ルネ夫人2態――モディリアーニとキスリングが描き分けると、こうなる

ルネ夫人2態――モディリアーニとキスリングが描き分けると、こうなる■ 

 

待望久しかった大阪中之島美術館の開館。満を持しての第2弾は、「モディリアーニ」です。館所蔵のモディリアーニの傑作のほか、内外から「エコール・ド・パリ」の優品が集まっています。エコール・ド・パリというのは、「パリ派」とも訳され、第一次大戦の前後に、世界中からパリに集まって多くは共同生活したボヘミアンな画家たちを指します。共通する画風はないものの、東欧などの画家の出身国の文化が華やかな消費都市パリとぶつかり、その落差のエネルギーが百花繚乱の画壇を生んだと僕は考えています。

 

たとえば、キスリング(モイズ・キスリング1891―1953)もそのひとり。ポーランド出身ですが、夫人のルネを描いたものです(左)。優美なメランコリーをたたえた表情、腕を組むしぐさも流し目もすべてコケットリーに満ちて、なんともチャーミングな作品に仕上がっていますね。このセンスはもう商業ポスターやファッション写真の感覚に近いです。

(上)モイズ・キスリング《ルネ・キスリング夫人の肖像》1920 名古屋市美術館 (下)アメデオ・モディリアーニ《ルネ》1917 ポーラ美術館

艶っぽいイラスト風の世界も巧みですが、もう一つ注目していただきたいのは、絵画に隠された色使いです。妻のビビッドな赤いノースリーブの服(ひょっとすると実際の色は赤でなかったかもしれない!)に拮抗するように、背景は奥行きもなく余計な説明もなく、写真スタジオのホリゾントのようにブルーを配しています。これは何を意味するのか。推測するに、キリスト教絵画におけるマリアやイエスの聖なる記号、「青と赤」の服の色の応用ではないでしょうか。それによって作品に芸術的な重みを演出しているのです。愛妻家のキスリングにとって、ルネは永遠のマリアだったのでしょう。

 

キスリングは故国で印象派の教育を受け、19歳で芸術の都パリに出て、ポスト印象派やフォービスムなど美術史の先端の洗礼を一挙に浴びました。そのとき若い感受性で、どうしたら大衆に受けるか鋭敏に察知したのだと思われます。早くから成功して、エコール・ド・パリのなかでもユトリロモディリアーニと違い、家庭的にも円満で経済的にも恵まれた人生を送りました。

 

さてモディリアーニ(1884-1920)もまた、友人であるキスリングのルネ夫人の肖像を描いています(右)。こちらはいかにも教養ある画家らしい抽象や省略が利いて、専門家が見ても納得する画風です。イタリア美術の伝統をしっかり身に着けたモディリアーニならではの、才気がよく現れています。また特有の瞳を描かないうつろな目の手法が、ここでも使われています。画家は多くを語らず、見る人に感情移入を任せるわけです。アフリカのお面や日本の能面にも似ているかもしれません。演劇的で近代的な心理の陰影に富んだ画法です。

 

この作品はファッション的にも興味深くて、髪は短く、ネクタイまでして全体にマニッシュな活動的なスタイルです。第一次世界大戦が、男女の固定された役割を開放し新しい風俗を生み出しているのです。ちなみに、ココ・シャネルも同じ時代、ファッションから性差を取り払い、女性服に革命を起こした人でした。

 

※「モディリアーニ――愛と創作に捧げた35年――」は大阪中之島美術館で開催中。7月18日まで。