辻井伸行 ショパン 別れの曲 (12のエチュード作品10 第3番)を聴く

辻井伸行 ショパン 別れの曲 (12のエチュード作品10 第3番)を聴く

 

(2023年の)11月25日のこと、サッカーのヴィッセル神戸の初優勝を見届けて、体の興奮が冷めやらないままTVを見ていたら、BSフジで僕の好きなピアニストの辻井伸行の海外音楽紀行をやっていました。この番組は昔から良くできたドキュメンタリーのシリーズで、たとえば数年前、シドニーのオペラハウスでベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番を地元オケと協演した回など僕は録画を今も残しています。このとき指揮はアシュケナージで、辻井君(と呼ばせてもらっていいか?本当はそんなに気安く呼べないんだけど)は、若い時代のべートーヴェンの溌剌とした生気や憧憬、また農夫的な味わいを清冽に表現し、オーケストラを牽引してとても感動的でした。

そして今回のは、パリでのショパン演奏会。公演に先立って、辻井君は中部フランスの田舎に、ショパンの恋人だった女流小説家ジョルジュ・サンドの旧邸を訪ねます。ショパンが毎夏のように出かけて過ごし、数々の名曲を生んだその家です。映像を見るとショパンが使った仕事部屋はしっかりとした2重扉になって、しかも馬の毛を詰め物にして、念入りに防音している。生活音に煩わされず、ショパンが作曲に没頭できるよう考えたサンドの配慮と愛情が垣間見えました。年上のサンドでしたが二人は男女の恋愛感情で始まり、その後母親的な愛情も加わり、病弱な天才を庇護したのだと思われます。今日われわれがショパンの音宇宙を享受できるのも、サンドがいてくれたおかげです。

さて、パリに戻った辻井君がシャンゼリゼ劇場でのソロ・リサイタルに選んだ曲目は、ショパンの「12のエチュード」(作品10)でした。練習曲ですから、大向こうを唸らせようといったケレン味ではなく、どちらかというと耳の肥えた聴衆向けに、ショパンの曲想の源泉にじかにタッチするような趣向。とくに第3曲目の「別れの曲」では、僕は知っているはずなのに、初めて聞いた想いがしました。美しいメロディは日本の歌謡曲や子守歌さえ思わせる切ない郷愁に満ちた甘美さで、西洋音楽にこんな通俗なメロディが許されるのかと訝しんだほどでした。こちらが西洋音楽として身構えていたものをあっさり引きはがされ、許されて自分の故郷に帰るというか、無警戒な裸の自由のような解放感を感じたときには、不覚にも涙がこぼれました。

 

ただ一見優しそうなこの曲も、中間部になると曲想はガラッと一変します。現代音楽のような鉱物質なパッセージが連続し、別の曲かと思うほど異質なものが貫入しては衝突し、ショパンによる純粋な音の探求と実験が試されています。ピアニストとしてはセンチメンタルな情緒性だけでは対応できない技量を求められるころです。辻井君の演奏は作曲家と対話しつつ聴衆との間に立って、ショパンの振幅の大きな音楽世界を陰影濃く開示して、深い息をつかせるものでした。番組が終わり僕はTVに向かって拍手しながら、ショパン弾きとしての辻井君の比類のない資質を確信し、この青年をさらに応援したくなりました。

 

■2009年、クライバーンでまだ20歳の辻井伸行が優勝した時の「別れの歌」を、下のyoutube のURLから検索してみてください(3分40秒)。

(21) Twelve Etudes, Op. 10: No. 3 in E Major - YouTube

 

岩佐 倫太郎  美術評論家/美術ソムリエ