽曲研修」に泊りがけで出かけました。いや今から歌手になろうというのではないです(笑)。ソロになる手前の若い歌手たちを、往年の名ソプラノ林康子が3日間、朝から夕方まで指導する。その様子を僕らのような素人も観客として聞いて楽しむわけです。ちなみに昔TVで見た彼女のミラノでの「蝶々夫人」の絶唱は、まさに神回でした。今回の舞台では、次々に登場してピアノ伴奏で持ち歌を歌う受講生たちに、御年80歳の林さんがマイク片手に衰えを知らない若々しい声で稽古をつけます。生徒の腰を押さえて、「声はここで出すの!」と呼吸法を教え、舌の使い方は「ベロよ、ベロ!」と舌を出して見せ、のどに力を入れないこと、口蓋に声を響かせることなどを、生徒の顔を片手で挟んで筋肉の使い方を体でわかるよう熱血指導されてました。そうすると生徒たちは驚いたことに、ビフォーアフターじゃないけれど、短時間でみるみる良い発声に変わって行きます。

ときに林さんは受講生に、「(指導の)前と後でどうだった?」と質問し、バリトンの生徒が「声が明るくなり過ぎてないか心配」などと感想を述べる。すると林さんは、「あとの声の方が本物なのよ、無理なワザとらしさが無くなって声が輝いているもの。ねえ、会場の皆さん、この人、良くなったでしょ?」と観客に意見を求めると、たちまち賛同の大きな拍手が小ホールの百人近い聴衆から沸き起こり、生徒も納得!歌手のみならずわれわれ観客も学ぶことが多く、真率さで胸の熱くなる研修会でした。

さて8月は国立文楽劇場の「妹背山女庭訓」(いもせやまおんなていきん)。長い物語ですが今回の公演は、天智天皇の御代、皇位を乗っ取ろうとする奸臣・蘇我入鹿藤原鎌足とイケメン息子が力を合わせて、誅伐する話。恋の嫉妬に狂う女を殺して得た生き血と、鹿の血を合わせ塗った笛を吹くと、さすがの入鹿も力が萎えて動けなくなり、ついに首を討ち取られてしまいます。

入鹿の首だけが亡霊のように舞台を飛び回る最終の場面は、奈良の談山神社の持つ《多武峰縁起絵巻》そのもの。台本はカルトと恋愛譚とファンタジー満載です。贔屓の豊竹呂太夫師匠の語りに聞き惚れ、スペクタクルな場面展開に酔い、つい2回観劇することに。笛が重要な物語の役割を果たすところは、モーツァルトならぬ文楽版の「魔笛」でした。