ボローニャ歌劇場日本公演、プッチーニの「トスカ」にブラーヴォ!

ボローニャ歌劇場日本公演、プッチーニの「トスカ」にブラーヴォ!

 

はじめて「トスカ」を見たのはもう何十年も昔。そのころ僕はマリア・カラスにハマっていて、ベッリーニヴェルディプッチーニらのイタリア・オペラのLP(!)を熱病のように聞きまくっていました。そこに折よく英国ロイヤルオペラが来日し、NHKホールに雀躍して出かけたのでした。いま改めて昭和音楽大学のオペラ・データベースで検索してみると、何と1979年のこと。このときやって来たテノールが、忘れもしないホセ・カレーラス。劇中ではトスカの恋人役で、まだ前髪も豊かな含羞の青年でした。ヒロインのトスカの役は先年亡くなった貫禄たっぷりの美声のソプラノ、モンセラット・カバリェ、指揮はコリン・デーヴィスでした。

 

年月は流れ、紅顔の美少年(僕のこと―笑)も頭に白雪が降り積もる高齢者となり、マリア・カラスに対する崇敬の念は変わらないものの、ようやく呪縛から自由になり、断続的ではありますがモーツァルト、ワグナーと近年に至るまでオペラを聴き継いできました。そして迎えた今秋のイタリアのボローニャ歌劇場。前日のびわ湖ホールでのベッリーニの「ノルマ」に続いて、翌日は大阪のフェスティバルでプッチーニの「トスカ」とオペラ三昧の連チャンをした次第。

(2023年11月12日)中央の赤い服がトスカ役の並河さん、向かって右の大柄な男性がローマの警視総監スカルピア役のバリトンマエストリさん。自分に体を許せば恋人ともども逃がしてやると嘘の甘言を餌に、トスカに情交を迫る好色な悪代官を好演。左の女性は指揮者でかつボローニャ歌劇場音楽監督のリーニフさん。

ところでベッリーニプッチーニ、半世紀ほど時代が前後するだけでオペラは驚くほど変貌します。19世紀前半のベッリーニは、まだベル・カントの時代。美声を聴かせるのが主眼で、ドラマ性もオーケストレーションもおおむね淡白。ただし、アリアを書くときのベッリーニの才能は別格で、ウケ狙いの商業的な作曲術などと無縁の、アマチュアのように純真無垢な精神が天上的メロディを産み落とし、オペラの宝石として不滅の光を放っています。

 

一方、プッチーニのように20世紀にまたがると、歌と演劇が緊密に結びつく時代に入り、歌手もただ美しく歌えばいいのでなく、役者的な表現力が求められます。オーケストレーションも空間の大きな立体性を備え、今回のトスカでも気づいたのですが勇壮な金管楽器の咆哮はワグナーを髣髴させ、かと思うと弦楽器の響きは深々と沈潜して耽美的。観客に悲劇を予告し、事件後の甘美な慰撫を行い、楽譜がゆるぎなく劇を進行させていました。ちなみにトスカの舞台は1800年のローマで、実際にあった戦争や政権抗争を題材にしているので、ヴェリズモ・オペラ(社会性のある現実的オペラ)の側面もあります。

 

上の画像は先日の大阪フェスティバル・ホールでの「トスカ」のフィナーレ。「ボローニャ歌劇場」の日本での全公演がこの日で幕を閉じ、感激醒めやらぬ聴衆と歌手たちの最後の大盛り上がりの場面です。トスカ役はこの日、体調不良の歌手に変わって日本のソプラノ、並河寿美(ひさみ)が登場して大成功。彼女はかねてからの僕の贔屓の人なので、思わぬ幸運でした。指揮をするウクライナ出身の女性のタクトも明快で運びがよく、散りばめられたアリアの名曲の絶唱場面では、我を忘れて思わず何度もブラーヴォ!を叫んだのでした。

 

岩佐 倫太郎  美術評論家/美術ソムリエ

 

11月4日の宝塚市立中央図書館での美術講演会は、盛況満員のうちに終えることができました。ご参加いただいた皆さま、ありがとうございました。

ノルマとトスカのあらすじは割愛していますが、ご興味のある方は、僕が以前にマリア・カラスのパリ公演(1958年)の映画を見て書いたこのブログのバックナンバーを覗いてみてください。3分割しています。

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