(2014 FBのNOTEを再録)利休が秀吉から死を「賜った」事件の真相を推理する。 その①

【映画、<利休にたずねよ)>と 利休賜死事件の真相 その①】 
 

(過去のFBのNOTEを保存のため再録しました) 

 

利休の賜死事件は前にも映画化されたなあと、昔の記憶を呼び起こしながら映画館へ向かい ました。あの時は、利休が今は亡き三国連太郎、秀吉は確か山崎努であったかと。それが今 回の利休は市川海老蔵です。10年近く前に直木賞をとった山本兼一の小説の映画化でした。 

 

それにしてもかねがね、「賜死」( しし、と読むらしいですね)とは愉快でない言葉だと感じていました。死を賜(たまわ)る!死罪に付されることを、有難いと受け止めよという権力者のどうしようもない傲慢を感じてしまうからです。死刑ではなく格式高く切腹を許すのだから、有難いだろう、というのでしょう。

 

利休はご存知のように、信長亡き後、秀吉の茶道頭として戦陣にも随行し、数多くの茶席を 通じて大名・武将はもとより、皇室との関係性も取り結び、秀吉の天下固めの上でも欠くべか らざる寵臣のような存在でした。従って、両者は蜜月関係にあった筈。それがどこでどうボタンのかけ違いが起こって「勘気をこうむり」、ついには死罪を申し付けられたのか。

 

表向き利休を指弾する罪状は、大徳寺の三門の上に木彫の自像を掲げた不敬と、売僧(まいす)として、壺や茶碗の売買で不当な利益を得たという点です。 まあ、それはなんとでも付けられる表向きの難癖であって、実際には野上弥栄子の「秀吉と利休」 いらい井上靖なども採用しているのですが、が、「天下人の秀吉が利休にたびたび屈辱を味あわされた、その怨恨を晴らさんがための賜死」、とするのが文学者が好む伝統的なインサイド・ストーリー。

 

それはたとえば秀吉は、利休の発明品である長次郎の真っ黒な農家のかまどのような、貧乏くさ い茶碗でお茶を飲まされて自分の出自を揶揄されたように感じたとか、利休の茶室では刀も取り上 げられ、躙(にじ)り口から利休に頭を下げて茶室に入らざるを得ず、しかも狭い茶室で恰幅のいい 利休を前にして圧倒されたまま、お点前を甘んじて受けざるを得なかったとか。

 

金と権力にあかせて名器をかき集め、派手好みで黄金の茶室までつくる秀吉ですが、利休の示す 侘び茶の方向は、これとは真逆。せっかく天下統一を果たし、金力・権力をひけらかし世界をひれ伏させようと躍起になっているのに、ただ一人、冷ややかで頑なにそれを認めないものがいる。

 

この辺は僕も昔の記憶だけで書いているのですが、もうこうなると秀吉もどうしても利休に頭を下げ させたい一心。ならば死罪を申し付けたなら、助命嘆願でさすがに頭を下げるだろう、と秀吉は読む。

 

結局、小説のドラマツルギーとしては、武力をもつ権力者と美を信奉する芸術家のそれぞれの尊厳 をかけた壮絶な戦いとなり、突っ張り合えば当然ながら権力側が勝つ。しかし、利休は秀吉の予想 に反して、美の殉教者として死の道を選んだ・・・。とまあ義に殉じた忠臣蔵にも似た悲劇的美談に仕 上がっているわけです。映画もこのストーリーを踏襲しています。

 

さあ、本当にそうなのか。小説や映画は面白くないといけないので、それでいいとしても、僕は別の感 想を持ちました。ちょっと長くなるので、続きは次回。