(2016年5月FBのNOTEを再録  )シャープの失敗はかつての日本軍の失敗に似ていないか  その2

(2016年5月FBのNOTEを再録  )シャープの失敗はかつての日本軍の失敗に似ていないか その2
 

2016年5月2日の投稿再録

 

産業機構の案を見て、実はこれはシャープがやってしまった失敗をまたしても繰り返そうとしていることに気づかざるを得ない。日本のエリートたちの思考様式はどうしてこうも似てしまうのだろう。国際競争の中で、優れたと思っていたはずの製品や技術はいつのまにかコモディティ化して優位性はなくなり、価格競争力はすでに低下。体力勝負という、小技の利かない不得手な世界に持ち込まれている。なのに、日本の技術は素晴らしいとばかり、ゆえのない信仰に産業機構もまた、しがみついているのではないか。国内のプレイヤーの数を減らせばチャンスが巡ってくるといったものでもないだろう。この辺の産業機構の考えが見えてこない。悲しいまでにドメスティックなのである。 シャープは確かに局地的にというか戦術的には優れたことはいっぱいあるだろう。まじめな日本の技術者なんだろうから現場主義で、創意と工夫に富んだ製品を作っているに違いない。しかし今やその創意や工夫などがあだとなっている。パワーロジスティクスで、販路という太いチャネルを持って戦争を仕掛けてくる相手に勝てないのだ。  

 

ここまで書くともうお気づきの方もおられるだろうが、シャープの失敗は、前回の世界大戦における日本軍の失敗とあまりに酷似していないか、ということ。国際連盟を脱退し、世界で孤立し、ドイツとソ連の不可侵条約におろおろして平沼内閣は総辞職し、ABCD包囲網を敷かれて、日清日露の戦勝に慢心した軍部指導のもと、勝ち目のない戦争に客観的情勢も読めず突入した史実を思い出さざるを得ない。アメリカの豊かな物量戦の前に、ゼロ戦の技術がいかに優れていようが、ロジスティクスというか総合体力で負けていた。結果はおびただしい国民の人命と財産の犠牲を払って敗北したのはご承知のとおりである。                           

 

シャープの話に戻ると、液晶で華々しい戦果を挙げたのは事実だ。片山前社長はその部門のエースだった。実際IGZO(イグゾー)などは国産技術で今も競争優位を保っていると思われる。片山社長は、IGZOで行くべきだったのだ。液晶の成功に慢心がありはしなかったか。それで身の程もわきまえず大型液晶の工場に投資し、他の日本メーカーにもOEMで提供して、液晶の原反の量販を目論んだのが誤算だった。 工場で生産を始めた時には、強力なライバルの前にもう買い手がない。国内市場しか念頭にないので、アジア諸国の追い上げに思いが及ばず、実際は孤立しているのに根拠のない自信をもって突き進み、「テレビよりスマホ」の流れも見落としたことがシャープの敗因とみる。第2次世界大戦の日本と、同じ本質を持った失敗と僕は見なしたがいかがだろうか(完)。